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2020年1月25日 (土) 05:32時点における版

たけだ せいじ
竹田 靑滋
生年月日 (1960-04-16) 1960年4月16日(64歳)
出生地 日本の旗 日本 奈良県
血液型 O
職業 経営戦略室エグゼクティブ
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竹田 靑滋(たけだ せいじ、1960年4月16日[1][2] - )は、日本プロデューサー株式会社GAORA常務取締役[3]株式会社毎日放送経営戦略室エグゼクティブ。奈良県出身。血液型O型[2]

視聴者からの通称は「竹P」(たけぴー)。[要出典]

経歴

番組製作関係に携わるまで

東京大学文学部卒業後、1984年、毎日放送に入社。音楽や映画に興味があったのでドラマを志望していたという[4]報道局、営業局を経て、2002年7月に東京支社テレビ編成部に異動。報道局時代は、警察担当記者として、豊田商事事件グリコ・森永事件などに関わった[5]。自分で編集したり、原稿を書いたり、テロップを入れたり、取材で歩き回って足が腫れて、朝、靴が履けなかったことがあったという[4]

ドキュメンタリーの制作にも関わったことがあり、5年間ほど脳死や医療のドキュメンタリーを制作していた[4][5]

携わって以降(アニメ・特撮)

1996年に『ウルトラマンティガ』の製作に携わった後、後番組の『ウルトラマンダイナ』『ウルトラマンガイア』『ウルトラマンコスモス』といった、平成ウルトラマンシリーズ4作品の製作にも携わった。また、『ゾイド -ZOIDS-』や『ゾイド新世紀スラッシュゼロ』等、ゾイドシリーズの製作にも携わった。ただし、本人はアニメ雑誌『アニメージュ』のインタビューにおいて「担当当時は営業局に所属しており、制作としては直接携わってはいない」と述べている[要ページ番号]土曜18時枠丸谷嘉彦諸冨洋史両名の体制だった頃は、クレジットされていなかった。

2002年の『機動戦士ガンダムSEED』、2003年の『鋼の錬金術師』以降は、MBS製作アニメ作品のプロデューサー企画エグゼクティブプロデューサーなどを務めた。

なお、『SEED DESTINY』では竹田に似た「キングT@KED@」(キング タケダ)という関西弁を話す登場人物の声優も担当した。『鋼の錬金術師』の第13話にも、竹田に似たモブキャラクターが登場した。

アニメ・特撮以外

子供向け情報番組の『ブリンぶりん家』、『フューチャービーンズ〜みらい豆』や『ザ・ブレインサミット』などのスペシャル番組のチーフプロデューサーを務めた。

大阪城ホールで開催される『サントリー1万人の第九』を要約したテレビ番組(音楽番組)『1万人の第九』では2002年に事業局サイドのプロデューサーを務め、2003年より毎年事業局サイドのチーフプロデューサーを2006年まで務めていた[5][6]

2012年4月から9月までは、『衝撃速報!アカルイ☆ミライ』(日曜19:57 - 20:54)のプロデューサーを担当していた。

角川書店のスニーカー大賞では第14回から選考委員を務めている[7]

2013年6月19日までは、東京支社編成部副部長兼プロデューサーを担当し、翌日6月20日より東京制作室エグゼクティブ兼プロデューサー[8]、2015年6月25日より編成局長[9]。現在では、同局が関わる一部の劇場版のアニメ・ドラマ作品の製作に関わる程度である。2017年6月22日より編成局より独立したコンテンツビジネス局長の初代局長に就任。

作品に対する姿勢

竹田が関わっている作品の多くに大胆でエロチックなシーンやグロテスクな描写が含まれているが、これに関しては「リアリティのある作品にするため、妥協はしない」「私はこの演出が必要かどうかだと思う。(アニメを全て見終えて)必要だって思えばいいでしょう」などと発言している(『鋼の錬金術師』など原作にそのシーンがあるものも含む)[10]

ただ、2012年1月30日のデジタルハリウッド大学での講演では、『STAR DRIVER 輝きのタクト』のエロチックなシーン描写に関して『夕方と言う放送時間を考えたら、映像ソフト版とで表現を変えるべきだったかな、と言う反省点があった』と発言している[7]

彼の思想的側面を示す一端としては、月刊『アニメージュ』(2005年10月号)の取材では「自分は朝鮮総連と親密で、在日問題をやっていたことがある。万景峰号に3回乗ったことがある」という主旨の発言をしており、朝日新聞のインタビュー(2005年10月14日付・夕刊)に対して「(「BLOOD+では家族の絆を描きたい」と述べた後)世界中で戦争を起こし、殺人を行っているアメリカとは何かを問いたい」という回答を行っている。また、『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』公式サイト(2004年12月10日付)においては「『機動戦士ガンダムSEED』から引き続き、非戦を訴えたい」「(イラク戦争について)自分が作成したアニメを通して、視聴者に身近な問題として考えて欲しい」との主旨の発言を行っている。

諏訪道彦との関係

過去に雑誌『ニュータイプ』の企画で在阪ライバル局であるytvチーフプロデューサー諏訪道彦と2時間ほど対談した経緯がある。

担当番組

テレビアニメ・特撮

土曜夕方6時枠(土6)作品

日曜夕方5時枠(日5)作品

木曜深夜枠作品

アニメイズム

その他

劇場版アニメ・ドラマ

総集編アニメ

テレビドラマ

その他担当番組

脚注

  1. ^ 「BLOOD+ ON THE TRACKS」『CONTINUE Vol.24 スーパーマリオ20周年』、太田出版、2005年10月23日、135頁、ISBN 4-87233-987-8 
  2. ^ a b 大野修一(編)「この人に話を聞きたい 第八十一回 竹田青滋」『アニメージュ』2005年11月号、徳間書店、2005年11月10日、125頁。 
  3. ^ "役員人事の内定について" (PDF) (Press release). 株式会社GAORA. 23 May 2019. 2019年8月16日閲覧
  4. ^ a b c セミナーB「緊急会議 テレビ・番組 どうなっちゃうの?」”. eAT'09. イート金沢実行委員会 (2009年1月31日). 2010年5月7日閲覧。
  5. ^ a b c eAT'09ゲスト紹介”. eAT'09. イート金沢実行委員会 (2009年1月). 2010年5月7日閲覧。
  6. ^ テレビスタッフのチーフプロデューサーは寺西厚史2003年から2006年まで。ただし2002年の時はプロデューサー。
  7. ^ a b 厳しい環境でこそ作品作りが面白い、竹田靑滋プロデューサーのアニメ戦略 GIGAZINE 2012年1月31日、2月5日閲覧。
  8. ^ “人事、毎日放送”. 日本経済新聞. (2013年5月23日). http://www.nikkei.com/article/DGXNMSJD41302_T20C13A5000000/ 2013年9月20日閲覧。 
  9. ^ “人事、毎日放送”. 日本経済新聞. (2015年6月12日). http://www.nikkei.com/article/DGXLMSJD31601_S5A610C1000000/ 2015年7月15日閲覧。 
  10. ^ 機動戦士ガンダム00のイベントにおける発言を記載したブログ

関連項目

  • 丸谷嘉彦(2007年2月にMBSを定年退職した、元プロデューサー。竹田の師匠的存在にあたる)
  • 諸冨洋史(丸谷、竹田の補佐プロデューサー。2008年9月を境にアニメ部門から離れ、営業を経て現在は宣伝担当)
  • 丸山博雄(竹田の補佐プロデューサー。現在のMBSアニメ担当の要となる人物)
  • 前田俊博(竹田、丸山の補佐プロデューサー)

関連枠

外部リンク