コンテンツにスキップ

「かわさきテクノピア」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: リクルートをパイプリンクにする - log
13行目: 13行目:
* 竣工:1987年
* 竣工:1987年


;[[リクルートホールディングス]]川崎テクノピアビル<ref name="Recruit">リクルート事件の発祥の建物</ref><ref>{{See also|リクルート事件#発覚}}</ref>→[[川崎テックセンター]]
;[[リクルートホールディングス|リクルート]]川崎テクノピアビル<ref name="Recruit">リクルート事件の発祥の建物</ref><ref>{{See also|リクルート事件#発覚}}</ref>→[[川崎テックセンター]]
:1997年12月、資産圧縮の一環で[[コロニー・キャピタル]]と[[ケネディクス|ケネディ・ウィルソン・インク]]に売却。その後、2007年にルビコン・ジャパン・ウエストに売却される<ref>「不動産投資市場の研究」 金惺潤著 P48</ref><ref>[http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/fa/members/news/20070225/504917/]</ref>。
:1997年12月、資産圧縮の一環で[[コロニー・キャピタル]]と[[ケネディクス|ケネディ・ウィルソン・インク]]に売却。その後、2007年にルビコン・ジャパン・ウエストに売却される<ref>「不動産投資市場の研究」 金惺潤著 P48</ref><ref>[http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/fa/members/news/20070225/504917/]</ref>。
* 発注:リクルート
* 発注:リクルート

2019年9月13日 (金) 18:17時点における版

多摩川の対岸の東京都大田区側より。川沿いの3棟は左から興和川崎西口ビル、川崎テックセンター、川崎東芝ビル。左奥に見えるのは川崎駅前タワー・リバーク

かわさきテクノピア英語: Kawasaki Technopia)は、神奈川県川崎市幸区堀川町、幸町一丁目及び幸町二丁目の再開発地域

概要

1983年3月、川崎市が総合計画「2001かわさきプラン」を策定し、1984年12月、都市再開発方針2号地区として川崎駅西口を指定した[1]。 1985年5月、川崎駅西口地区の再開発の一環として、1983年に千葉県市原市へ移転し閉鎖された明治製糖、1989年に閉鎖された明治製菓川崎工場跡地に川崎市が「かわさきテクノピア構想」を発表[2]。製糖の跡地を第1街区、製菓の跡地を第2街区と分かれて開発する事となる。第1街区はオフィスビル、研究所と住宅で、第2街区はオフィス、商業施設の複合施設と区分けれされている[3]
1988年7月に第1特定街区が完成。1990年11月に第2特定街区の都市計画が決定し、その後着手し1995年7月に完成した。

主な施設

第1街区

主に住宅・都市基盤整備公団と興和不動産が中心となり土地開発を主導した

オフィス棟

東芝半導体システム技術センター(川崎東芝ビル
  • 竣工:1987年
リクルート川崎テクノピアビル[4][5]川崎テックセンター
1997年12月、資産圧縮の一環でコロニー・キャピタルケネディ・ウィルソン・インクに売却。その後、2007年にルビコン・ジャパン・ウエストに売却される[6][7]
川崎産業振興会館
  • 発注:川崎市
  • 設計:株式会社相和技術研究所
  • 竣工:1988年7月
興和川崎西口ビル
  • 階数:地上21階、地下2階
  • 竣工:1988年2月29日

住宅棟

公団堀川町ハイツ→URかわさきテクノピアハイツ

第2街区

オフィス棟

関連項目

脚注

  1. ^ 大都市行政制度に関する調査研究報告書 自治調査センター
  2. ^ [1]
  3. ^ アーカイブされたコピー”. 2015年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月18日閲覧。
  4. ^ リクルート事件の発祥の建物
  5. ^
  6. ^ 「不動産投資市場の研究」 金惺潤著 P48
  7. ^ [2]
  8. ^ 清水建設20周年作品
  9. ^
  10. ^ 当該地域の開発利益供与事件を端に発して発覚した事件