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高校時代、インターハイ個人優勝、団体2連覇。特待生として近大に入学しインカレ等で活躍。1993年3月12日では[[ノルディック複合・ワールドカップ|FISワールドカップ]][[ホルメンコーレンスキー大会|ホルメンコーレン大会]]で3位(自己最高位)入賞。また、ザコパネユニバーシアードでは金メダルを獲得する。1994年、リレハンメルオリンピック複合個人19位。大学卒業後[[リクルートホールディングス]]に入社。1998年、長野オリンピックで複合個人に出場し、前半のジャンプで4位につけるもクロスカントリーで離され23位。団体は直前のジャンプ練習中に転倒し骨折したためにメンバー漏れした。五輪後、リクルートスキー部の廃部が決定し、引退を余儀なくされた。引退後、郷里に戻り金木町役場に就職。現在は五所川原市教育委員会勤務。指導者、審判員としても活躍している。 |
高校時代、インターハイ個人優勝、団体2連覇。特待生として近大に入学しインカレ等で活躍。1993年3月12日では[[ノルディック複合・ワールドカップ|FISワールドカップ]][[ホルメンコーレンスキー大会|ホルメンコーレン大会]]で3位(自己最高位)入賞。また、ザコパネユニバーシアードでは金メダルを獲得する。1994年、リレハンメルオリンピック複合個人19位。大学卒業後[[リクルートホールディングス|リクルート]]に入社。1998年、長野オリンピックで複合個人に出場し、前半のジャンプで4位につけるもクロスカントリーで離され23位。団体は直前のジャンプ練習中に転倒し骨折したためにメンバー漏れした。五輪後、リクルートスキー部の廃部が決定し、引退を余儀なくされた。引退後、郷里に戻り金木町役場に就職。現在は五所川原市教育委員会勤務。指導者、審判員としても活躍している。 |
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== 主な競技歴 == |
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2019年9月13日 (金) 16:33時点における版
古川 純一(こがわ じゅんいち、1972年2月12日 - )は、日本の元ノルディック複合スキー選手。1994年リレハンメルオリンピック代表、1998年長野オリンピック代表。ザコパネユニバーシアードノルディックコンバインド金メダリスト。青森県北津軽郡金木町(現五所川原市)出身。 東奥義塾高等学校、近畿大学卒業。
来歴
高校時代、インターハイ個人優勝、団体2連覇。特待生として近大に入学しインカレ等で活躍。1993年3月12日ではFISワールドカップホルメンコーレン大会で3位(自己最高位)入賞。また、ザコパネユニバーシアードでは金メダルを獲得する。1994年、リレハンメルオリンピック複合個人19位。大学卒業後リクルートに入社。1998年、長野オリンピックで複合個人に出場し、前半のジャンプで4位につけるもクロスカントリーで離され23位。団体は直前のジャンプ練習中に転倒し骨折したためにメンバー漏れした。五輪後、リクルートスキー部の廃部が決定し、引退を余儀なくされた。引退後、郷里に戻り金木町役場に就職。現在は五所川原市教育委員会勤務。指導者、審判員としても活躍している。
主な競技歴
オリンピック
- 1994年リレハンメルオリンピック複合個人19位
- 1998年長野オリンピック複合個人23位
ユニバーシアード
- 1993年冬季ユニバーシアード(ポーランド・ザコパネ)ノルディックコンバインド優勝
国内
出典
- 日本オリンピック委員会プロファイル
- 古川純一 - 国際スキー連盟のプロフィール
- 古川純一 - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(Sports Reference)