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「赤生津館跡」の版間の差分

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== 概要 ==
== 概要 ==
[[平安時代]]末期から[[鎌倉時代]]にかけて、[[奥州藤原氏]]一族の居館であったが滅んだ後、[[葛西氏]]の臣族が居住した<ref name=Akoyakata>{{cite web|url=http://www.jalan.net/kankou/spt_04545af2170132870/|title=赤生津館跡|publisher=[[リクルートホールディングス]]ライフスタイル|accessdate=2015-03-12}}</ref>館の跡。
[[平安時代]]末期から[[鎌倉時代]]にかけて、[[奥州藤原氏]]一族の居館であったが滅んだ後、[[葛西氏]]の臣族が居住した<ref name=Akoyakata>{{cite web|url=http://www.jalan.net/kankou/spt_04545af2170132870/|title=赤生津館跡|publisher=[[リクルートホールディングス|リクルート]]ライフスタイル|accessdate=2015-03-12}}</ref>館の跡。
[[1977年]]([[昭和]]52年)、当時の[[豊里町 (宮城県)|豊里町]]の史跡に指定され、現在市の史跡となっている。
[[1977年]]([[昭和]]52年)、当時の[[豊里町 (宮城県)|豊里町]]の史跡に指定され、現在市の史跡となっている。



2019年9月13日 (金) 18:14時点における版

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赤生津館跡
宮城県
城郭構造 居館
築城主 奥州藤原氏
築城年 不明
主な城主 葛西氏
廃城年 不明
遺構 居館遺構
指定文化財 市指定史跡
再建造物 なし
位置 北緯38度37分16.67秒 東経141度14分57.21秒 / 北緯38.6212972度 東経141.2492250度 / 38.6212972; 141.2492250 (赤生津館跡)座標: 北緯38度37分16.67秒 東経141度14分57.21秒 / 北緯38.6212972度 東経141.2492250度 / 38.6212972; 141.2492250 (赤生津館跡)
地図
赤生津館跡の位置(宮城県内)
赤生津館跡
赤生津館跡
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赤生津館跡(あこうづやかたあと)は、宮城県登米市豊里町庚申にある中世居跡である。登米市指定文化財史跡)。

概要

平安時代末期から鎌倉時代にかけて、奥州藤原氏一族の居館であったが滅んだ後、葛西氏の臣族が居住した[1]館の跡。 1977年昭和52年)、当時の豊里町の史跡に指定され、現在市の史跡となっている。

現状

小高い丘となっており、草木に覆われている。

アクセス

関連項目

脚注

  1. ^ 赤生津館跡”. リクルートライフスタイル. 2015年3月12日閲覧。

外部リンク