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「12月の雨の日/はいからはくち」の版間の差分

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「12月の雨の日」は『[[はっぴいえんど (アルバム)|はっぴいえんど]]』、「はいからはくち」は『[[風街ろまん]]』それぞれの[[スタジオ・アルバム|アルバム]]収録曲。どちらもアルバムとはテイク違いのシングル・ヴァージョンで、{{Start date|1974}}発売の[[ベスト・アルバム]]『[[SINGLES (はっぴいえんどのアルバム)|SINGLES]]』と{{Start date|2004}}発売のBOXセット『[[はっぴいえんどBOX]]』に収録されたほか、「12月の雨の日」は、{{Start date|2013}}に発売された[[大瀧詠一|大滝詠一]]のオールタイム・ベスト・アルバム『[[Best Always]]』にも収録された。「12月の雨の日」は新録で、アルバム・ヴァージョンの4チャンネル録音と違ってこちらは8チャンネル録音。「はいからはくち」は新曲で、こちらがオリジナル・ヴァージョン。大滝のソロ・アルバム『[[大瀧詠一 (アルバム)|大瀧詠一]]』収録曲「ウララカ」の原型<ref>{{Cite journal |和書 |author=篠原章 |authorlink=篠原章 |title=ライヴ、編集アルバムとシングル |date=2000-07-31 |publisher=株式会社[[ミュージック・マガジン]] |journal=はっぴいな日々 |volume=19 |number=10 |ASIN=B001FADJZ2 |pages=114-117 |quote= }}</ref>。本作は、[[キングレコード|キング]]からの初リリース。その後、同年11月の[[スタジオ・アルバム|アルバム]]『風街ろまん』は[[アングラ・レコード・クラブ|URC]]から発売されたので、シングルとアルバムが異なる会社から出るという変則となった。
「12月の雨の日」は『[[はっぴいえんど (アルバム)|はっぴいえんど]]』、「はいからはくち」は『[[風街ろまん]]』それぞれの[[スタジオ・アルバム|アルバム]]収録曲。どちらもアルバムとはテイク違いのシングル・ヴァージョンで、{{Start date|1974}}発売の[[ベスト・アルバム]]『[[SINGLES (はっぴいえんどのアルバム)|SINGLES]]』と{{Start date|2004}}発売のBOXセット『[[はっぴいえんどBOX]]』に収録されたほか、「12月の雨の日」は、{{Start date|2013}}に発売された[[大瀧詠一|大滝詠一]]のオールタイム・ベスト・アルバム『[[Best Always]]』にも収録された。「12月の雨の日」は新録で、アルバム・ヴァージョンの4チャンネル録音と違ってこちらは8チャンネル録音。「はいからはくち」は新曲で、こちらがオリジナル・ヴァージョン。大滝のソロ・アルバム『[[大瀧詠一 (アルバム)|大瀧詠一]]』収録曲「ウララカ」の原型<ref>{{Cite journal |和書 |author=篠原章 |authorlink=篠原章 |title=ライヴ、編集アルバムとシングル |date=2000-07-31 |publisher=株式会社[[ミュージック・マガジン]] |journal=はっぴいな日々 |volume=19 |number=10 |asin=B001FADJZ2 |pages=114-117 |quote= }}</ref>。本作は、[[キングレコード|キング]]からの初リリース。その後、同年11月の[[スタジオ・アルバム|アルバム]]『風街ろまん』は[[アングラ・レコード・クラブ|URC]]から発売されたので、シングルとアルバムが異なる会社から出るという変則となった。


[[はっぴいえんど]]が在籍していたURCレコードは原盤制作会社でもあり、[[岡林信康]]のシングル盤は原盤供給という形で[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクター]]から発売されていた。{{Start date|1970}}の『[[全日本フォークジャンボリー|第2回中津川フォークジャンボリー]]』<ref group="注">V.A『自然と音楽の48時間 〜'70全日本フォークジャンボリー実況録音』 {{Start date|1970|10|10}}発売 [[キングレコード|KING]] 2LP:KR-7018-9</ref>のライブ盤供給を受けたキングの担当者だった[[三浦光紀]]が、はっぴいえんどの原盤供給も受けたいということで、「12月の雨の日 / はいからはくち」のキングからのシングル発売が決定した。普通の原盤供給ならば、同じ音源を使用するのが通例だが、グループの意向で、どうせ出すなら“シングル・ヴァージョン”を再録しようということになった。しかし、このような前例がないことから、その制作費をどこが持つのかという問題が起き、原盤及び販売会社が困ってしまったという。さらに悪いことに、一度録音した音源を惜しげもなくボツにして、また録音し直したいというグループのわがままから、制作費の高騰という問題も発生した。そこでキング・スタジオが提供されることになり、キングはシングル発売にこぎつけたという<ref name="album-notes_ohtaki">{{cite album-notes |title=[[大瀧詠一 (アルバム)|大瀧詠一]] |albumlink= |artist= |year=1995 |notestitle= |url= |first= |last=大瀧詠一 |authorlink=大瀧詠一 |coauthors= |page= |pages= |format=12cmCD |publisher=Yoo-Loo / [[ダブル・オーレコード|Oo Records]] |publisherid=OOCO 1 |location= |quote= }}</ref>。
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=== 12月の雨の日 ===
=== 12月の雨の日 ===
シングル・ヴァージョンのレコーディングには、[[ジョージ・ハリスン]]「[[マイ・スウィート・ロード]]」<ref group="注">[[ジョージ・ハリスン|George Harrison]]「[[マイ・スウィート・ロード|My Sweet Lord]]」Released in 23 November 1970 (US), [[アップル・レコード|Apple Records]] 7" single:2995</ref>を聴いた大滝詠一が、この曲でプロデュースを手掛けた[[フィル・スペクター]]と“再会”したことが大きく関係している。大滝によれば「アルバム・ヴァージョンではアコースティック・ギターは1本なんだよ。&lt;マイ・スウィート・ロード&gt;はギターが何本か入ってたよね。そこでシングル・ヴァージョンを録る時に[[小倉エージ]]もかんでいて{{Refnest |group="注" |小倉エージは当時、アート音楽出版の社員で、これまで[[北山修]]や[[はしだのりひことシューベルツ]]、[[ジャックス (バンド)|ジャックス]]、さらには[[六文銭 (音楽ユニット)|六文銭]]、[[中川五郎]]はじめURCレコードの制作現場に携わった。かねてからロック・バンドのレコーディングを望んでいたことから、かねてより面識があった[[細野晴臣]]に接触。[[岡林信康]]のバッキングのオファーをきっかけとして、結成間もないはっぴいえんどをURCレコードと契約させる。デビュー・アルバムの『はっぴいえんど』にはディレクターとして参加するが、レコーディング終了後マスターテープが完成した段階で体調を崩し、アルバム・リリースを前にアート音楽出版を退社。療養のため神戸に帰郷。その後、はっぴいえんどがバッキングを担当した岡林のシングル2作と本作には、既に社員ではなかったが収録に立ち会っていた<ref>{{Cite journal |和書 |author=小倉エージ |authorlink= |title=一枚のシングルからはじまった伝説 |date=2000-07-31 |publisher=株式会社ミュージック・マガジン |journal=はっぴいな日々 |volume=19 |number=10 |ASIN=B001FADJZ2 |pages=96-101 |quote=デビュー作のディレクターが見たはっぴいえんどの歩み }}</ref>。}}、これがいいね、という話になって、超盛り上がったんだよ。2回重ねよう、いや4回重ねようと。嬉しかったなぁ、あそこから始まってるんだよなぁ」<ref>{{Cite journal |和書 |author=萩原健太 |authorlink=萩原健太 |title=対談 大瀧詠一 × 山下達郎『フィル・スペクター “50年代”を発展させた新しいポップス制作術』 |date=2014-04-01 |publisher=株式会社ミュージック・マガジン |journal=大滝詠一 Talks About Niagara Complete Edition |volume=33 |number=7 |id={{全国書誌番号|00039156}} |pages=442-453 |quote=スペクターの凄さに気づいて }}</ref>という。さらに、「&lt;12月&gt;は空いたチャンネルに12弦ギターを山のようにダビングした。一人スペクター・サウンド。山崎さんと録音したキングのほうはロー・カットしている。タモやん(吉田保)と一緒にアオイでした録音のほうが、ギターは重ねてないけれどスペクターっぽい。というか『[[A LONG VACATION|ロンバケ]]』っぽいんだ、エコーの使い方が。ちゃんとマスタリングしたら同じような音にできそうな気がする」<ref>{{Cite journal |和書 |author=湯浅学 |authorlink= |title=1970-1972 |date=2014-04-01 |publisher=株式会社ミュージック・マガジン |journal=大滝詠一 Talks About Niagara Complete Edition |volume=33 |number=7 |id={{全国書誌番号|00039156}} |pages=6-43 |quote=はっぴいえんどの初シングル }}</ref>とも話していた。後に小倉は『[[レコード・コレクターズ]]』{{Start date|2014|3}}号にて「&lt;12月の雨の日&gt;の再収録時には、制作を主導する大滝がいた。同曲収録時でのジョージ・ハリスンの&lt;マイ・スウィート・ロード&gt;との出会いがフィル・スペクターの存在、自身の音楽的背景への再認識や追求の発端となり、自身のソロ活動に反映され、“[[ナイアガラ・レーベル|ナイアガラ]]”でのシリーズ作や『[[A LONG VACATION|ロング・バケイション]]』に連なる。再収録作の&lt;12月の雨の日&gt;こそは、大滝詠一としての旅立ちの始まりだった」<ref name="record̠collectors̠magazine̠201501_1" />と記している。また、この曲は{{Start date|1973|9|21}}、[[文京公会堂]]にて行われたラスト・ライブ“CITY -LAST TIME AROUND-”と{{Start date|1985|6|15}}に[[国立霞ヶ丘陸上競技場|国立競技場]]で行われたイベント“[[国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW|ALL TOGETHER NOW]]”での再結成ライブの両方ともにキーを半音上げて演奏され<ref name="record̠collectors̠magazine̠201501_2">{{Cite journal |和書 |author=篠原章 |authorlink= |title=特集 はっぴいえんど『全曲/全テイク・ガイド完全版』 |date=2014-03-01 |publisher=株式会社ミュージック・マガジン |journal=レコード・コレクターズ |volume=33 |number=4 |pages=52-61 |quote=風街ろまん }}</ref>、それぞれ『[[ライブ!! はっぴいえんど]]』<ref group="注">『[[ライブ!! はっぴいえんど]]』 {{Start date|1974|1|15}}発売 Bellwood ⁄ KING LP:OFL-20</ref>と『[[THE HAPPY END]]』<ref group="注">『[[THE HAPPY END]]』 {{Start date|1985|9|5}}発売 [[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|CBS/SONY]] LP:18AH 1993, {{Start date|1985|11|3}}発売 CBS/SONY CT:18KH 1755</ref>の2枚の[[ライブ・アルバム]]に収録された。
シングル・ヴァージョンのレコーディングには、[[ジョージ・ハリスン]]「[[マイ・スウィート・ロード]]」<ref group="注">[[ジョージ・ハリスン|George Harrison]]「[[マイ・スウィート・ロード|My Sweet Lord]]」Released in 23 November 1970 (US), [[アップル・レコード|Apple Records]] 7" single:2995</ref>を聴いた大滝詠一が、この曲でプロデュースを手掛けた[[フィル・スペクター]]と“再会”したことが大きく関係している。大滝によれば「アルバム・ヴァージョンではアコースティック・ギターは1本なんだよ。&lt;マイ・スウィート・ロード&gt;はギターが何本か入ってたよね。そこでシングル・ヴァージョンを録る時に[[小倉エージ]]もかんでいて{{Refnest |group="注" |小倉エージは当時、アート音楽出版の社員で、これまで[[北山修]]や[[はしだのりひことシューベルツ]]、[[ジャックス (バンド)|ジャックス]]、さらには[[六文銭 (音楽ユニット)|六文銭]]、[[中川五郎]]はじめURCレコードの制作現場に携わった。かねてからロック・バンドのレコーディングを望んでいたことから、かねてより面識があった[[細野晴臣]]に接触。[[岡林信康]]のバッキングのオファーをきっかけとして、結成間もないはっぴいえんどをURCレコードと契約させる。デビュー・アルバムの『はっぴいえんど』にはディレクターとして参加するが、レコーディング終了後マスターテープが完成した段階で体調を崩し、アルバム・リリースを前にアート音楽出版を退社。療養のため神戸に帰郷。その後、はっぴいえんどがバッキングを担当した岡林のシングル2作と本作には、既に社員ではなかったが収録に立ち会っていた<ref>{{Cite journal |和書 |author=小倉エージ |authorlink= |title=一枚のシングルからはじまった伝説 |date=2000-07-31 |publisher=株式会社ミュージック・マガジン |journal=はっぴいな日々 |volume=19 |number=10 |asin=B001FADJZ2 |pages=96-101 |quote=デビュー作のディレクターが見たはっぴいえんどの歩み }}</ref>。}}、これがいいね、という話になって、超盛り上がったんだよ。2回重ねよう、いや4回重ねようと。嬉しかったなぁ、あそこから始まってるんだよなぁ」<ref>{{Cite journal |和書 |author=萩原健太 |authorlink=萩原健太 |title=対談 大瀧詠一 × 山下達郎『フィル・スペクター “50年代”を発展させた新しいポップス制作術』 |date=2014-04-01 |publisher=株式会社ミュージック・マガジン |journal=大滝詠一 Talks About Niagara Complete Edition |volume=33 |number=7 |id={{全国書誌番号|00039156}} |pages=442-453 |quote=スペクターの凄さに気づいて }}</ref>という。さらに、「&lt;12月&gt;は空いたチャンネルに12弦ギターを山のようにダビングした。一人スペクター・サウンド。山崎さんと録音したキングのほうはロー・カットしている。タモやん(吉田保)と一緒にアオイでした録音のほうが、ギターは重ねてないけれどスペクターっぽい。というか『[[A LONG VACATION|ロンバケ]]』っぽいんだ、エコーの使い方が。ちゃんとマスタリングしたら同じような音にできそうな気がする」<ref>{{Cite journal |和書 |author=湯浅学 |authorlink= |title=1970-1972 |date=2014-04-01 |publisher=株式会社ミュージック・マガジン |journal=大滝詠一 Talks About Niagara Complete Edition |volume=33 |number=7 |id={{全国書誌番号|00039156}} |pages=6-43 |quote=はっぴいえんどの初シングル }}</ref>とも話していた。後に小倉は『[[レコード・コレクターズ]]』{{Start date|2014|3}}号にて「&lt;12月の雨の日&gt;の再収録時には、制作を主導する大滝がいた。同曲収録時でのジョージ・ハリスンの&lt;マイ・スウィート・ロード&gt;との出会いがフィル・スペクターの存在、自身の音楽的背景への再認識や追求の発端となり、自身のソロ活動に反映され、“[[ナイアガラ・レーベル|ナイアガラ]]”でのシリーズ作や『[[A LONG VACATION|ロング・バケイション]]』に連なる。再収録作の&lt;12月の雨の日&gt;こそは、大滝詠一としての旅立ちの始まりだった」<ref name="record̠collectors̠magazine̠201501_1" />と記している。また、この曲は{{Start date|1973|9|21}}、[[文京公会堂]]にて行われたラスト・ライブ“CITY -LAST TIME AROUND-”と{{Start date|1985|6|15}}に[[国立霞ヶ丘陸上競技場|国立競技場]]で行われたイベント“[[国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW|ALL TOGETHER NOW]]”での再結成ライブの両方ともにキーを半音上げて演奏され<ref name="record̠collectors̠magazine̠201501_2">{{Cite journal |和書 |author=篠原章 |authorlink= |title=特集 はっぴいえんど『全曲/全テイク・ガイド完全版』 |date=2014-03-01 |publisher=株式会社ミュージック・マガジン |journal=レコード・コレクターズ |volume=33 |number=4 |pages=52-61 |quote=風街ろまん }}</ref>、それぞれ『[[ライブ!! はっぴいえんど]]』<ref group="注">『[[ライブ!! はっぴいえんど]]』 {{Start date|1974|1|15}}発売 Bellwood ⁄ KING LP:OFL-20</ref>と『[[THE HAPPY END]]』<ref group="注">『[[THE HAPPY END]]』 {{Start date|1985|9|5}}発売 [[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|CBS/SONY]] LP:18AH 1993, {{Start date|1985|11|3}}発売 CBS/SONY CT:18KH 1755</ref>の2枚の[[ライブ・アルバム]]に収録された。


=== はいからはくち ===
=== はいからはくち ===
「はいからはくち」は、[[モビー・グレープ]]「オマハ」からの影響が濃厚な作品<ref>{{Cite book |和書 |last= |first= |author=鈴木茂 |authorlink=鈴木茂 (ギタリスト) |coauthors=近藤正義 |year=2016-03-25 |title=自伝 鈴木茂のワインディング・ロード |publisher=株式会社[[リットーミュージック]] |page=59-80 |id= |isbn=978-4-8456-2793-6 |quote=第5章 歴史的名盤『風街ろまん』}}</ref>。[[松本隆]]が大滝に歌詞を渡したのが{{Start date|1970|8|27}}、[[日比谷野外音楽堂|日比谷野音]]で行われていた“10円コンサート”の会場だった。タイトルは“ハイカラ白痴”と“肺から吐く血”のダブル・ミーニングで、さらに白痴と博士もひっかけた上でのひらがな表記になっている<ref>{{Cite journal |和書 |author=志田歩 |authorlink= |title=はっぴいえんど全曲ガイド |date=2000-07-31 |publisher=株式会社ミュージック・マガジン |journal=はっぴいな日々 |volume=19 |number=10 |ASIN=B001FADJZ2 |pages=101-113 |quote=風街ろまん }}</ref>。シングル・ヴァージョンは、『風街ろまん』収録のアルバム・ヴァージョンより3か月ほど前に録音された。「いらいら」「颱風」と並んで、大滝の初期ノヴェルティ作品に位置づけられる。演奏は3種類に分類され、一つはいちばん古いスタイルのシャッフル版で、[[小坂忠]]がコーラスで参加した別テイク、山崎聖次がエンジニアを務めたシングル・ヴァージョンがこれにあたる。もう一つがアルバム版。シャッフル版のヴァリエーションともいえるが、曲構成は明らかに異なっている。{{Start date|1972}}以降は大滝詠一「ウララカ」と等しい構成で演奏されるケースが出てくる。[[フィル・スペクター]]制作の「[[:en:Da Doo Ron Ron|ダ・ドゥ・ロン・ロン]]」<ref group="注">[[:en:The Crystals|The Crystals]]「[[:en:Da Doo Ron Ron|Da Doo Ron Ron]]」 Released in April 1963 (US), [[:en:Philles Records|Philles Records]] 7" single:Philles 112</ref>を“起源”とすることから「ダ・ドゥ・ロン・ロン」版と言われている<ref name="record̠collectors̠magazine̠201501_2" />。
「はいからはくち」は、[[モビー・グレープ]]「オマハ」からの影響が濃厚な作品<ref>{{Cite book |和書 |last= |first= |author=鈴木茂 |authorlink=鈴木茂 (ギタリスト) |coauthors=近藤正義 |year=2016-03-25 |title=自伝 鈴木茂のワインディング・ロード |publisher=株式会社[[リットーミュージック]] |page=59-80 |id= |isbn=978-4-8456-2793-6 |quote=第5章 歴史的名盤『風街ろまん』}}</ref>。[[松本隆]]が大滝に歌詞を渡したのが{{Start date|1970|8|27}}、[[日比谷野外音楽堂|日比谷野音]]で行われていた“10円コンサート”の会場だった。タイトルは“ハイカラ白痴”と“肺から吐く血”のダブル・ミーニングで、さらに白痴と博士もひっかけた上でのひらがな表記になっている<ref>{{Cite journal |和書 |author=志田歩 |authorlink= |title=はっぴいえんど全曲ガイド |date=2000-07-31 |publisher=株式会社ミュージック・マガジン |journal=はっぴいな日々 |volume=19 |number=10 |asin=B001FADJZ2 |pages=101-113 |quote=風街ろまん }}</ref>。シングル・ヴァージョンは、『風街ろまん』収録のアルバム・ヴァージョンより3か月ほど前に録音された。「いらいら」「颱風」と並んで、大滝の初期ノヴェルティ作品に位置づけられる。演奏は3種類に分類され、一つはいちばん古いスタイルのシャッフル版で、[[小坂忠]]がコーラスで参加した別テイク、山崎聖次がエンジニアを務めたシングル・ヴァージョンがこれにあたる。もう一つがアルバム版。シャッフル版のヴァリエーションともいえるが、曲構成は明らかに異なっている。{{Start date|1972}}以降は大滝詠一「ウララカ」と等しい構成で演奏されるケースが出てくる。[[フィル・スペクター]]制作の「[[:en:Da Doo Ron Ron|ダ・ドゥ・ロン・ロン]]」<ref group="注">[[:en:The Crystals|The Crystals]]「[[:en:Da Doo Ron Ron|Da Doo Ron Ron]]」 Released in April 1963 (US), [[:en:Philles Records|Philles Records]] 7" single:Philles 112</ref>を“起源”とすることから「ダ・ドゥ・ロン・ロン」版と言われている<ref name="record̠collectors̠magazine̠201501_2" />。


== リリース ==
== リリース ==

2020年1月25日 (土) 16:57時点における版

「12月の雨の日 / はいからはくち」
はっぴいえんどシングル
初出アルバム『はっぴいえんど / 風街ろまん
リリース
規格 7"シングルレコード
録音 1971年2月3日 (1971-02-03)・28日
キング・スタジオ
ジャンル ロック
ポップス
時間
レーベル KING
作詞・作曲 松本隆 / 大滝詠一
はっぴいえんど シングル 年表
-12月の雨の日 / はいからはくち
1971年
花いちもんめ / 夏なんです
(1971年)
はっぴいえんど 収録曲
あやか市の動物園
(6)
12月の雨の日
(7)
いらいら
(8)
風街ろまん 収録曲
暗闇坂むささび変化
(4)
はいからはくち
(5)
はいから・びゅーちふる
(6)
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12月の雨の日 / はいからはくち」(じゅうにがつのあめのひ / はいからはくち)は、1971年4月1日に発売されたはっぴいえんど通算1作目のシングル

背景

「12月の雨の日」は『はっぴいえんど』、「はいからはくち」は『風街ろまん』それぞれのアルバム収録曲。どちらもアルバムとはテイク違いのシングル・ヴァージョンで、1974年 (1974)発売のベスト・アルバムSINGLES』と2004年 (2004)発売のBOXセット『はっぴいえんどBOX』に収録されたほか、「12月の雨の日」は、2013年 (2013)に発売された大滝詠一のオールタイム・ベスト・アルバム『Best Always』にも収録された。「12月の雨の日」は新録で、アルバム・ヴァージョンの4チャンネル録音と違ってこちらは8チャンネル録音。「はいからはくち」は新曲で、こちらがオリジナル・ヴァージョン。大滝のソロ・アルバム『大瀧詠一』収録曲「ウララカ」の原型[1]。本作は、キングからの初リリース。その後、同年11月のアルバム『風街ろまん』はURCから発売されたので、シングルとアルバムが異なる会社から出るという変則となった。

はっぴいえんどが在籍していたURCレコードは原盤制作会社でもあり、岡林信康のシングル盤は原盤供給という形でビクターから発売されていた。1970年 (1970)の『第2回中津川フォークジャンボリー[注 1]のライブ盤供給を受けたキングの担当者だった三浦光紀が、はっぴいえんどの原盤供給も受けたいということで、「12月の雨の日 / はいからはくち」のキングからのシングル発売が決定した。普通の原盤供給ならば、同じ音源を使用するのが通例だが、グループの意向で、どうせ出すなら“シングル・ヴァージョン”を再録しようということになった。しかし、このような前例がないことから、その制作費をどこが持つのかという問題が起き、原盤及び販売会社が困ってしまったという。さらに悪いことに、一度録音した音源を惜しげもなくボツにして、また録音し直したいというグループのわがままから、制作費の高騰という問題も発生した。そこでキング・スタジオが提供されることになり、キングはシングル発売にこぎつけたという[2]

録音、制作

シングル・ヴァージョンの「12月の雨の日」と「はいからはくち」は、アルバムとは別に2回レコーディングが行われている[2]

日付 スタジオ 曲名 ミキサー トラック 備考
1970年12月3日 (1970-12-03) アオイ・スタジオ 12月の雨の日 吉田保[注 2] 4トラック BOXセット『はっぴいえんどBOX』に収録
はいからはくち ベスト・アルバムCITY』、BOXセット『はっぴいえんどBOX』に収録
1971年2月3日 (1971-02-03) キング・スタジオ 12月の雨の日 山崎聖次 8トラック シングル発売
BOXセット『はっぴいえんどBOX』に収録
1971年2月28日 (1971-02-28) キング・スタジオ はいからはくち

12月の雨の日

シングル・ヴァージョンのレコーディングには、ジョージ・ハリスンマイ・スウィート・ロード[注 3]を聴いた大滝詠一が、この曲でプロデュースを手掛けたフィル・スペクターと“再会”したことが大きく関係している。大滝によれば「アルバム・ヴァージョンではアコースティック・ギターは1本なんだよ。<マイ・スウィート・ロード>はギターが何本か入ってたよね。そこでシングル・ヴァージョンを録る時に小倉エージもかんでいて[注 4]、これがいいね、という話になって、超盛り上がったんだよ。2回重ねよう、いや4回重ねようと。嬉しかったなぁ、あそこから始まってるんだよなぁ」[5]という。さらに、「<12月>は空いたチャンネルに12弦ギターを山のようにダビングした。一人スペクター・サウンド。山崎さんと録音したキングのほうはロー・カットしている。タモやん(吉田保)と一緒にアオイでした録音のほうが、ギターは重ねてないけれどスペクターっぽい。というか『ロンバケ』っぽいんだ、エコーの使い方が。ちゃんとマスタリングしたら同じような音にできそうな気がする」[6]とも話していた。後に小倉は『レコード・コレクターズ』2014年3月 (2014-03)号にて「<12月の雨の日>の再収録時には、制作を主導する大滝がいた。同曲収録時でのジョージ・ハリスンの<マイ・スウィート・ロード>との出会いがフィル・スペクターの存在、自身の音楽的背景への再認識や追求の発端となり、自身のソロ活動に反映され、“ナイアガラ”でのシリーズ作や『ロング・バケイション』に連なる。再収録作の<12月の雨の日>こそは、大滝詠一としての旅立ちの始まりだった」[3]と記している。また、この曲は1973年9月21日 (1973-09-21)文京公会堂にて行われたラスト・ライブ“CITY -LAST TIME AROUND-”と1985年6月15日 (1985-06-15)国立競技場で行われたイベント“ALL TOGETHER NOW”での再結成ライブの両方ともにキーを半音上げて演奏され[7]、それぞれ『ライブ!! はっぴいえんど[注 5]と『THE HAPPY END[注 6]の2枚のライブ・アルバムに収録された。

はいからはくち

「はいからはくち」は、モビー・グレープ「オマハ」からの影響が濃厚な作品[8]松本隆が大滝に歌詞を渡したのが1970年8月27日 (1970-08-27)日比谷野音で行われていた“10円コンサート”の会場だった。タイトルは“ハイカラ白痴”と“肺から吐く血”のダブル・ミーニングで、さらに白痴と博士もひっかけた上でのひらがな表記になっている[9]。シングル・ヴァージョンは、『風街ろまん』収録のアルバム・ヴァージョンより3か月ほど前に録音された。「いらいら」「颱風」と並んで、大滝の初期ノヴェルティ作品に位置づけられる。演奏は3種類に分類され、一つはいちばん古いスタイルのシャッフル版で、小坂忠がコーラスで参加した別テイク、山崎聖次がエンジニアを務めたシングル・ヴァージョンがこれにあたる。もう一つがアルバム版。シャッフル版のヴァリエーションともいえるが、曲構成は明らかに異なっている。1972年 (1972)以降は大滝詠一「ウララカ」と等しい構成で演奏されるケースが出てくる。フィル・スペクター制作の「ダ・ドゥ・ロン・ロン[注 7]を“起源”とすることから「ダ・ドゥ・ロン・ロン」版と言われている[7]

リリース

アナログ・シングルの復刻盤が2000年 (2000)リリースの『ベルウッド 7インチボックス』に収められたほか、2017年 (2017)には“ベルウッド・レコード設立45周年記念、7インチ復刻シリーズ(第三弾)”として限定盤にてリリースされた。なお、発売を記念してディスクユニオンでは、全9タイトル購入特典として7インチ収納BOXがプレゼントされた。

アートワーク、パッケージ

歌詞カードは見開き仕様で、表面はイラストとメンバーの写真による2種類の異なるジャケット。裏面には歌詞のほか、メンバー紹介を含む記述“心やさしい若者達「はっぴいえんど」”が掲載されている。なお、歌詞カード表面および、レコード・レーベルには“12月の雨の日”とあるが、歌詞カード裏面には“十二月の雨の日”と記されている。

収録曲

全曲 作詞:松本隆、作曲:大滝詠一
©1971 アート音楽出版制作

SIDE A

  1. 12月の雨の日(3分19秒)

SIDE B

  1. はいからはくち(2分18秒)

リリース日一覧

地域 タイトル リリース日 レーベル 規格 カタログ番号 備考
日本 12月の雨の日 / はいからはくち 1971年4月1日 (1971-04-01) KING 7"シングルレコード BS-1366
2000年3月18日 (2000-03-18) Miracle Music ⁄ ULTRA DISTRIBUTION MM-7001~10 『ベルウッド 7インチボックス』の一枚。レーベルはキングのものが使われているが、レコード袋はベルウッドのものとなっている。
2017年9月6日 (2017-09-06) FUJI FJEP1007 ベルウッド・レコード設立45周年記念 7インチ復刻シリーズ(第三弾)の一枚。

脚注

注釈

  1. ^ V.A『自然と音楽の48時間 〜'70全日本フォークジャンボリー実況録音』 1970年10月10日 (1970-10-10)発売 KING 2LP:KR-7018-9
  2. ^ 2014年 (2014)リリースのBOXセット『はっぴいえんどマスターピース』付属の「はっぴいえんど資料集」用に今回撮影されたオリジナル・マスターテープの表書きには、“昭和45年12月3日”という日付とともに“ディレクター(D.) 小倉エージ、エンジニア(Mix.) 島(島雄一)”と明記されている[3]
  3. ^ George HarrisonMy Sweet Lord」Released in 23 November 1970 (US), Apple Records 7" single:2995
  4. ^ 小倉エージは当時、アート音楽出版の社員で、これまで北山修はしだのりひことシューベルツジャックス、さらには六文銭中川五郎はじめURCレコードの制作現場に携わった。かねてからロック・バンドのレコーディングを望んでいたことから、かねてより面識があった細野晴臣に接触。岡林信康のバッキングのオファーをきっかけとして、結成間もないはっぴいえんどをURCレコードと契約させる。デビュー・アルバムの『はっぴいえんど』にはディレクターとして参加するが、レコーディング終了後マスターテープが完成した段階で体調を崩し、アルバム・リリースを前にアート音楽出版を退社。療養のため神戸に帰郷。その後、はっぴいえんどがバッキングを担当した岡林のシングル2作と本作には、既に社員ではなかったが収録に立ち会っていた[4]
  5. ^ ライブ!! はっぴいえんど』 1974年1月15日 (1974-01-15)発売 Bellwood ⁄ KING LP:OFL-20
  6. ^ THE HAPPY END』 1985年9月5日 (1985-09-05)発売 CBS/SONY LP:18AH 1993, 1985年11月3日 (1985-11-03)発売 CBS/SONY CT:18KH 1755
  7. ^ The CrystalsDa Doo Ron Ron」 Released in April 1963 (US), Philles Records 7" single:Philles 112

出典

  1. ^ 篠原章「ライヴ、編集アルバムとシングル」『はっぴいな日々』第19巻第10号、株式会社ミュージック・マガジン、2000年7月31日、114-117頁、ASIN B001FADJZ2 
  2. ^ a b 大瀧詠一 (1995). 大瀧詠一 (12cmCD) (Media notes). Yoo-Loo / Oo Records. {{cite AV media notes2}}: |format=を指定する場合、|url=も指定してください。 (説明); 不明な引数|albumlink=|artist=|coauthors=|notestitle=が空白で指定されています。 (説明); 不明な引数|publisherid=は無視されます。 (説明)
  3. ^ a b 小倉エージ「特集 はっぴいえんど『果たせなかった再会 -“ゆでめん”を作ったころ、夢見ていた音楽のこと』」『レコード・コレクターズ』第33巻第4号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年3月1日、38-40頁。 
  4. ^ 小倉エージ「一枚のシングルからはじまった伝説」『はっぴいな日々』第19巻第10号、株式会社ミュージック・マガジン、2000年7月31日、96-101頁、ASIN B001FADJZ2“デビュー作のディレクターが見たはっぴいえんどの歩み” 
  5. ^ 萩原健太「対談 大瀧詠一 × 山下達郎『フィル・スペクター “50年代”を発展させた新しいポップス制作術』」『大滝詠一 Talks About Niagara Complete Edition』第33巻第7号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年4月1日、442-453頁、全国書誌番号:00039156“スペクターの凄さに気づいて” 
  6. ^ 湯浅学「1970-1972」『大滝詠一 Talks About Niagara Complete Edition』第33巻第7号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年4月1日、6-43頁、全国書誌番号:00039156“はっぴいえんどの初シングル” 
  7. ^ a b 篠原章「特集 はっぴいえんど『全曲/全テイク・ガイド完全版』」『レコード・コレクターズ』第33巻第4号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年3月1日、52-61頁“風街ろまん” 
  8. ^ 『自伝 鈴木茂のワインディング・ロード』株式会社リットーミュージック、2016年3月25日、59-80頁。ISBN 978-4-8456-2793-6。"第5章 歴史的名盤『風街ろまん』"。 
  9. ^ 志田歩「はっぴいえんど全曲ガイド」『はっぴいな日々』第19巻第10号、株式会社ミュージック・マガジン、2000年7月31日、101-113頁、ASIN B001FADJZ2“風街ろまん”