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''生命倫理''(''Bioethics''、[[ギリシア語|ギリシャ語]]:''bios'', life, 命; ''ethos'', behavior, 振る舞い)という用語は、1926年に、「生命倫理的義務」と題する科学的研究における動植物の使用に関する記事において Fritz Jahr(1895-1953)によって造られたものである<ref>Rinčić, I., Muzur, A.: Fritz Jahr i rađanje europske bioetike (Fritz Jahr and the Birth of European Bioethics). Zagreb: Pergamena, 2012., p. 141 (Croatian)</ref>。
''生命倫理''(''Bioethics''、[[ギリシア語|ギリシャ語]]:''bios'', life, 命; ''ethos'', behavior, 振る舞い)という用語は、1926年に、「生命倫理的義務」と題する科学的研究における動植物の使用に関する記事において Fritz Jahr(1895-1953)によって造られたものである<ref>Rinčić, I., Muzur, A.: Fritz Jahr i rađanje europske bioetike (Fritz Jahr and the Birth of European Bioethics). Zagreb: Pergamena, 2012., p. 141 (Croatian)</ref>。


1970年、アメリカの生化学者で腫瘍学の教授だった{{仮リンク|ヴァン・R ・ポッター|en|Van Rensselaer Potter}}は、この用語を用いて生物圏と増え続ける人口の間の関係を説明した。ポッターの仕事は、生物学、生態学、医学、そして人間の価値観との関連性を中心とした分野であり、{{仮リンク|グローバル倫理|en|Global ethics}}(Global justice)の基礎を築いた<ref>{{Cite journal|last=Lolas|first=Fernando|date=2008|title=Bioethics and animal research: A personal perspective and a note on the contribution of Fritz Jahr|journal=Biological Research (Santiago)|volume=41|issue=1|pages=119–23|DOI=10.4067/S0716-97602008000100013}}</ref> <ref>Goldim, J. R. (2009). Revisiting the beginning of bioethics: The contributions of Fritz Jahr (1927). ''Perspect Biol Med'', Sum, 377–80.</ref>。
1970年、アメリカの生化学者で腫瘍学の教授だった{{仮リンク|ヴァン・R ・ポッター|en|Van Rensselaer Potter}}は、この用語を用いて生物圏と増え続ける人口の間の関係を説明した。ポッターの仕事は、生物学、生態学、医学、そして人間の価値観との関連性を中心とした分野であり、{{仮リンク|グローバル倫理|en|Global ethics}}(Global justice)の基礎を築いた<ref>{{Cite journal|last=Lolas|first=Fernando|date=2008|title=Bioethics and animal research: A personal perspective and a note on the contribution of Fritz Jahr|journal=Biological Research (Santiago)|volume=41|issue=1|pages=119–23|doi=10.4067/S0716-97602008000100013}}</ref> <ref>Goldim, J. R. (2009). Revisiting the beginning of bioethics: The contributions of Fritz Jahr (1927). ''Perspect Biol Med'', Sum, 377–80.</ref>。


== 目的と範囲 ==
== 目的と範囲 ==
生命倫理学の分野は、命の境界をめぐる議論(例えば[[妊娠中絶|中絶]] 、 [[安楽死]])、代理出産、貧弱なヘルスケア資源の配分(例えば臓器提供 、医薬品の配給)から、宗教的または文化的な理由で医療を拒否する権利まで、人間の探究における広い範囲を扱ってきた。生命倫理学者は、その分野が生物学と医学を含むすべての問題の倫理的評価に関心を持つべきか、あるいはこれらの問題のサブセットのみに関心を持つべきかについて議論しながら、その分野の厳密な限界については意見を異にする<ref>{{Cite journal|date=August 2014|title=The nature of bioethics revisited: a comment on Tomislav Bracanović|journal=Developing World Bioethics|volume=14|issue=2|pages=109–10|DOI=10.1111/dewb.12008|PMID=23279218}}</ref>。生命倫理学者の中には、倫理的評価を医学的治療または[[テクノロジー|技術]]革新の[[道徳]]性、そして人間の医学的治療のタイミングのみに限定する人もいる。他の人たちは、恐れを感じることができる生物を助けたり害を与えたりするかもしれないすべての行動の道徳性を含むように倫理的評価の範囲を広げるかもしれない。
生命倫理学の分野は、命の境界をめぐる議論(例えば[[妊娠中絶|中絶]] 、 [[安楽死]])、代理出産、貧弱なヘルスケア資源の配分(例えば臓器提供 、医薬品の配給)から、宗教的または文化的な理由で医療を拒否する権利まで、人間の探究における広い範囲を扱ってきた。生命倫理学者は、その分野が生物学と医学を含むすべての問題の倫理的評価に関心を持つべきか、あるいはこれらの問題のサブセットのみに関心を持つべきかについて議論しながら、その分野の厳密な限界については意見を異にする<ref>{{Cite journal|date=August 2014|title=The nature of bioethics revisited: a comment on Tomislav Bracanović|journal=Developing World Bioethics|volume=14|issue=2|pages=109–10|doi=10.1111/dewb.12008|pmid=23279218}}</ref>。生命倫理学者の中には、倫理的評価を医学的治療または[[テクノロジー|技術]]革新の[[道徳]]性、そして人間の医学的治療のタイミングのみに限定する人もいる。他の人たちは、恐れを感じることができる生物を助けたり害を与えたりするかもしれないすべての行動の道徳性を含むように倫理的評価の範囲を広げるかもしれない。


生命倫理学の範囲は、[[クローニング]]、[[遺伝子治療]]、[[抗老化医学|延命]]、[[遺伝子治療|人間の遺伝子工学]]、宇宙倫理学、宇宙での生<ref>{{Cite web|url=http://www.astroethics.com/|title=Astroethics|accessdate=21 December 2005|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131023060209/http://www.astroethics.com/|archivedate=23 October 2013}}</ref>、そして[[DNA]]、[[ゼノ核酸|XNA]]、タンパク質の改変による基礎生物学の操作など、バイオテクノロジーによって拡大されていく<ref>{{Cite book|year=2012|title=Synthetic Biology|publisher=World Scientific|location=New Jersey|isbn=978-1-84816-862-6}}</ref>。これらの発展は将来の進化に影響を及ぼすもので、その基本的な生物学的プロセスおよび構造に基づき繁殖を追求する生命そのものを重視した{{仮リンク|生物倫理|en|Biotic ethics}}(Biotic ethics)など、今後、生命そのものに取り組む新しい原則が必要となってくる可能性がある<ref name="Bioethics">{{Cite journal|date=October 2009|title=Life-centered ethics, and the human future in space|url=http://www.astro-ecology.com/PDFLifeCenteredBioethics2009Paper.pdf|journal=Bioethics|volume=23|issue=8|pages=433–40|DOI=10.1111/j.1467-8519.2008.00688.x|PMID=19077128}}</ref>。
生命倫理学の範囲は、[[クローニング]]、[[遺伝子治療]]、[[抗老化医学|延命]]、[[遺伝子治療|人間の遺伝子工学]]、宇宙倫理学、宇宙での生<ref>{{Cite web|url=http://www.astroethics.com/|title=Astroethics|accessdate=21 December 2005|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131023060209/http://www.astroethics.com/|archivedate=23 October 2013}}</ref>、そして[[DNA]]、[[ゼノ核酸|XNA]]、タンパク質の改変による基礎生物学の操作など、バイオテクノロジーによって拡大されていく<ref>{{Cite book|year=2012|title=Synthetic Biology|publisher=World Scientific|location=New Jersey|isbn=978-1-84816-862-6}}</ref>。これらの発展は将来の進化に影響を及ぼすもので、その基本的な生物学的プロセスおよび構造に基づき繁殖を追求する生命そのものを重視した{{仮リンク|生物倫理|en|Biotic ethics}}(Biotic ethics)など、今後、生命そのものに取り組む新しい原則が必要となってくる可能性がある<ref name="Bioethics">{{Cite journal|date=October 2009|title=Life-centered ethics, and the human future in space|url=http://www.astro-ecology.com/PDFLifeCenteredBioethics2009Paper.pdf|journal=Bioethics|volume=23|issue=8|pages=433–40|doi=10.1111/j.1467-8519.2008.00688.x|pmid=19077128}}</ref>。


== 原則 ==
== 原則 ==
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現代の生命倫理学者が最初に取り組んだ分野の一つは、[[非倫理的な人体実験]](または[[人体実験|ヒトを対象にした研究]])の分野だった。1974年にアメリカ合衆国で最初に設立された、{{仮リンク|生物医学および行動研究の被験者保護委員会|en|National Commission for the Protection of Human Subjects of Biomedical and Behavioral Research}}は、ヒト対象を含む生物医学および行動研究の実施の根底にあるべき基本的な倫理原則を定めた。
現代の生命倫理学者が最初に取り組んだ分野の一つは、[[非倫理的な人体実験]](または[[人体実験|ヒトを対象にした研究]])の分野だった。1974年にアメリカ合衆国で最初に設立された、{{仮リンク|生物医学および行動研究の被験者保護委員会|en|National Commission for the Protection of Human Subjects of Biomedical and Behavioral Research}}は、ヒト対象を含む生物医学および行動研究の実施の根底にあるべき基本的な倫理原則を定めた。


その「[[ベルモント・レポート]](1979)」として発表された基本的な原則、 「人への敬意(respect for persons)」、「[[医療倫理#与益原則|与益]](beneficence)」 、そして「[[正義]]」、の原則は、その後の幅広い分野にわたる生命倫理学者の考え方に影響を与えた。後の人々は、これらの価値観に、「[[医療倫理#無加害原則|無加害]](non-maleficence)」、「[[人間の尊厳]](human dignity)」、そして「[[生命の尊厳]](the sanctity of life)」を加えた。全体的に見て、ベルモント・レポートは脆弱な被験者を保護することと研究者と被験者の間の透明性を推進することに焦点を合わせた方向で研究を導いてきた。研究は過去40年以内に盛んになり、技術の進歩により、[[人体実験|ヒトを対象にした研究]]は([[ヘルシンキ宣言]]などもあるが)ベルモント・レポートの範囲を凌駕していると考えられ、改訂が望まれている<ref>{{Cite journal|date=July 2017|title=Rethinking the Belmont Report?|journal=The American Journal of Bioethics|volume=17|issue=7|pages=15–21|DOI=10.1080/15265161.2017.1329482|PMID=28661753}}</ref>。
その「[[ベルモント・レポート]](1979)」として発表された基本的な原則、 「人への敬意(respect for persons)」、「[[医療倫理#与益原則|与益]](beneficence)」 、そして「[[正義]]」、の原則は、その後の幅広い分野にわたる生命倫理学者の考え方に影響を与えた。後の人々は、これらの価値観に、「[[医療倫理#無加害原則|無加害]](non-maleficence)」、「[[人間の尊厳]](human dignity)」、そして「[[生命の尊厳]](the sanctity of life)」を加えた。全体的に見て、ベルモント・レポートは脆弱な被験者を保護することと研究者と被験者の間の透明性を推進することに焦点を合わせた方向で研究を導いてきた。研究は過去40年以内に盛んになり、技術の進歩により、[[人体実験|ヒトを対象にした研究]]は([[ヘルシンキ宣言]]などもあるが)ベルモント・レポートの範囲を凌駕していると考えられ、改訂が望まれている<ref>{{Cite journal|date=July 2017|title=Rethinking the Belmont Report?|journal=The American Journal of Bioethics|volume=17|issue=7|pages=15–21|doi=10.1080/15265161.2017.1329482|pmid=28661753}}</ref>。


多くの生命倫理学者にとって、特に医学研究者は、「[[医療倫理#自主尊重原則|自主尊重原則]]・[[自己決定権]]」を最優先事項とする。各患者は自分の信念に沿って、自分が最も考慮する行動方針を決定するべきであると考えている。 言い換えれば、患者は常に自分の治療を選択する自由を持つべきということである<ref>{{Cite journal|date=July 2010|title=Supporting patient autonomy: the importance of clinician-patient relationships|url=https://ses.library.usyd.edu.au/bitstream/2123/11467/1/Supporting%20Patient%20Autonomy.pdf|journal=Journal of General Internal Medicine|volume=25|issue=7|pages=741–5|DOI=10.1007/s11606-010-1292-2|PMID=20213206|PMC=2881979}}</ref>。
多くの生命倫理学者にとって、特に医学研究者は、「[[医療倫理#自主尊重原則|自主尊重原則]]・[[自己決定権]]」を最優先事項とする。各患者は自分の信念に沿って、自分が最も考慮する行動方針を決定するべきであると考えている。 言い換えれば、患者は常に自分の治療を選択する自由を持つべきということである<ref>{{Cite journal|date=July 2010|title=Supporting patient autonomy: the importance of clinician-patient relationships|url=https://ses.library.usyd.edu.au/bitstream/2123/11467/1/Supporting%20Patient%20Autonomy.pdf|journal=Journal of General Internal Medicine|volume=25|issue=7|pages=741–5|doi=10.1007/s11606-010-1292-2|pmid=20213206|pmc=2881979}}</ref>。


*ただし、日本の医療の分野では、「患者の自主権・自己決定」の文脈においてしばしば「自律性」と誤訳した上で「患者が自分を律して自己規制すること」などと正反対の「[[患者の権利]]を否定」するような意味で[[オートノミー#日本における「"自律"尊重原則」|誤用されている]]。
*ただし、日本の医療の分野では、「患者の自主権・自己決定」の文脈においてしばしば「自律性」と誤訳した上で「患者が自分を律して自己規制すること」などと正反対の「[[患者の権利]]を否定」するような意味で[[オートノミー#日本における「"自律"尊重原則」|誤用されている]]。
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== 医療倫理 ==
== 医療倫理 ==
{{Main|医療倫理}}
{{Main|医療倫理}}
倫理は、医療提供者と患者によって行われる医療上の決定に影響を与える<ref name=":1">{{Cite web|url=https://medlineplus.gov/medicalethics.html|title=Medical Ethics|website=medlineplus.gov|accessdate=2019-05-06}}</ref>。[[医療倫理]]は、[[医学]]に適用される道徳的価値観と判断の学問である。 4つの主な道徳的約束は、自主尊重原則(自己決定権)(autonomy)、無加害原則(non-maleficence)、 与益原則(beneficence)、および公平・正義の原則である。 これらの4原則を使用し、医師の具体的な関心事が彼らの実践の範囲に対するものであることについて考えることは、医師が道徳的な決定を下すのに役立つものとなる<ref>{{Cite journal|date=July 1994|title=Medical ethics: four principles plus attention to scope|journal=BMJ|volume=309|issue=6948|pages=184–8|DOI=10.1136/bmj.309.6948.184|PMID=8044100|PMC=2540719}}</ref>。学問分野として、医療倫理学は臨床の場でのその実際的な応用とその歴史、哲学、神学、そして社会学の研究を含む。
倫理は、医療提供者と患者によって行われる医療上の決定に影響を与える<ref name=":1">{{Cite web|url=https://medlineplus.gov/medicalethics.html|title=Medical Ethics|website=medlineplus.gov|accessdate=2019-05-06}}</ref>。[[医療倫理]]は、[[医学]]に適用される道徳的価値観と判断の学問である。 4つの主な道徳的約束は、自主尊重原則(自己決定権)(autonomy)、無加害原則(non-maleficence)、 与益原則(beneficence)、および公平・正義の原則である。 これらの4原則を使用し、医師の具体的な関心事が彼らの実践の範囲に対するものであることについて考えることは、医師が道徳的な決定を下すのに役立つものとなる<ref>{{Cite journal|date=July 1994|title=Medical ethics: four principles plus attention to scope|journal=BMJ|volume=309|issue=6948|pages=184–8|doi=10.1136/bmj.309.6948.184|pmid=8044100|pmc=2540719}}</ref>。学問分野として、医療倫理学は臨床の場でのその実際的な応用とその歴史、哲学、神学、そして社会学の研究を含む。


医療倫理は専門的倫理の応用として狭義に理解される傾向がある。一方、生命倫理学は[[科学哲学]]と[[生物工学|バイオテクノロジーの]]問題に触れながら、より広範な用途を持っている。 しかしながら、2つの分野はしばしば重なり合い、区別は専門的な合意というよりもスタイルの問題である。医療倫理は、[[看護倫理]]など、他の部門にも裾野を広げ、多くの原則を共有しています。 生命倫理学者は、生と死の理解に関わる道徳的問題を調べ、医学と科学における倫理的ジレンマを解決することにおいて、ヘルスケアと研究のコミュニティを支援する。この例としては、医療の平等問題、文化的実践と医療実践の交差、そしてバイオテロ問題などが挙げられる<ref>{{Cite journal|date=October 2016|title=Medical Need, Equality, and Uncertainty|journal=Bioethics|volume=30|issue=8|pages=588–96|DOI=10.1111/bioe.12257|PMID=27196999}}</ref>。
医療倫理は専門的倫理の応用として狭義に理解される傾向がある。一方、生命倫理学は[[科学哲学]]と[[生物工学|バイオテクノロジーの]]問題に触れながら、より広範な用途を持っている。 しかしながら、2つの分野はしばしば重なり合い、区別は専門的な合意というよりもスタイルの問題である。医療倫理は、[[看護倫理]]など、他の部門にも裾野を広げ、多くの原則を共有しています。 生命倫理学者は、生と死の理解に関わる道徳的問題を調べ、医学と科学における倫理的ジレンマを解決することにおいて、ヘルスケアと研究のコミュニティを支援する。この例としては、医療の平等問題、文化的実践と医療実践の交差、そしてバイオテロ問題などが挙げられる<ref>{{Cite journal|date=October 2016|title=Medical Need, Equality, and Uncertainty|journal=Bioethics|volume=30|issue=8|pages=588–96|doi=10.1111/bioe.12257|pmid=27196999}}</ref>。


== 種々の観点及び方法論 ==
== 種々の観点及び方法論 ==
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多くの宗教共同体は生命倫理的問題への探究の歴史を持ち、それぞれの[[信仰]]の観点からこれらの問題にどう対処するかについての規則と[[診療ガイドライン|ガイドライン]]を発展させた。ユダヤ人 、クリスチャン、そしてイスラム教徒の信仰は、それぞれこれらの問題に関してかなりの数の文献を残している<ref>As regards the Christian Orthodox perspective see e.g. [[Constantine B. Scouteris]], ''Bioethics in the light of orthodox anthropology'', Polytechnic School of Crete (ed), ''First International Conference: Christian Anthropology and Biotechnological Progress'' (Financially Supported by CTNS, U.S.A.), Orthodox Academy of Crete, 26–29 September 2002, pp. 75-81.</ref>。多くの非西洋文化の場合、宗教と哲学との厳密な分離は存在しない。例えば、多くのアジアの文化では、生命倫理問題について活発な議論があり、仏教の生命倫理は、一般的に、合理的で実用的なアプローチにつながる自然主義的な見方を特徴としている。インドでは、 [[ヴァンダナ・シヴァ|Vandana Shiva]]は[[ヒンドゥー教徒|ヒンズー教の]]伝統から語る有力な生命倫理学者である。アフリカでは、そして部分的にはラテンアメリカでも、生命倫理に関する議論は、未開発地域と地政学的権力関係の文脈におけるその実際的な関連性にしばしば焦点を当てている<ref>{{Cite book|title=Basics of Bioethics and Safety|publisher=Nova Knyha|year=2012|isbn=978-966-382-407-9|location=|pages=}}</ref>。アフリカでは、彼らの生命倫理的アプローチは西洋の生命倫理の影響を受けているが、人々は変化を求めており、アフリカの先住民の哲学が適用されるべきであると感じている。その信念は、アフリカ人は彼ら自身の文化に根ざした生命倫理的アプローチを受け入れる可能性が高くなり、それがアフリカの人々に力を与え、彼らに尊厳を与えるだろうということである<ref>{{Cite journal|date=2013|title=Towards an Indigenous African Bioethics|url=http://sajbl.org.za/index.php/sajbl/article/view/255/289|journal=The South African Journal of Bioethics and Law|volume=6|pages=}}</ref>。  
多くの宗教共同体は生命倫理的問題への探究の歴史を持ち、それぞれの[[信仰]]の観点からこれらの問題にどう対処するかについての規則と[[診療ガイドライン|ガイドライン]]を発展させた。ユダヤ人 、クリスチャン、そしてイスラム教徒の信仰は、それぞれこれらの問題に関してかなりの数の文献を残している<ref>As regards the Christian Orthodox perspective see e.g. [[Constantine B. Scouteris]], ''Bioethics in the light of orthodox anthropology'', Polytechnic School of Crete (ed), ''First International Conference: Christian Anthropology and Biotechnological Progress'' (Financially Supported by CTNS, U.S.A.), Orthodox Academy of Crete, 26–29 September 2002, pp. 75-81.</ref>。多くの非西洋文化の場合、宗教と哲学との厳密な分離は存在しない。例えば、多くのアジアの文化では、生命倫理問題について活発な議論があり、仏教の生命倫理は、一般的に、合理的で実用的なアプローチにつながる自然主義的な見方を特徴としている。インドでは、 [[ヴァンダナ・シヴァ|Vandana Shiva]]は[[ヒンドゥー教徒|ヒンズー教の]]伝統から語る有力な生命倫理学者である。アフリカでは、そして部分的にはラテンアメリカでも、生命倫理に関する議論は、未開発地域と地政学的権力関係の文脈におけるその実際的な関連性にしばしば焦点を当てている<ref>{{Cite book|title=Basics of Bioethics and Safety|publisher=Nova Knyha|year=2012|isbn=978-966-382-407-9|location=|pages=}}</ref>。アフリカでは、彼らの生命倫理的アプローチは西洋の生命倫理の影響を受けているが、人々は変化を求めており、アフリカの先住民の哲学が適用されるべきであると感じている。その信念は、アフリカ人は彼ら自身の文化に根ざした生命倫理的アプローチを受け入れる可能性が高くなり、それがアフリカの人々に力を与え、彼らに尊厳を与えるだろうということである<ref>{{Cite journal|date=2013|title=Towards an Indigenous African Bioethics|url=http://sajbl.org.za/index.php/sajbl/article/view/255/289|journal=The South African Journal of Bioethics and Law|volume=6|pages=}}</ref>。  


日本では、[[森岡正博]]によると、1970年代初頭に障害者活動家やフェミニストが生命倫理運動を始め、1980年代半ばには学術的な生命倫理が始まったと主張している。この期間中、脳死と障害に関する独自の哲学的議論が、アカデミーとジャーナリズムの両方に現れた<ref>{{Cite journal|date=July 2015|title=Feminism, Disability, and Brain Death: Alternative Voices from Japanese Bioethics|url=http://www.lifestudies.org/feminismdisability01.html|journal=Journal of Philosophy of Life|volume=5|issue=1|pages=19–41}}</ref>。中国の文化と生命倫理では、西洋の生命倫理が自主([[オートノミー]])に強い重点が置かれるのとは対照的に、それほど自主([[オートノミー]])に重点が置かれていない。コミュニティ、社会的価値観、そして家族はすべて中国文化において非常に高く評価されており、中国の生命倫理における自主性に重点を置いていないことに寄与していると言える。中国人は、家族、地域社会、そして個人は互いに相互依存関係にあると信じているので、家族のために独立した決断を下すのではなく、家族単位が愛する人のために健康管理と医学的決断に関する決定をまとめるのが一般的である<ref>{{Cite journal|date=November 2000|title=Bioethics for clinicians: 20. Chinese bioethics|journal=CMAJ|volume=163|issue=11|pages=1481–5|PMID=11192658|PMC=80420}}</ref>。
日本では、[[森岡正博]]によると、1970年代初頭に障害者活動家やフェミニストが生命倫理運動を始め、1980年代半ばには学術的な生命倫理が始まったと主張している。この期間中、脳死と障害に関する独自の哲学的議論が、アカデミーとジャーナリズムの両方に現れた<ref>{{Cite journal|date=July 2015|title=Feminism, Disability, and Brain Death: Alternative Voices from Japanese Bioethics|url=http://www.lifestudies.org/feminismdisability01.html|journal=Journal of Philosophy of Life|volume=5|issue=1|pages=19–41}}</ref>。中国の文化と生命倫理では、西洋の生命倫理が自主([[オートノミー]])に強い重点が置かれるのとは対照的に、それほど自主([[オートノミー]])に重点が置かれていない。コミュニティ、社会的価値観、そして家族はすべて中国文化において非常に高く評価されており、中国の生命倫理における自主性に重点を置いていないことに寄与していると言える。中国人は、家族、地域社会、そして個人は互いに相互依存関係にあると信じているので、家族のために独立した決断を下すのではなく、家族単位が愛する人のために健康管理と医学的決断に関する決定をまとめるのが一般的である<ref>{{Cite journal|date=November 2000|title=Bioethics for clinicians: 20. Chinese bioethics|journal=CMAJ|volume=163|issue=11|pages=1481–5|pmid=11192658|pmc=80420}}</ref>。


中には、スピリチュアルにお互いの霊的存在および道徳的主体としての相互理解する関係は、生命倫理の重要な側面であり、霊性と生命倫理は互いに深く絡み合っていると主張する人も存在する。医療提供者として、さまざまな世界観や宗教的信念を知って理解することが重要であり、この知識と理解を持つことは、医療提供者に彼らの患者をより良く治療しそして奉仕する能力を与えることができるようになり、患者の道徳的要因のつながりと背景理解を深めることは、患者に提供されるケアを向上させるのに役立つ。このつながりや理解がなければ、患者は「顔のない仕事の単位」になったり、語るべき人の生や精神的な存在とは対照的に、単なる「病状の症例」と見なされたりする危険性があるという<ref name="pmid11660133">{{Cite journal|date=1995|title=Spirituality, health care, and bioethics|journal=Journal of Religion and Health|volume=34|issue=4|pages=329–49|DOI=10.1007/BF02248742|PMID=11660133}}</ref>。
中には、スピリチュアルにお互いの霊的存在および道徳的主体としての相互理解する関係は、生命倫理の重要な側面であり、霊性と生命倫理は互いに深く絡み合っていると主張する人も存在する。医療提供者として、さまざまな世界観や宗教的信念を知って理解することが重要であり、この知識と理解を持つことは、医療提供者に彼らの患者をより良く治療しそして奉仕する能力を与えることができるようになり、患者の道徳的要因のつながりと背景理解を深めることは、患者に提供されるケアを向上させるのに役立つ。このつながりや理解がなければ、患者は「顔のない仕事の単位」になったり、語るべき人の生や精神的な存在とは対照的に、単なる「病状の症例」と見なされたりする危険性があるという<ref name="pmid11660133">{{Cite journal|date=1995|title=Spirituality, health care, and bioethics|journal=Journal of Religion and Health|volume=34|issue=4|pages=329–49|doi=10.1007/BF02248742|pmid=11660133}}</ref>。


=== イスラム生命倫理 ===
=== イスラム生命倫理 ===
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他のほとんどの状況と同様に、イスラムの生命倫理学者たちは、クルアーンと宗教の指導者たちに、生殖と中絶に関する彼らの見解を求め、人間の生殖は婚姻によってのみ正当なものだと確信する。これは、子供が夫婦間の性交を介してのみ生まれるべき、という意味ではなく、子供を産む唯一の適切かつ合法的な方法は、夫と妻の間の行為である場合ということである。つまり、結婚しているカップルが現代のバイオテクノロジーを用いて人口の技術を使い子供を産むことはOKだが、結婚の婚外関係においてこれを行うことは淫らな不道徳とみなされる。
他のほとんどの状況と同様に、イスラムの生命倫理学者たちは、クルアーンと宗教の指導者たちに、生殖と中絶に関する彼らの見解を求め、人間の生殖は婚姻によってのみ正当なものだと確信する。これは、子供が夫婦間の性交を介してのみ生まれるべき、という意味ではなく、子供を産む唯一の適切かつ合法的な方法は、夫と妻の間の行為である場合ということである。つまり、結婚しているカップルが現代のバイオテクノロジーを用いて人口の技術を使い子供を産むことはOKだが、結婚の婚外関係においてこれを行うことは淫らな不道徳とみなされる。


また、イスラム生命倫理は中絶に強く反対し、それを厳しく禁じている。イスラーム医科学機構 - The Islamic Organization of Medical Sciences (IOMS) は、「受精卵が女性の身体の中に落ち着いた瞬間から、満場一致で認識される程度の尊敬に値する」と述べている。中絶は、それが「より悪くない悪」として特別な状況でのみ認められてきた<ref name=":0">{{Cite journal|date=March 2013|title=Brain death in Islamic ethico-legal deliberation: challenges for applied Islamic bioethics|journal=Bioethics|volume=27|issue=3|pages=132–9|DOI=10.1111/j.1467-8519.2011.01935.x|PMID=22150919}}</ref>。
また、イスラム生命倫理は中絶に強く反対し、それを厳しく禁じている。イスラーム医科学機構 - The Islamic Organization of Medical Sciences (IOMS) は、「受精卵が女性の身体の中に落ち着いた瞬間から、満場一致で認識される程度の尊敬に値する」と述べている。中絶は、それが「より悪くない悪」として特別な状況でのみ認められてきた<ref name=":0">{{Cite journal|date=March 2013|title=Brain death in Islamic ethico-legal deliberation: challenges for applied Islamic bioethics|journal=Bioethics|volume=27|issue=3|pages=132–9|doi=10.1111/j.1467-8519.2011.01935.x|pmid=22150919}}</ref>。


=== 遺伝子治療における倫理的問題 ===
=== 遺伝子治療における倫理的問題 ===
人体の基本的構成要素である遺伝子に科学者たちが変更を加える[[遺伝子治療]]は倫理が関わる<ref name=":1">{{Cite web|url=https://medlineplus.gov/medicalethics.html|title=Medical Ethics|website=medlineplus.gov|accessdate=2019-05-06}}</ref>問題である。現在、特定の身体部分の細胞を編集することによって特定の遺伝的疾患を治療するための治療的遺伝子治療が利用可能となっている。例えば、遺伝子治療は造血器疾患を治療することができる<ref>{{Cite journal|last=Kohn|first=Donald B.|last2=Porteus|first2=Matthew H.|last3=Scharenberg|first3=Andrew M.|date=May 26, 2016|title=Ethical and regulatory aspects of genome editing|journal=Blood|volume=127|issue=21|pages=2553–2560|DOI=10.1182/blood-2016-01-678136|ISSN=1528-0020|PMID=27053531}}</ref>。「生殖細胞系遺伝子治療」と呼ばれる物議を醸す遺伝子治療もある。そこでは、精子や卵の中の遺伝子を編集して、将来の世代の遺伝的障害を予防する。この種の遺伝子治療が長期的な人間の発達にどのように影響するかは不明である。現在、米国では、連邦の資金で生殖細胞系遺伝子治療を研究することはできない<ref name=":1" />。
人体の基本的構成要素である遺伝子に科学者たちが変更を加える[[遺伝子治療]]は倫理が関わる<ref name=":1">{{Cite web|url=https://medlineplus.gov/medicalethics.html|title=Medical Ethics|website=medlineplus.gov|accessdate=2019-05-06}}</ref>問題である。現在、特定の身体部分の細胞を編集することによって特定の遺伝的疾患を治療するための治療的遺伝子治療が利用可能となっている。例えば、遺伝子治療は造血器疾患を治療することができる<ref>{{Cite journal|last=Kohn|first=Donald B.|last2=Porteus|first2=Matthew H.|last3=Scharenberg|first3=Andrew M.|date=May 26, 2016|title=Ethical and regulatory aspects of genome editing|journal=Blood|volume=127|issue=21|pages=2553–2560|doi=10.1182/blood-2016-01-678136|issn=1528-0020|pmid=27053531}}</ref>。「生殖細胞系遺伝子治療」と呼ばれる物議を醸す遺伝子治療もある。そこでは、精子や卵の中の遺伝子を編集して、将来の世代の遺伝的障害を予防する。この種の遺伝子治療が長期的な人間の発達にどのように影響するかは不明である。現在、米国では、連邦の資金で生殖細胞系遺伝子治療を研究することはできない<ref name=":1" />。


== 教育 ==
== 教育 ==
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=== カナダ ===
=== カナダ ===
カナダにおいては、すべての医学部は生命倫理を教えており、学生は生物医学倫理について理解し、将来のキャリアにおいて得た知識を使ってより良い患者ケアを提供することができる。カナダの研修医訓練プログラムはその認定の条件の一つとして生命倫理学を教えることを義務化しており、それはカナダの家族医科大学およびカナダの王立医科大学での必須課程ともなっている<ref name="pmid11338804">{{Cite journal|date=April 2001|title=Bioethics for clinicians: 25. Teaching bioethics in the clinical setting|url=http://www.cmaj.ca/content/164/8/1163.full|journal=CMAJ : Canadian Medical Association Journal = Journal de l'Association Medicale Canadienne|volume=164|issue=8|pages=1163–7|DOI=|PMID=11338804|PMC=80975}}</ref>。
カナダにおいては、すべての医学部は生命倫理を教えており、学生は生物医学倫理について理解し、将来のキャリアにおいて得た知識を使ってより良い患者ケアを提供することができる。カナダの研修医訓練プログラムはその認定の条件の一つとして生命倫理学を教えることを義務化しており、それはカナダの家族医科大学およびカナダの王立医科大学での必須課程ともなっている<ref name="pmid11338804">{{Cite journal|date=April 2001|title=Bioethics for clinicians: 25. Teaching bioethics in the clinical setting|url=http://www.cmaj.ca/content/164/8/1163.full|journal=CMAJ : Canadian Medical Association Journal = Journal de l'Association Medicale Canadienne|volume=164|issue=8|pages=1163–7|doi=|pmid=11338804|pmc=80975}}</ref>。


=== 日本 ===
=== 日本 ===
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研究として、生命倫理学はまた批判をも集めている。 例えば、Paul Farmerは、生命倫理学は、先進国の患者に対する「過剰な医療」から生じる問題に焦点をあてる傾向があるが、世界における貧困における倫理的問題にはほとんど、または全く注意を払わないと述べた<ref>{{Cite book|last=Farmer|first=Paul|title=Pathologies of Power|pages=196–212}}</ref>。Farmerは、通常先進国の病院で道徳的に困難な臨床状況を取り扱うことの生命倫理を「二次倫理」として特徴付けている<ref>{{Cite book|last=Farmer|first=Paul|title=Pathologies of Power|page=205}}</ref>。彼は、二次倫理と臨床生命倫理を重要ではないと考えているわけではなく、彼はむしろ、生命倫理は貧しい人々に十分な重みを与えバランスが取れていなければならないと主張する。
研究として、生命倫理学はまた批判をも集めている。 例えば、Paul Farmerは、生命倫理学は、先進国の患者に対する「過剰な医療」から生じる問題に焦点をあてる傾向があるが、世界における貧困における倫理的問題にはほとんど、または全く注意を払わないと述べた<ref>{{Cite book|last=Farmer|first=Paul|title=Pathologies of Power|pages=196–212}}</ref>。Farmerは、通常先進国の病院で道徳的に困難な臨床状況を取り扱うことの生命倫理を「二次倫理」として特徴付けている<ref>{{Cite book|last=Farmer|first=Paul|title=Pathologies of Power|page=205}}</ref>。彼は、二次倫理と臨床生命倫理を重要ではないと考えているわけではなく、彼はむしろ、生命倫理は貧しい人々に十分な重みを与えバランスが取れていなければならないと主張する。


加えて、生命倫理学は、特に人種に関して、思考の多様性の欠如から非難されてきた。 この分野が世論、政策決定、医学的決定の分野を含むようになったとしても、人種間の交差、特にその構築に生かされた文化的価値と生命倫理学文献との間の学術的な執筆はほとんどまたは全く書かれていない。 John Hobermanはこれを2016年の批評で説明しており、そこでは生命倫理学者たちは社会学的および歴史的に関連のある応用を含むように彼らの言説を拡大することに伝統的に抵抗してきた<ref>{{Cite journal|year=2016|title=Why Bioethics Has a Race Problem|journal=The Hastings Center Report|volume=46|issue=2|pages=12–8|DOI=10.1002/hast.542|PMID=27120279}}</ref>。これの中心となるのが、 白人普遍性の概念であり、これは生命倫理学界における白人の[[覇権|覇権的]]構造の優位性を確立し<ref>{{Cite journal|year=2003|title=White normativity and subsequent critical race deconstruction of bioethics|journal=The American Journal of Bioethics|volume=3|issue=2|pages=22–3|DOI=10.1162/152651603766436144|PMID=12859809}}</ref>、既存のバイアスを強化する傾向がある、と指摘する。しかしながら、生命倫理学における思考の多様性の欠如および社会的包摂性に関する異なる見解もまた進展している。思想史家HeikkiSaxénは、思考の多様性と社会的包摂性は、完全には実現されていないにも関わらず、生命倫理の2つの重要な基礎であると主張した<ref>{{Cite book|url=http://tampub.uta.fi/bitstream/handle/10024/101926/978-952-03-0523-9.pdf?sequence=1&isAllowed=y|title=A Cultural Giant: An interpretation of bioethics in light of its intellectual and cultural history|last=Saxén|first=Heikki|publisher=Tampere University Press|year=2017|isbn=978-952-03-0523-9|location=Tampere|pages=}}</ref>。
加えて、生命倫理学は、特に人種に関して、思考の多様性の欠如から非難されてきた。 この分野が世論、政策決定、医学的決定の分野を含むようになったとしても、人種間の交差、特にその構築に生かされた文化的価値と生命倫理学文献との間の学術的な執筆はほとんどまたは全く書かれていない。 John Hobermanはこれを2016年の批評で説明しており、そこでは生命倫理学者たちは社会学的および歴史的に関連のある応用を含むように彼らの言説を拡大することに伝統的に抵抗してきた<ref>{{Cite journal|year=2016|title=Why Bioethics Has a Race Problem|journal=The Hastings Center Report|volume=46|issue=2|pages=12–8|doi=10.1002/hast.542|pmid=27120279}}</ref>。これの中心となるのが、 白人普遍性の概念であり、これは生命倫理学界における白人の[[覇権|覇権的]]構造の優位性を確立し<ref>{{Cite journal|year=2003|title=White normativity and subsequent critical race deconstruction of bioethics|journal=The American Journal of Bioethics|volume=3|issue=2|pages=22–3|doi=10.1162/152651603766436144|pmid=12859809}}</ref>、既存のバイアスを強化する傾向がある、と指摘する。しかしながら、生命倫理学における思考の多様性の欠如および社会的包摂性に関する異なる見解もまた進展している。思想史家HeikkiSaxénは、思考の多様性と社会的包摂性は、完全には実現されていないにも関わらず、生命倫理の2つの重要な基礎であると主張した<ref>{{Cite book|url=http://tampub.uta.fi/bitstream/handle/10024/101926/978-952-03-0523-9.pdf?sequence=1&isAllowed=y|title=A Cultural Giant: An interpretation of bioethics in light of its intellectual and cultural history|last=Saxén|first=Heikki|publisher=Tampere University Press|year=2017|isbn=978-952-03-0523-9|location=Tampere|pages=}}</ref>。


== 分野 ==
== 分野 ==

2020年1月25日 (土) 04:08時点における版

生命倫理学(せいめいりんりがく、: Bioethics、生命倫理、バイオエシクス)とは、生物学医学の発展から生じた種々の倫理的な問題を研究する学問である。またそれは医療におけるポリシーと実践に関連する道徳的な見識とすることもできる。生命倫理はライフサイエンスバイオテクノロジー医学医療倫理政治法律、そして哲学といった分野の関係性において生じる倫理的な問題を扱い、他の医学分野(例えばプライマリーケアにおけるプライマリーケア倫理英語版など)に関連する価値観の探求をも含む。倫理(学)とは生物科学の領域の外にあるその他多くの科学にも関連するものなのである。

語源

生命倫理Bioethicsギリシャ語bios, life, 命; ethos, behavior, 振る舞い)という用語は、1926年に、「生命倫理的義務」と題する科学的研究における動植物の使用に関する記事において Fritz Jahr(1895-1953)によって造られたものである[1]

1970年、アメリカの生化学者で腫瘍学の教授だったヴァン・R ・ポッター英語版は、この用語を用いて生物圏と増え続ける人口の間の関係を説明した。ポッターの仕事は、生物学、生態学、医学、そして人間の価値観との関連性を中心とした分野であり、グローバル倫理英語版(Global justice)の基礎を築いた[2] [3]

目的と範囲

生命倫理学の分野は、命の境界をめぐる議論(例えば中絶安楽死)、代理出産、貧弱なヘルスケア資源の配分(例えば臓器提供 、医薬品の配給)から、宗教的または文化的な理由で医療を拒否する権利まで、人間の探究における広い範囲を扱ってきた。生命倫理学者は、その分野が生物学と医学を含むすべての問題の倫理的評価に関心を持つべきか、あるいはこれらの問題のサブセットのみに関心を持つべきかについて議論しながら、その分野の厳密な限界については意見を異にする[4]。生命倫理学者の中には、倫理的評価を医学的治療または技術革新の道徳性、そして人間の医学的治療のタイミングのみに限定する人もいる。他の人たちは、恐れを感じることができる生物を助けたり害を与えたりするかもしれないすべての行動の道徳性を含むように倫理的評価の範囲を広げるかもしれない。

生命倫理学の範囲は、クローニング遺伝子治療延命人間の遺伝子工学、宇宙倫理学、宇宙での生[5]、そしてDNAXNA、タンパク質の改変による基礎生物学の操作など、バイオテクノロジーによって拡大されていく[6]。これらの発展は将来の進化に影響を及ぼすもので、その基本的な生物学的プロセスおよび構造に基づき繁殖を追求する生命そのものを重視した生物倫理英語版(Biotic ethics)など、今後、生命そのものに取り組む新しい原則が必要となってくる可能性がある[7]

原則

現代の生命倫理学者が最初に取り組んだ分野の一つは、非倫理的な人体実験(またはヒトを対象にした研究)の分野だった。1974年にアメリカ合衆国で最初に設立された、生物医学および行動研究の被験者保護委員会英語版は、ヒト対象を含む生物医学および行動研究の実施の根底にあるべき基本的な倫理原則を定めた。

その「ベルモント・レポート(1979)」として発表された基本的な原則、 「人への敬意(respect for persons)」、「与益(beneficence)」 、そして「正義」、の原則は、その後の幅広い分野にわたる生命倫理学者の考え方に影響を与えた。後の人々は、これらの価値観に、「無加害(non-maleficence)」、「人間の尊厳(human dignity)」、そして「生命の尊厳(the sanctity of life)」を加えた。全体的に見て、ベルモント・レポートは脆弱な被験者を保護することと研究者と被験者の間の透明性を推進することに焦点を合わせた方向で研究を導いてきた。研究は過去40年以内に盛んになり、技術の進歩により、ヒトを対象にした研究は(ヘルシンキ宣言などもあるが)ベルモント・レポートの範囲を凌駕していると考えられ、改訂が望まれている[8]

多くの生命倫理学者にとって、特に医学研究者は、「自主尊重原則自己決定権」を最優先事項とする。各患者は自分の信念に沿って、自分が最も考慮する行動方針を決定するべきであると考えている。 言い換えれば、患者は常に自分の治療を選択する自由を持つべきということである[9]

  • ただし、日本の医療の分野では、「患者の自主権・自己決定」の文脈においてしばしば「自律性」と誤訳した上で「患者が自分を律して自己規制すること」などと正反対の「患者の権利を否定」するような意味で誤用されている

生命倫理のもう一つの重要な原則は、議論と発表に価値を置く、という事である。 そのような目標を擁護するために、米国中の大学には、議論に基づいた多数の生命倫理グループが存在している。例としては、オハイオ州立生命倫理学会[10]およびコーネル大の生命倫理学会が挙げられる[11]。これらの組織のプロフェッショナルレベルのバージョンも存在している。

医療倫理

倫理は、医療提供者と患者によって行われる医療上の決定に影響を与える[12]医療倫理は、医学に適用される道徳的価値観と判断の学問である。 4つの主な道徳的約束は、自主尊重原則(自己決定権)(autonomy)、無加害原則(non-maleficence)、 与益原則(beneficence)、および公平・正義の原則である。 これらの4原則を使用し、医師の具体的な関心事が彼らの実践の範囲に対するものであることについて考えることは、医師が道徳的な決定を下すのに役立つものとなる[13]。学問分野として、医療倫理学は臨床の場でのその実際的な応用とその歴史、哲学、神学、そして社会学の研究を含む。

医療倫理は専門的倫理の応用として狭義に理解される傾向がある。一方、生命倫理学は科学哲学バイオテクノロジーの問題に触れながら、より広範な用途を持っている。 しかしながら、2つの分野はしばしば重なり合い、区別は専門的な合意というよりもスタイルの問題である。医療倫理は、看護倫理など、他の部門にも裾野を広げ、多くの原則を共有しています。 生命倫理学者は、生と死の理解に関わる道徳的問題を調べ、医学と科学における倫理的ジレンマを解決することにおいて、ヘルスケアと研究のコミュニティを支援する。この例としては、医療の平等問題、文化的実践と医療実践の交差、そしてバイオテロ問題などが挙げられる[14]

種々の観点及び方法論

生命倫理学者は多種多様なバックグラウンドを持ち、多様な分野の訓練を受けている。

この分野には、ライス大学のH. Tristram Engelhardt、ライス大学のBaruch Brody、プリンストン大学のPeter Singer、ヘイスティングスセンターの Daniel Callahan 、ハーバード大学のDaniel Brockなどの哲学の訓練を受けた個人。また、シカゴ大学のMark Sieglerやコーネル大学のJoseph Finsのような医学的に訓練された臨床医倫理学者。アルバートアインシュタイン医科大学のNancy Dubler、または連邦人間保護局(Office for Human Research Protections)のJerry Menikoffなどの弁護士。フランシス・フクヤマのような政治学者。ジェームズ・チルドレスを含む宗教学者。ジョージワシントン大学のAmitai Etzioniのような公の知識人。そしてLisa Sowle CahillやStanley Hauerwasのような神学者たち。以前は正式に訓練を受けた哲学者によって専有されてきたこの分野は、ますます学際的になっており、分析哲学の方法は、この分野の発展にマイナスの影響を与えていると主張する、いくつかの批評家までも含まれるようになった。生命倫理学はまたAlfred North Whiteheadによって開発されたプロセス哲学から恩恵を受けている。

この分野の主要ジャーナルには、 Journal of Medicine and Philosophy 、The Hastings Center ReportAmerican Journal of BioethicsJournal of Medical EthicsBioethicsKennedy Institute of Ethics Journal 、およびCambridge Quarterly of Healthcare Ethicsなどが存在する[15]

多くの宗教共同体は生命倫理的問題への探究の歴史を持ち、それぞれの信仰の観点からこれらの問題にどう対処するかについての規則とガイドラインを発展させた。ユダヤ人 、クリスチャン、そしてイスラム教徒の信仰は、それぞれこれらの問題に関してかなりの数の文献を残している[16]。多くの非西洋文化の場合、宗教と哲学との厳密な分離は存在しない。例えば、多くのアジアの文化では、生命倫理問題について活発な議論があり、仏教の生命倫理は、一般的に、合理的で実用的なアプローチにつながる自然主義的な見方を特徴としている。インドでは、 Vandana Shivaヒンズー教の伝統から語る有力な生命倫理学者である。アフリカでは、そして部分的にはラテンアメリカでも、生命倫理に関する議論は、未開発地域と地政学的権力関係の文脈におけるその実際的な関連性にしばしば焦点を当てている[17]。アフリカでは、彼らの生命倫理的アプローチは西洋の生命倫理の影響を受けているが、人々は変化を求めており、アフリカの先住民の哲学が適用されるべきであると感じている。その信念は、アフリカ人は彼ら自身の文化に根ざした生命倫理的アプローチを受け入れる可能性が高くなり、それがアフリカの人々に力を与え、彼らに尊厳を与えるだろうということである[18]。  

日本では、森岡正博によると、1970年代初頭に障害者活動家やフェミニストが生命倫理運動を始め、1980年代半ばには学術的な生命倫理が始まったと主張している。この期間中、脳死と障害に関する独自の哲学的議論が、アカデミーとジャーナリズムの両方に現れた[19]。中国の文化と生命倫理では、西洋の生命倫理が自主(オートノミー)に強い重点が置かれるのとは対照的に、それほど自主(オートノミー)に重点が置かれていない。コミュニティ、社会的価値観、そして家族はすべて中国文化において非常に高く評価されており、中国の生命倫理における自主性に重点を置いていないことに寄与していると言える。中国人は、家族、地域社会、そして個人は互いに相互依存関係にあると信じているので、家族のために独立した決断を下すのではなく、家族単位が愛する人のために健康管理と医学的決断に関する決定をまとめるのが一般的である[20]

中には、スピリチュアルにお互いの霊的存在および道徳的主体としての相互理解する関係は、生命倫理の重要な側面であり、霊性と生命倫理は互いに深く絡み合っていると主張する人も存在する。医療提供者として、さまざまな世界観や宗教的信念を知って理解することが重要であり、この知識と理解を持つことは、医療提供者に彼らの患者をより良く治療しそして奉仕する能力を与えることができるようになり、患者の道徳的要因のつながりと背景理解を深めることは、患者に提供されるケアを向上させるのに役立つ。このつながりや理解がなければ、患者は「顔のない仕事の単位」になったり、語るべき人の生や精神的な存在とは対照的に、単なる「病状の症例」と見なされたりする危険性があるという[21]

イスラム生命倫理

イスラムにおける生命倫理は西洋生命倫理とは異なるところもあるが、いくつかの共通点もある。西洋の生命倫理は権利、特に個人の権利に焦点を当てる。一方で、イスラム生命倫理はイスラム教的義務としての治療と生命保全といった見方を取る[22]。イスラム生命倫理は、クルアーン予言者ムハンマドの教えに強く影響を受け、これらの教えは、シャリーア法・イスラム法の一部となっている。

科学と医療の発展に対応するため、イスラム生命倫理学者たちは定期的に会合をもち、新しい問題について合意を形成するために努めている[23]。しかしながら、常に全会一致という訳ではなく、個々の意見は割れる場合もあり、イスラム教徒の間でも多様性があり、国などによってもシャリア法をどの程度解釈するか異なるものとなっている[24]

イスラム生命倫理学における生殖と中絶

他のほとんどの状況と同様に、イスラムの生命倫理学者たちは、クルアーンと宗教の指導者たちに、生殖と中絶に関する彼らの見解を求め、人間の生殖は婚姻によってのみ正当なものだと確信する。これは、子供が夫婦間の性交を介してのみ生まれるべき、という意味ではなく、子供を産む唯一の適切かつ合法的な方法は、夫と妻の間の行為である場合ということである。つまり、結婚しているカップルが現代のバイオテクノロジーを用いて人口の技術を使い子供を産むことはOKだが、結婚の婚外関係においてこれを行うことは淫らな不道徳とみなされる。

また、イスラム生命倫理は中絶に強く反対し、それを厳しく禁じている。イスラーム医科学機構 - The Islamic Organization of Medical Sciences (IOMS) は、「受精卵が女性の身体の中に落ち着いた瞬間から、満場一致で認識される程度の尊敬に値する」と述べている。中絶は、それが「より悪くない悪」として特別な状況でのみ認められてきた[25]

遺伝子治療における倫理的問題

人体の基本的構成要素である遺伝子に科学者たちが変更を加える遺伝子治療は倫理が関わる[12]問題である。現在、特定の身体部分の細胞を編集することによって特定の遺伝的疾患を治療するための治療的遺伝子治療が利用可能となっている。例えば、遺伝子治療は造血器疾患を治療することができる[26]。「生殖細胞系遺伝子治療」と呼ばれる物議を醸す遺伝子治療もある。そこでは、精子や卵の中の遺伝子を編集して、将来の世代の遺伝的障害を予防する。この種の遺伝子治療が長期的な人間の発達にどのように影響するかは不明である。現在、米国では、連邦の資金で生殖細胞系遺伝子治療を研究することはできない[12]

教育

アメリカ合衆国

アメリカ合衆国においては、生命倫理学は、哲学、医学、法学、社会科学など、さまざまな学問分野またはプログラムの大学の学部および大学院レベルのコースで教えられていいる。また、医学、看護といった医療専門育成プログラムにおいては、それぞれ各倫理(職業倫理医療倫理、治験倫理、看護倫理)を学ぶ事は、その資格認定の要件となっている。また、この分野への関心と専門的な需要[27]は、主に米国とヨーロッパで、生命倫理における濃度の濃い専門の[28]学部専攻、修士と博士の課程の創出につながっている。

カナダ

カナダにおいては、すべての医学部は生命倫理を教えており、学生は生物医学倫理について理解し、将来のキャリアにおいて得た知識を使ってより良い患者ケアを提供することができる。カナダの研修医訓練プログラムはその認定の条件の一つとして生命倫理学を教えることを義務化しており、それはカナダの家族医科大学およびカナダの王立医科大学での必須課程ともなっている[29]

日本

批判

研究として、生命倫理学はまた批判をも集めている。 例えば、Paul Farmerは、生命倫理学は、先進国の患者に対する「過剰な医療」から生じる問題に焦点をあてる傾向があるが、世界における貧困における倫理的問題にはほとんど、または全く注意を払わないと述べた[30]。Farmerは、通常先進国の病院で道徳的に困難な臨床状況を取り扱うことの生命倫理を「二次倫理」として特徴付けている[31]。彼は、二次倫理と臨床生命倫理を重要ではないと考えているわけではなく、彼はむしろ、生命倫理は貧しい人々に十分な重みを与えバランスが取れていなければならないと主張する。

加えて、生命倫理学は、特に人種に関して、思考の多様性の欠如から非難されてきた。 この分野が世論、政策決定、医学的決定の分野を含むようになったとしても、人種間の交差、特にその構築に生かされた文化的価値と生命倫理学文献との間の学術的な執筆はほとんどまたは全く書かれていない。 John Hobermanはこれを2016年の批評で説明しており、そこでは生命倫理学者たちは社会学的および歴史的に関連のある応用を含むように彼らの言説を拡大することに伝統的に抵抗してきた[32]。これの中心となるのが、 白人普遍性の概念であり、これは生命倫理学界における白人の覇権的構造の優位性を確立し[33]、既存のバイアスを強化する傾向がある、と指摘する。しかしながら、生命倫理学における思考の多様性の欠如および社会的包摂性に関する異なる見解もまた進展している。思想史家HeikkiSaxénは、思考の多様性と社会的包摂性は、完全には実現されていないにも関わらず、生命倫理の2つの重要な基礎であると主張した[34]

分野

健康科学の分野において、出版されており、ピアレビューを受けている生命倫理分析の主題は以下を含む:

人物

関連項目

出典

  1. ^ Rinčić, I., Muzur, A.: Fritz Jahr i rađanje europske bioetike (Fritz Jahr and the Birth of European Bioethics). Zagreb: Pergamena, 2012., p. 141 (Croatian)
  2. ^ Lolas, Fernando (2008). “Bioethics and animal research: A personal perspective and a note on the contribution of Fritz Jahr”. Biological Research (Santiago) 41 (1): 119–23. doi:10.4067/S0716-97602008000100013. 
  3. ^ Goldim, J. R. (2009). Revisiting the beginning of bioethics: The contributions of Fritz Jahr (1927). Perspect Biol Med, Sum, 377–80.
  4. ^ “The nature of bioethics revisited: a comment on Tomislav Bracanović”. Developing World Bioethics 14 (2): 109–10. (August 2014). doi:10.1111/dewb.12008. PMID 23279218. 
  5. ^ Astroethics”. 2013年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2005年12月21日閲覧。
  6. ^ Synthetic Biology. New Jersey: World Scientific. (2012). ISBN 978-1-84816-862-6 
  7. ^ “Life-centered ethics, and the human future in space”. Bioethics 23 (8): 433–40. (October 2009). doi:10.1111/j.1467-8519.2008.00688.x. PMID 19077128. http://www.astro-ecology.com/PDFLifeCenteredBioethics2009Paper.pdf. 
  8. ^ “Rethinking the Belmont Report?”. The American Journal of Bioethics 17 (7): 15–21. (July 2017). doi:10.1080/15265161.2017.1329482. PMID 28661753. 
  9. ^ “Supporting patient autonomy: the importance of clinician-patient relationships”. Journal of General Internal Medicine 25 (7): 741–5. (July 2010). doi:10.1007/s11606-010-1292-2. PMC 2881979. PMID 20213206. https://ses.library.usyd.edu.au/bitstream/2123/11467/1/Supporting%20Patient%20Autonomy.pdf. 
  10. ^ The Bioethics Society of Ohio State”. Thebioethicssociety.org.ohio-state.edu. 2013年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月17日閲覧。
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外部リンク