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2020年1月25日 (土) 03:48時点における版

外山 恒一
2007年4月8日、高円寺駅前でテレビ局の取材に応じる外山恒一
生誕 (1970-07-26) 1970年7月26日(53歳)
鹿児島県姶良郡隼人町(現霧島市
職業 政治活動家前衛芸術家、評論家雑誌編集長
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外山 恒一(とやま こういち、1970年7月26日 - )は、日本政治活動家革命家文筆家ストリートミュージシャン

略歴

1970年鹿児島県姶良郡隼人町に生まれる。

1980年代末に「反管理教育」の活動家として登場。管理教育への抵抗運動を経て、左翼運動を左翼の立場から激烈に批判するようになり、20代を若き異端の極左活動家として過ごす。

10代の頃より書籍の執筆を行い、九州で最初のストリートミュージシャンとなるなど、初期から現在に至るまで、主として九州を拠点に、政治的あるいは芸術的運動を続ける。

1993年、西武池袋百貨店にて開催されていた「新・寺山修司展 テラヤマ、ワールド」の会場でビラまき。

2001年傷害罪(当時交際していた女性と口論となり顔面を強く平手打ち。本人曰く殴ったのはそれが唯一で、一環して当事者同士の問題で、痴話喧嘩の類いであるとしている。)、2002年名誉毀損罪(傷害事件の民事訴訟で弁護士事務所を中傷)で起訴され、2件とも実刑判決(それぞれ10か月、1年)を受け、福岡刑務所服役。2年間の獄中生活で、それまでの極左運動とは決別し「ファシズムに転向」、現在はファシストを自称する[1]

2004年5月5日に出獄した後は、獄中で構想したファシスト政党「我々団」の建設を活動の主軸におきながら、現在に至る。

2007年東京都知事選挙に、無所属として立候補。政見放送の冒頭にて『反管理教育運動を出発点に、異端的極左活動家となり、今時政治犯として2年投獄され、現在に至る。反体制知識人。』と、過去の経歴をアナウンサーが紹介し、日本国政府転覆を主張する過激な政見放送が話題を呼び、動画共有サイトYouTube」などで注目を集めた。

2008年アメリカ合衆国大統領選挙に「立候補」。当然ながら日本人の彼は被選挙権も選挙権も有していないが、この時YouTubeに投稿した演説を称する動画内において、アメリカ主導のグローバリズムを皮肉った[2]

2012年(平成24年)の衆議院議員総選挙第46回衆議院議員総選挙)で、原子力発電推進派候補の選挙カーを追いかけながら「あの候補は原発推進派です」などと宣伝して、周知を図る落選運動を行う。同年夏には劇団どくんごの全国ツアーに連動し、外山自身も全国ツアーを敢行。2ヶ月間ほどかけて日本各地を回った。

2014年東京都知事選挙においては原子力発電所推進派候補へのほめ殺し街頭宣伝など、選挙に介入したパフォーマンスを行った。

九州ファシスト党・我々団

九州ファシスト党・我々団
略称 我々団
設立 2004年(平成16年)
設立者 外山恒一
法的地位 任意団体
本部 日本の旗 日本 福岡県福岡市
所在地 第三の位置
ナショナルアナキズム
ファシズム
中華主義
公用語 日本語
会長 外山恒一(臨時総統)
ウェブサイト 我々団公式サイト
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政治結社九州ファシスト党・我々団」は、2004年に福岡刑務所を満期出所した外山によって創設された。外山は現在、臨時総統を務める。福岡県福岡市内に党本部を持つ。

「ファシスト」という特異な肩書きで活動を行っているものの、外山の主張はファシズムよりもアナキズム的な色合いが強く、[要出典]議会制民主主義に反対し、直接行動、暴力革命を主張している。

核武装自虐史観打破、反グローバリズム、反フェミニズムなど右翼色の強い主張をする一方で、反原発反資本主義、反PC、反選挙など前衛思想との親和性が強い主張も見られ、政治的立場は独特である。

近年は、「中華主義者」を自称し、アメリカが東アジアから撤退する未来に備えて、東亜の盟主になるであろう中国への「朝貢」を主張している。一方で、中国の覇権主義に関しては、日本やベトナムチベットウイグル等の少数派が互いに団結して、反欧米で中国の味方をしつつ、自らの要求(少数民族の権利等)を中国に飲ませれば良いとしている。[3]

2011年2月には、外山が編集長を務める教養雑誌「反体制右翼マガジン デルクイ」を不定期に発刊。右翼だけではなく、左翼、アナキスト、戯曲家など、執筆陣は多岐に渡っている。2013年11月発刊の2号からは「左右混淆反体制マガジン」と名を改めた。

2013年より「我々団TV」という番組を動画配信サイトUSTREAMにて放送していた。同番組では九州在住の右翼、左翼、前衛芸術活動家などがゲストに登場し、外山も月1回程度出演している。

近年では、維新政党・新風福岡への選挙協力や、ノンセクトの新左翼学生運動への支援など左右のラジカルな運動への関与を行っている。臨時総統を務める外山は全国各地でのトークライブ、交流会の開催、宣伝ビラや動画サイトで閲覧できる映像制作など、様々な活動を展開中。多彩なパフォーマンスを行いながら九州における同志を募っている。年一回ほど自らが拠点とする福岡で、政治塾を開催し、若手の運動家・活動家の養成に努めている。

選挙履歴

都道府県知事選挙
選挙 政党 得票 得票率 惜敗率 順位 供託金 肩書
2007年4月8日 東京都知事選挙 無所属 15,059 0.27% 0.54% 8/14 没収 ストリート・ミュージシャン
区市町村議会議員選挙
選挙 選挙区 定数 政党 得票 得票率 惜敗率 順位 供託金 肩書
2005年11月27日 霧島市議会議員選挙 隼人選挙区 12 無所属 122 0.65% 12.63% 16/16 没収
2007年4月22日 熊本市議会議員選挙   48 無所属 540 0.22% 17.23% 61/62 没収
2008年4月13日 鹿児島市議会議員選挙   50 無所属 540 0.23% 18.54% 58/58 没収

その他

2006年1月17日に、鹿児島市で一方通行の道を原動機付自転車で逆走するなどした際に、鹿児島県警察の出頭命令に従わなかったため、2007年6月に逮捕され、逮捕後も黙秘等を続けたため、道路交通法違反の罪で起訴された。検察から、罰金1万5000円を求刑されたが、同年10月、鹿児島地方裁判所は、前科2犯あることや交通違反を繰り返し、遵法精神に欠けることを重視し、求刑の8倍に当たる罰金12万円の判決を言い渡した[4]。外山は控訴し、2008年3月、福岡高等裁判所宮崎支部は罰金12万円とした1審・鹿児島地裁判決を「重すぎて不当」として破棄し、罰金3万円とした。

福岡市の飲食店「BARラジカル」の設立に関わり、1年ほど店長を務める。外山が退職した後、将棋BARとして営業する。

2012年12月、自民党が圧勝した衆院選のときに九州各地の原発推進候補をショパンの「葬送行進曲」を大音量で流しながら追い回し、「原発を選挙戦の争点にしましょう」、「前を走っている人は原発推進派です」と告知していくという「原発推進派懲罰遠征」を決行。

その後、右翼青年から『右翼の世界には“ほめ殺し”という手法もあって、それも違法じゃないんですよ』と聞き付け、ほめ殺しへ戦略を転換。翌年の第23回参議院議員通常選挙で、外山は「選挙戦の期間限定で原発推進派に転向する」と宣言し、「自民党ほめご…いや大絶賛キャンペーン」と称して、原発推進候補への「ほめごろし」を新潟、仙台、札幌などで行った。

2014年(平成26年)に、2014年東京都知事選挙が始まると、毎日一般参加者を募り、舛添要一田母神俊雄に対して、ほめ殺しの体験学習会を開いた。

サブカルチャーが嫌いであると公言しており、そのためいわゆる「オタク文化」やオタクも毛嫌いしている。理由としてオタクのシニシズムを挙げている。

外山恒一賞

外山が設立した賞。外山曰く「主に反体制的な右翼運動、左翼運動、前衛芸術運動などの諸分野から、「いま最も注目すべき活動家(もしくはグループ)」を、外山恒一が独断で選んで一方的に授与する賞[5]」であるとのこと。2011年5月に設立されて、それ以後年一回ずつ受賞者を発表している。

第一回(2011年)
金友隆幸(行動する保守系団体・排外社代表)
第二回(2012年)
亀井純太郎(前衛芸術家・劇団「第七インターチェンジ」の作・演出家)
第三回(2013年)
レイシストをしばき隊 (行動する保守系団体に対してカウンター運動を行う団体:対レイシスト行動集団の前身)
第四回(2014年)
水永康貴(ミュージシャン・ロックBAR経営者)
第五回(2015年)
『サルママ』編集部(宮崎発のカルチャー誌)
第六回(2016年)
たかゆき(ストリートミュージシャン)
第七回(2017年)
1.オクムラユウスケ(ミュージシャン) 2.吉田一郎(さいたま市議)
第八回(2018年)
受賞なし。

著書

  • 『ぼくの高校退学宣言—グッバイ・ハイスクール』 徳間書店、1989年1月
  • 『ハイスクール「不良品」宣言—反管理教育中高生ネツトワーク・DPクラブの顛末』駒草出版、1990年6月
  • 『校門を閉めたのは教師か—神戸高塚高校校門圧殺事件』駒草出版、1990年11月
  • 『注目すべき人物—1970年生まれの「同世代」批判』ジャパンマシニスト社、1992年11月
  • 『さよならブルーハーツ—パンク日記』JICC出版局、1993年4月
  • 『ガキのきもちはわかるまい ブルセラ世代はどこに行く?』小田公美子、落合Q太郎、きむ・むい寺澤有、深沢薫、藤井誠二、藤井良樹、町田直子との共著 風雅書房、1994年
  • 『見えない銃—外山恒一、孤軍奮闘の軌跡/だいたい全記録 』出版研、1995年12月(1990年代初頭までの、単行本未収録の論文やエッセイをまとめたもの)
  • 『ヒット曲を聴いてみた—すると社会が見えてきた』(共著)駒草出版 、1998年4月
  • 『最低ですかーっ!—まったく新しい政治犯 外山恒一語録』不知火書房、2004年12月
  • 『青いムーブメント―まったく新しい80年代史』彩流社、2008年5月
  • 『ポスト学生運動史―法大黒ヘル編 1985~1994』 彩流社、2010年1月 ISBN 477911487X
  • 『政府転覆 余は如何にして東京都知事候補となりし乎』上・下巻 わけあり堂、2011年(電子書籍)
  • 『デルクイ01 反体制右翼マガジン』 彩流社、2011年2月 ISBN 4779115639
  • 『デルクイ02 左右混淆反体制マガジン』 彩流社、2013年11月 ISBN 4779119375
  • 『良いテロリストのための教科書』 青林堂、2017年9月 ISBN 4792606039
  • 『全共闘以後』イースト・プレス、2018年8月 ISBN 4781617190 改訂版2018年12月

脚注

関連項目

外部リンク