「12月の雨の日/はいからはくち」の版間の差分
Water & RAINBOW (会話 | 投稿記録) |
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「12月の雨の日」は『[[はっぴいえんど (アルバム)|はっぴいえんど]]』、「はいからはくち」は『[[風街ろまん]]』それぞれの[[スタジオ・アルバム|アルバム]]収録曲。どちらもアルバムとはテイク違いのシングル・ヴァージョンで、{{Start date|1974}}発売の[[ベスト・アルバム]]『[[SINGLES (はっぴいえんどのアルバム)|SINGLES]]』と{{Start date|2004}}発売のBOXセット『[[はっぴいえんどBOX]]』に収録されたほか、「12月の雨の日」は、{{Start date|2013}}に発売された[[大瀧詠一|大滝詠一]]のオールタイム・ベスト・アルバム『[[Best Always]]』にも収録された。「12月の雨の日」は新録で、アルバム・ヴァージョンの4チャンネル録音と違ってこちらは8チャンネル録音。「はいからはくち」は新曲で、こちらがオリジナル・ヴァージョン。大滝のソロ・アルバム『[[大瀧詠一 (アルバム)|大瀧詠一]]』収録曲「ウララカ」の原型<ref>{{Cite journal |和書 |author=篠原章 |authorlink=篠原章 |title=ライヴ、編集アルバムとシングル |date=2000-07-31 |publisher=株式会社[[ミュージック・マガジン]] |journal=はっぴいな日々 |volume=19 |number=10 | |
「12月の雨の日」は『[[はっぴいえんど (アルバム)|はっぴいえんど]]』、「はいからはくち」は『[[風街ろまん]]』それぞれの[[スタジオ・アルバム|アルバム]]収録曲。どちらもアルバムとはテイク違いのシングル・ヴァージョンで、{{Start date|1974}}発売の[[ベスト・アルバム]]『[[SINGLES (はっぴいえんどのアルバム)|SINGLES]]』と{{Start date|2004}}発売のBOXセット『[[はっぴいえんどBOX]]』に収録されたほか、「12月の雨の日」は、{{Start date|2013}}に発売された[[大瀧詠一|大滝詠一]]のオールタイム・ベスト・アルバム『[[Best Always]]』にも収録された。「12月の雨の日」は新録で、アルバム・ヴァージョンの4チャンネル録音と違ってこちらは8チャンネル録音。「はいからはくち」は新曲で、こちらがオリジナル・ヴァージョン。大滝のソロ・アルバム『[[大瀧詠一 (アルバム)|大瀧詠一]]』収録曲「ウララカ」の原型<ref>{{Cite journal |和書 |author=篠原章 |authorlink=篠原章 |title=ライヴ、編集アルバムとシングル |date=2000-07-31 |publisher=株式会社[[ミュージック・マガジン]] |journal=はっぴいな日々 |volume=19 |number=10 |asin=B001FADJZ2 |pages=114-117 |quote= }}</ref>。本作は、[[キングレコード|キング]]からの初リリース。その後、同年11月の[[スタジオ・アルバム|アルバム]]『風街ろまん』は[[アングラ・レコード・クラブ|URC]]から発売されたので、シングルとアルバムが異なる会社から出るという変則となった。 |
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[[はっぴいえんど]]が在籍していたURCレコードは原盤制作会社でもあり、[[岡林信康]]のシングル盤は原盤供給という形で[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクター]]から発売されていた。{{Start date|1970}}の『[[全日本フォークジャンボリー|第2回中津川フォークジャンボリー]]』<ref group="注">V.A『自然と音楽の48時間 〜'70全日本フォークジャンボリー実況録音』 {{Start date|1970|10|10}}発売 [[キングレコード|KING]] 2LP:KR-7018-9</ref>のライブ盤供給を受けたキングの担当者だった[[三浦光紀]]が、はっぴいえんどの原盤供給も受けたいということで、「12月の雨の日 / はいからはくち」のキングからのシングル発売が決定した。普通の原盤供給ならば、同じ音源を使用するのが通例だが、グループの意向で、どうせ出すなら“シングル・ヴァージョン”を再録しようということになった。しかし、このような前例がないことから、その制作費をどこが持つのかという問題が起き、原盤及び販売会社が困ってしまったという。さらに悪いことに、一度録音した音源を惜しげもなくボツにして、また録音し直したいというグループのわがままから、制作費の高騰という問題も発生した。そこでキング・スタジオが提供されることになり、キングはシングル発売にこぎつけたという<ref name="album-notes_ohtaki">{{cite album-notes |title=[[大瀧詠一 (アルバム)|大瀧詠一]] |albumlink= |artist= |year=1995 |notestitle= |url= |first= |last=大瀧詠一 |authorlink=大瀧詠一 |coauthors= |page= |pages= |format=12cmCD |publisher=Yoo-Loo / [[ダブル・オーレコード|Oo Records]] |publisherid=OOCO 1 |location= |quote= }}</ref>。 |
[[はっぴいえんど]]が在籍していたURCレコードは原盤制作会社でもあり、[[岡林信康]]のシングル盤は原盤供給という形で[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクター]]から発売されていた。{{Start date|1970}}の『[[全日本フォークジャンボリー|第2回中津川フォークジャンボリー]]』<ref group="注">V.A『自然と音楽の48時間 〜'70全日本フォークジャンボリー実況録音』 {{Start date|1970|10|10}}発売 [[キングレコード|KING]] 2LP:KR-7018-9</ref>のライブ盤供給を受けたキングの担当者だった[[三浦光紀]]が、はっぴいえんどの原盤供給も受けたいということで、「12月の雨の日 / はいからはくち」のキングからのシングル発売が決定した。普通の原盤供給ならば、同じ音源を使用するのが通例だが、グループの意向で、どうせ出すなら“シングル・ヴァージョン”を再録しようということになった。しかし、このような前例がないことから、その制作費をどこが持つのかという問題が起き、原盤及び販売会社が困ってしまったという。さらに悪いことに、一度録音した音源を惜しげもなくボツにして、また録音し直したいというグループのわがままから、制作費の高騰という問題も発生した。そこでキング・スタジオが提供されることになり、キングはシングル発売にこぎつけたという<ref name="album-notes_ohtaki">{{cite album-notes |title=[[大瀧詠一 (アルバム)|大瀧詠一]] |albumlink= |artist= |year=1995 |notestitle= |url= |first= |last=大瀧詠一 |authorlink=大瀧詠一 |coauthors= |page= |pages= |format=12cmCD |publisher=Yoo-Loo / [[ダブル・オーレコード|Oo Records]] |publisherid=OOCO 1 |location= |quote= }}</ref>。 |
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=== 12月の雨の日 === |
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シングル・ヴァージョンのレコーディングには、[[ジョージ・ハリスン]]「[[マイ・スウィート・ロード]]」<ref group="注">[[ジョージ・ハリスン|George Harrison]]「[[マイ・スウィート・ロード|My Sweet Lord]]」Released in 23 November 1970 (US), [[アップル・レコード|Apple Records]] 7" single:2995</ref>を聴いた大滝詠一が、この曲でプロデュースを手掛けた[[フィル・スペクター]]と“再会”したことが大きく関係している。大滝によれば「アルバム・ヴァージョンではアコースティック・ギターは1本なんだよ。<マイ・スウィート・ロード>はギターが何本か入ってたよね。そこでシングル・ヴァージョンを録る時に[[小倉エージ]]もかんでいて{{Refnest |group="注" |小倉エージは当時、アート音楽出版の社員で、これまで[[北山修]]や[[はしだのりひことシューベルツ]]、[[ジャックス (バンド)|ジャックス]]、さらには[[六文銭 (音楽ユニット)|六文銭]]、[[中川五郎]]はじめURCレコードの制作現場に携わった。かねてからロック・バンドのレコーディングを望んでいたことから、かねてより面識があった[[細野晴臣]]に接触。[[岡林信康]]のバッキングのオファーをきっかけとして、結成間もないはっぴいえんどをURCレコードと契約させる。デビュー・アルバムの『はっぴいえんど』にはディレクターとして参加するが、レコーディング終了後マスターテープが完成した段階で体調を崩し、アルバム・リリースを前にアート音楽出版を退社。療養のため神戸に帰郷。その後、はっぴいえんどがバッキングを担当した岡林のシングル2作と本作には、既に社員ではなかったが収録に立ち会っていた<ref>{{Cite journal |和書 |author=小倉エージ |authorlink= |title=一枚のシングルからはじまった伝説 |date=2000-07-31 |publisher=株式会社ミュージック・マガジン |journal=はっぴいな日々 |volume=19 |number=10 | |
シングル・ヴァージョンのレコーディングには、[[ジョージ・ハリスン]]「[[マイ・スウィート・ロード]]」<ref group="注">[[ジョージ・ハリスン|George Harrison]]「[[マイ・スウィート・ロード|My Sweet Lord]]」Released in 23 November 1970 (US), [[アップル・レコード|Apple Records]] 7" single:2995</ref>を聴いた大滝詠一が、この曲でプロデュースを手掛けた[[フィル・スペクター]]と“再会”したことが大きく関係している。大滝によれば「アルバム・ヴァージョンではアコースティック・ギターは1本なんだよ。<マイ・スウィート・ロード>はギターが何本か入ってたよね。そこでシングル・ヴァージョンを録る時に[[小倉エージ]]もかんでいて{{Refnest |group="注" |小倉エージは当時、アート音楽出版の社員で、これまで[[北山修]]や[[はしだのりひことシューベルツ]]、[[ジャックス (バンド)|ジャックス]]、さらには[[六文銭 (音楽ユニット)|六文銭]]、[[中川五郎]]はじめURCレコードの制作現場に携わった。かねてからロック・バンドのレコーディングを望んでいたことから、かねてより面識があった[[細野晴臣]]に接触。[[岡林信康]]のバッキングのオファーをきっかけとして、結成間もないはっぴいえんどをURCレコードと契約させる。デビュー・アルバムの『はっぴいえんど』にはディレクターとして参加するが、レコーディング終了後マスターテープが完成した段階で体調を崩し、アルバム・リリースを前にアート音楽出版を退社。療養のため神戸に帰郷。その後、はっぴいえんどがバッキングを担当した岡林のシングル2作と本作には、既に社員ではなかったが収録に立ち会っていた<ref>{{Cite journal |和書 |author=小倉エージ |authorlink= |title=一枚のシングルからはじまった伝説 |date=2000-07-31 |publisher=株式会社ミュージック・マガジン |journal=はっぴいな日々 |volume=19 |number=10 |asin=B001FADJZ2 |pages=96-101 |quote=デビュー作のディレクターが見たはっぴいえんどの歩み }}</ref>。}}、これがいいね、という話になって、超盛り上がったんだよ。2回重ねよう、いや4回重ねようと。嬉しかったなぁ、あそこから始まってるんだよなぁ」<ref>{{Cite journal |和書 |author=萩原健太 |authorlink=萩原健太 |title=対談 大瀧詠一 × 山下達郎『フィル・スペクター “50年代”を発展させた新しいポップス制作術』 |date=2014-04-01 |publisher=株式会社ミュージック・マガジン |journal=大滝詠一 Talks About Niagara Complete Edition |volume=33 |number=7 |id={{全国書誌番号|00039156}} |pages=442-453 |quote=スペクターの凄さに気づいて }}</ref>という。さらに、「<12月>は空いたチャンネルに12弦ギターを山のようにダビングした。一人スペクター・サウンド。山崎さんと録音したキングのほうはロー・カットしている。タモやん(吉田保)と一緒にアオイでした録音のほうが、ギターは重ねてないけれどスペクターっぽい。というか『[[A LONG VACATION|ロンバケ]]』っぽいんだ、エコーの使い方が。ちゃんとマスタリングしたら同じような音にできそうな気がする」<ref>{{Cite journal |和書 |author=湯浅学 |authorlink= |title=1970-1972 |date=2014-04-01 |publisher=株式会社ミュージック・マガジン |journal=大滝詠一 Talks About Niagara Complete Edition |volume=33 |number=7 |id={{全国書誌番号|00039156}} |pages=6-43 |quote=はっぴいえんどの初シングル }}</ref>とも話していた。後に小倉は『[[レコード・コレクターズ]]』{{Start date|2014|3}}号にて「<12月の雨の日>の再収録時には、制作を主導する大滝がいた。同曲収録時でのジョージ・ハリスンの<マイ・スウィート・ロード>との出会いがフィル・スペクターの存在、自身の音楽的背景への再認識や追求の発端となり、自身のソロ活動に反映され、“[[ナイアガラ・レーベル|ナイアガラ]]”でのシリーズ作や『[[A LONG VACATION|ロング・バケイション]]』に連なる。再収録作の<12月の雨の日>こそは、大滝詠一としての旅立ちの始まりだった」<ref name="record̠collectors̠magazine̠201501_1" />と記している。また、この曲は{{Start date|1973|9|21}}、[[文京公会堂]]にて行われたラスト・ライブ“CITY -LAST TIME AROUND-”と{{Start date|1985|6|15}}に[[国立霞ヶ丘陸上競技場|国立競技場]]で行われたイベント“[[国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW|ALL TOGETHER NOW]]”での再結成ライブの両方ともにキーを半音上げて演奏され<ref name="record̠collectors̠magazine̠201501_2">{{Cite journal |和書 |author=篠原章 |authorlink= |title=特集 はっぴいえんど『全曲/全テイク・ガイド完全版』 |date=2014-03-01 |publisher=株式会社ミュージック・マガジン |journal=レコード・コレクターズ |volume=33 |number=4 |pages=52-61 |quote=風街ろまん }}</ref>、それぞれ『[[ライブ!! はっぴいえんど]]』<ref group="注">『[[ライブ!! はっぴいえんど]]』 {{Start date|1974|1|15}}発売 Bellwood ⁄ KING LP:OFL-20</ref>と『[[THE HAPPY END]]』<ref group="注">『[[THE HAPPY END]]』 {{Start date|1985|9|5}}発売 [[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|CBS/SONY]] LP:18AH 1993, {{Start date|1985|11|3}}発売 CBS/SONY CT:18KH 1755</ref>の2枚の[[ライブ・アルバム]]に収録された。 |
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=== はいからはくち === |
=== はいからはくち === |
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「はいからはくち」は、[[モビー・グレープ]]「オマハ」からの影響が濃厚な作品<ref>{{Cite book |和書 |last= |first= |author=鈴木茂 |authorlink=鈴木茂 (ギタリスト) |coauthors=近藤正義 |year=2016-03-25 |title=自伝 鈴木茂のワインディング・ロード |publisher=株式会社[[リットーミュージック]] |page=59-80 |id= |isbn=978-4-8456-2793-6 |quote=第5章 歴史的名盤『風街ろまん』}}</ref>。[[松本隆]]が大滝に歌詞を渡したのが{{Start date|1970|8|27}}、[[日比谷野外音楽堂|日比谷野音]]で行われていた“10円コンサート”の会場だった。タイトルは“ハイカラ白痴”と“肺から吐く血”のダブル・ミーニングで、さらに白痴と博士もひっかけた上でのひらがな表記になっている<ref>{{Cite journal |和書 |author=志田歩 |authorlink= |title=はっぴいえんど全曲ガイド |date=2000-07-31 |publisher=株式会社ミュージック・マガジン |journal=はっぴいな日々 |volume=19 |number=10 | |
「はいからはくち」は、[[モビー・グレープ]]「オマハ」からの影響が濃厚な作品<ref>{{Cite book |和書 |last= |first= |author=鈴木茂 |authorlink=鈴木茂 (ギタリスト) |coauthors=近藤正義 |year=2016-03-25 |title=自伝 鈴木茂のワインディング・ロード |publisher=株式会社[[リットーミュージック]] |page=59-80 |id= |isbn=978-4-8456-2793-6 |quote=第5章 歴史的名盤『風街ろまん』}}</ref>。[[松本隆]]が大滝に歌詞を渡したのが{{Start date|1970|8|27}}、[[日比谷野外音楽堂|日比谷野音]]で行われていた“10円コンサート”の会場だった。タイトルは“ハイカラ白痴”と“肺から吐く血”のダブル・ミーニングで、さらに白痴と博士もひっかけた上でのひらがな表記になっている<ref>{{Cite journal |和書 |author=志田歩 |authorlink= |title=はっぴいえんど全曲ガイド |date=2000-07-31 |publisher=株式会社ミュージック・マガジン |journal=はっぴいな日々 |volume=19 |number=10 |asin=B001FADJZ2 |pages=101-113 |quote=風街ろまん }}</ref>。シングル・ヴァージョンは、『風街ろまん』収録のアルバム・ヴァージョンより3か月ほど前に録音された。「いらいら」「颱風」と並んで、大滝の初期ノヴェルティ作品に位置づけられる。演奏は3種類に分類され、一つはいちばん古いスタイルのシャッフル版で、[[小坂忠]]がコーラスで参加した別テイク、山崎聖次がエンジニアを務めたシングル・ヴァージョンがこれにあたる。もう一つがアルバム版。シャッフル版のヴァリエーションともいえるが、曲構成は明らかに異なっている。{{Start date|1972}}以降は大滝詠一「ウララカ」と等しい構成で演奏されるケースが出てくる。[[フィル・スペクター]]制作の「[[:en:Da Doo Ron Ron|ダ・ドゥ・ロン・ロン]]」<ref group="注">[[:en:The Crystals|The Crystals]]「[[:en:Da Doo Ron Ron|Da Doo Ron Ron]]」 Released in April 1963 (US), [[:en:Philles Records|Philles Records]] 7" single:Philles 112</ref>を“起源”とすることから「ダ・ドゥ・ロン・ロン」版と言われている<ref name="record̠collectors̠magazine̠201501_2" />。 |
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== リリース == |
== リリース == |
2020年1月25日 (土) 16:57時点における版
「12月の雨の日 / はいからはくち」 | ||||
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はっぴいえんど の シングル | ||||
初出アルバム『はっぴいえんど / 風街ろまん』 | ||||
リリース | ||||
規格 | 7"シングルレコード | |||
録音 |
1971年2月3日 キング・スタジオ | ・28日|||
ジャンル |
ロック ポップス | |||
時間 | ||||
レーベル | KING | |||
作詞・作曲 | 松本隆 / 大滝詠一 | |||
はっぴいえんど シングル 年表 | ||||
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「12月の雨の日 / はいからはくち」(じゅうにがつのあめのひ / はいからはくち)は、1971年4月1日に発売されたはっぴいえんど通算1作目のシングル。
背景
「12月の雨の日」は『はっぴいえんど』、「はいからはくち」は『風街ろまん』それぞれのアルバム収録曲。どちらもアルバムとはテイク違いのシングル・ヴァージョンで、1974年 発売のベスト・アルバム『SINGLES』と2004年 発売のBOXセット『はっぴいえんどBOX』に収録されたほか、「12月の雨の日」は、2013年 に発売された大滝詠一のオールタイム・ベスト・アルバム『Best Always』にも収録された。「12月の雨の日」は新録で、アルバム・ヴァージョンの4チャンネル録音と違ってこちらは8チャンネル録音。「はいからはくち」は新曲で、こちらがオリジナル・ヴァージョン。大滝のソロ・アルバム『大瀧詠一』収録曲「ウララカ」の原型[1]。本作は、キングからの初リリース。その後、同年11月のアルバム『風街ろまん』はURCから発売されたので、シングルとアルバムが異なる会社から出るという変則となった。
はっぴいえんどが在籍していたURCレコードは原盤制作会社でもあり、岡林信康のシングル盤は原盤供給という形でビクターから発売されていた。1970年 の『第2回中津川フォークジャンボリー』[注 1]のライブ盤供給を受けたキングの担当者だった三浦光紀が、はっぴいえんどの原盤供給も受けたいということで、「12月の雨の日 / はいからはくち」のキングからのシングル発売が決定した。普通の原盤供給ならば、同じ音源を使用するのが通例だが、グループの意向で、どうせ出すなら“シングル・ヴァージョン”を再録しようということになった。しかし、このような前例がないことから、その制作費をどこが持つのかという問題が起き、原盤及び販売会社が困ってしまったという。さらに悪いことに、一度録音した音源を惜しげもなくボツにして、また録音し直したいというグループのわがままから、制作費の高騰という問題も発生した。そこでキング・スタジオが提供されることになり、キングはシングル発売にこぎつけたという[2]。
録音、制作
シングル・ヴァージョンの「12月の雨の日」と「はいからはくち」は、アルバムとは別に2回レコーディングが行われている[2]。
日付 | スタジオ | 曲名 | ミキサー | トラック | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1970年12月3日 | アオイ・スタジオ | 12月の雨の日 | 吉田保[注 2] | 4トラック | BOXセット『はっぴいえんどBOX』に収録 |
はいからはくち | ベスト・アルバム『CITY』、BOXセット『はっぴいえんどBOX』に収録 | ||||
1971年2月3日 | キング・スタジオ | 12月の雨の日 | 山崎聖次 | 8トラック | シングル発売 BOXセット『はっぴいえんどBOX』に収録 |
1971年2月28日 | キング・スタジオ | はいからはくち |
12月の雨の日
シングル・ヴァージョンのレコーディングには、ジョージ・ハリスン「マイ・スウィート・ロード」[注 3]を聴いた大滝詠一が、この曲でプロデュースを手掛けたフィル・スペクターと“再会”したことが大きく関係している。大滝によれば「アルバム・ヴァージョンではアコースティック・ギターは1本なんだよ。<マイ・スウィート・ロード>はギターが何本か入ってたよね。そこでシングル・ヴァージョンを録る時に小倉エージもかんでいて[注 4]、これがいいね、という話になって、超盛り上がったんだよ。2回重ねよう、いや4回重ねようと。嬉しかったなぁ、あそこから始まってるんだよなぁ」[5]という。さらに、「<12月>は空いたチャンネルに12弦ギターを山のようにダビングした。一人スペクター・サウンド。山崎さんと録音したキングのほうはロー・カットしている。タモやん(吉田保)と一緒にアオイでした録音のほうが、ギターは重ねてないけれどスペクターっぽい。というか『ロンバケ』っぽいんだ、エコーの使い方が。ちゃんとマスタリングしたら同じような音にできそうな気がする」[6]とも話していた。後に小倉は『レコード・コレクターズ』2014年3月 号にて「<12月の雨の日>の再収録時には、制作を主導する大滝がいた。同曲収録時でのジョージ・ハリスンの<マイ・スウィート・ロード>との出会いがフィル・スペクターの存在、自身の音楽的背景への再認識や追求の発端となり、自身のソロ活動に反映され、“ナイアガラ”でのシリーズ作や『ロング・バケイション』に連なる。再収録作の<12月の雨の日>こそは、大滝詠一としての旅立ちの始まりだった」[3]と記している。また、この曲は1973年9月21日 、文京公会堂にて行われたラスト・ライブ“CITY -LAST TIME AROUND-”と1985年6月15日 に国立競技場で行われたイベント“ALL TOGETHER NOW”での再結成ライブの両方ともにキーを半音上げて演奏され[7]、それぞれ『ライブ!! はっぴいえんど』[注 5]と『THE HAPPY END』[注 6]の2枚のライブ・アルバムに収録された。
はいからはくち
「はいからはくち」は、モビー・グレープ「オマハ」からの影響が濃厚な作品[8]。松本隆が大滝に歌詞を渡したのが1970年8月27日 、日比谷野音で行われていた“10円コンサート”の会場だった。タイトルは“ハイカラ白痴”と“肺から吐く血”のダブル・ミーニングで、さらに白痴と博士もひっかけた上でのひらがな表記になっている[9]。シングル・ヴァージョンは、『風街ろまん』収録のアルバム・ヴァージョンより3か月ほど前に録音された。「いらいら」「颱風」と並んで、大滝の初期ノヴェルティ作品に位置づけられる。演奏は3種類に分類され、一つはいちばん古いスタイルのシャッフル版で、小坂忠がコーラスで参加した別テイク、山崎聖次がエンジニアを務めたシングル・ヴァージョンがこれにあたる。もう一つがアルバム版。シャッフル版のヴァリエーションともいえるが、曲構成は明らかに異なっている。1972年 以降は大滝詠一「ウララカ」と等しい構成で演奏されるケースが出てくる。フィル・スペクター制作の「ダ・ドゥ・ロン・ロン」[注 7]を“起源”とすることから「ダ・ドゥ・ロン・ロン」版と言われている[7]。
リリース
アナログ・シングルの復刻盤が2000年ディスクユニオンでは、全9タイトル購入特典として7インチ収納BOXがプレゼントされた。
リリースの『ベルウッド 7インチボックス』に収められたほか、2017年 には“ベルウッド・レコード設立45周年記念、7インチ復刻シリーズ(第三弾)”として限定盤にてリリースされた。なお、発売を記念してアートワーク、パッケージ
歌詞カードは見開き仕様で、表面はイラストとメンバーの写真による2種類の異なるジャケット。裏面には歌詞のほか、メンバー紹介を含む記述“心やさしい若者達「はっぴいえんど」”が掲載されている。なお、歌詞カード表面および、レコード・レーベルには“12月の雨の日”とあるが、歌詞カード裏面には“十二月の雨の日”と記されている。
収録曲
全曲 作詞:松本隆、作曲:大滝詠一
©1971 アート音楽出版制作
SIDE A
- 12月の雨の日(3分19秒)
SIDE B
- はいからはくち(2分18秒)
リリース日一覧
地域 | タイトル | リリース日 | レーベル | 規格 | カタログ番号 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
日本 | 12月の雨の日 / はいからはくち | 1971年4月1日 | KING | 7"シングルレコード | BS-1366 | |
2000年3月18日 | Miracle Music ⁄ ULTRA DISTRIBUTION | MM-7001~10 | 『ベルウッド 7インチボックス』の一枚。レーベルはキングのものが使われているが、レコード袋はベルウッドのものとなっている。 | |||
2017年9月6日 | FUJI | FJEP1007 | ベルウッド・レコード設立45周年記念 7インチ復刻シリーズ(第三弾)の一枚。 |
脚注
注釈
- ^ V.A『自然と音楽の48時間 〜'70全日本フォークジャンボリー実況録音』 1970年10月10日KING 2LP:KR-7018-9 発売
- ^ 2014年[3]。 リリースのBOXセット『はっぴいえんどマスターピース』付属の「はっぴいえんど資料集」用に今回撮影されたオリジナル・マスターテープの表書きには、“昭和45年12月3日”という日付とともに“ディレクター(D.) 小倉エージ、エンジニア(Mix.) 島(島雄一)”と明記されている
- ^ George Harrison「My Sweet Lord」Released in 23 November 1970 (US), Apple Records 7" single:2995
- ^ 小倉エージは当時、アート音楽出版の社員で、これまで北山修やはしだのりひことシューベルツ、ジャックス、さらには六文銭、中川五郎はじめURCレコードの制作現場に携わった。かねてからロック・バンドのレコーディングを望んでいたことから、かねてより面識があった細野晴臣に接触。岡林信康のバッキングのオファーをきっかけとして、結成間もないはっぴいえんどをURCレコードと契約させる。デビュー・アルバムの『はっぴいえんど』にはディレクターとして参加するが、レコーディング終了後マスターテープが完成した段階で体調を崩し、アルバム・リリースを前にアート音楽出版を退社。療養のため神戸に帰郷。その後、はっぴいえんどがバッキングを担当した岡林のシングル2作と本作には、既に社員ではなかったが収録に立ち会っていた[4]。
- ^ 『ライブ!! はっぴいえんど』 1974年1月15日 発売 Bellwood ⁄ KING LP:OFL-20
- ^ 『THE HAPPY END』 1985年9月5日 発売 CBS/SONY LP:18AH 1993, 1985年11月3日 発売 CBS/SONY CT:18KH 1755
- ^ The Crystals「Da Doo Ron Ron」 Released in April 1963 (US), Philles Records 7" single:Philles 112
出典
- ^ 篠原章「ライヴ、編集アルバムとシングル」『はっぴいな日々』第19巻第10号、株式会社ミュージック・マガジン、2000年7月31日、114-117頁、ASIN B001FADJZ2。
- ^ a b 大瀧詠一 (1995). 大瀧詠一 (12cmCD) (Media notes). Yoo-Loo / Oo Records.
{{cite AV media notes2}}
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を指定する場合、|url=
も指定してください。 (説明); 不明な引数|albumlink=
、|artist=
、|coauthors=
、|notestitle=
が空白で指定されています。 (説明); 不明な引数|publisherid=
は無視されます。 (説明) - ^ a b 小倉エージ「特集 はっぴいえんど『果たせなかった再会 -“ゆでめん”を作ったころ、夢見ていた音楽のこと』」『レコード・コレクターズ』第33巻第4号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年3月1日、38-40頁。
- ^ 小倉エージ「一枚のシングルからはじまった伝説」『はっぴいな日々』第19巻第10号、株式会社ミュージック・マガジン、2000年7月31日、96-101頁、ASIN B001FADJZ2“デビュー作のディレクターが見たはっぴいえんどの歩み”
- ^ 萩原健太「対談 大瀧詠一 × 山下達郎『フィル・スペクター “50年代”を発展させた新しいポップス制作術』」『大滝詠一 Talks About Niagara Complete Edition』第33巻第7号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年4月1日、442-453頁、全国書誌番号:00039156“スペクターの凄さに気づいて”
- ^ 湯浅学「1970-1972」『大滝詠一 Talks About Niagara Complete Edition』第33巻第7号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年4月1日、6-43頁、全国書誌番号:00039156“はっぴいえんどの初シングル”
- ^ a b 篠原章「特集 はっぴいえんど『全曲/全テイク・ガイド完全版』」『レコード・コレクターズ』第33巻第4号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年3月1日、52-61頁“風街ろまん”
- ^ 『自伝 鈴木茂のワインディング・ロード』株式会社リットーミュージック、2016年3月25日、59-80頁。ISBN 978-4-8456-2793-6。"第5章 歴史的名盤『風街ろまん』"。
- ^ 志田歩「はっぴいえんど全曲ガイド」『はっぴいな日々』第19巻第10号、株式会社ミュージック・マガジン、2000年7月31日、101-113頁、ASIN B001FADJZ2“風街ろまん”