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豊里町 (宮城県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
とよさとちょう
豊里町
香林寺山門(県指定有形文化財)
香林寺山門(県指定有形文化財)
豊里町旗 豊里町章
豊里町旗 豊里町章
1968年11月3日制定
廃止日 2005年4月1日
廃止理由 新設合併
登米郡迫町登米町東和町中田町豊里町米山町石越町南方町本吉郡津山町) → 登米市
現在の自治体 登米市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
登米郡
市町村コード 04545-4
面積 32.85 km2
総人口 7,194
推計人口、2005年3月1日)
隣接自治体 登米郡:登米町米山町
遠田郡:涌谷町
桃生郡:桃生町
本吉郡:津山町
町の木 イチョウ
豊里町役場
所在地 987-0362
宮城県登米郡豊里町上町裏130番地の1
座標 北緯38度35分04秒 東経141度14分58秒 / 北緯38.58436度 東経141.24936度 / 38.58436; 141.24936 (豊里町)座標: 北緯38度35分04秒 東経141度14分58秒 / 北緯38.58436度 東経141.24936度 / 38.58436; 141.24936 (豊里町)
特記事項 世帯数:1,987世帯(2004年8月31日)
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豊里町(とよさとちょう)は、宮城県北東部にあったである。2005年4月1日市町村合併により廃止し、旧町域は登米市の一部となっている。

地理

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宮城県北部に位置した町である。北上川、旧北上川、迫川に囲まれたほぼ平坦な地形である。

隣接していた自治体

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歴史

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平安時代末期から鎌倉時代にかけて、奥州藤原氏一族の居館があり、滅んだ後は、葛西氏の臣族が居住したことが知られている[1]

寛文7年(1667年)に登米伊達家による新田開発灌漑水路や土手を含む)が開始される。伊達宗倫の命により、大曲地区の北西側に隣接する登米市米山町桜岡より流来する悪水を排除する目的で秋山源兵衛が指揮して大曲から十五貫の迫川堤防付近まで[2]土手を築いた[3][4]

  • 1889年明治22年) 4月1日 - 市町村制施行により、登米郡赤生津村と鴇波村の区域をもって豊里村が成立する。
  • 1932年(昭和7年) 4月から1940年(昭和15年)3月 - 北上川流域下流の水害から地域を守るため、山吉田水門付近から剣先(のの岳駅の東方)までのおよそ11.7 kmを、ほぼ一直線に[5] 開削した[6]。(新迫川
  • 1950年(昭和25年) 4月1日 - 豊里村が町制施行し、豊里町となる。
  • 1954年(昭和29年) 豊里中学校新校舎完成町の年譜表
  • 1962年(昭和37年) 上水道工事に着手、1966年(昭和41年)に終了。
御岳堂駅
陸前豊里駅

行政

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  • 最後の町長:只野九十九

教育

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中学校
小学校
幼稚園・保育所
  • 豊里幼稚園
  • 豊里保育所

交通

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鉄道

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道路

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名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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祭り・イベント

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出身有名人

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脚注

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  1. ^ 赤生津館跡”. リクルートライフスタイル. 2015年3月12日閲覧。
  2. ^ 当時新迫川は存在していない。
  3. ^ 登米市|秋山源兵衛供養塔
  4. ^ 河川の堤防|秋山源兵衛
  5. ^ 登米市の米山地区と豊里地区を通る
  6. ^ 宮城県 (September 10, 2012). “迫川の変遷”. 2015年3月16日閲覧。
  7. ^ 宮城県教育庁文化財保護課による沼崎山遺跡発掘調査報告書|2017年1月28日閲覧
  8. ^ 豊里副読本
  9. ^ 水土里ネット
  10. ^ 副読本
  11. ^ a b c d e 登米市
  12. ^ a b c d 町屋ミュージアム - 廻船問屋 菅勘資料館”. 2022年1月1日閲覧。

関連項目

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