「クラウディオ・タファレル」の版間の差分
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2020年2月4日 (火) 12:47時点における版
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名前 | ||||||||||||||
本名 |
クラウディオ・アンドレ・メルゲン・タファレル Cláudio André Mergen Taffarel | |||||||||||||
ラテン文字 | TAFFAREL | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 |
![]() | |||||||||||||
生年月日 | 1966年5月8日(58歳) | |||||||||||||
出身地 | サンタローザ | |||||||||||||
身長 | 182cm | |||||||||||||
体重 | 80kg | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
ポジション | GK | |||||||||||||
利き足 | 右足 | |||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||
1985-1990 |
![]() | 252 | (0) | |||||||||||
1990-1993 |
![]() | 79 | (0) | |||||||||||
1993-1994 |
![]() | 31 | (0) | |||||||||||
1995-1998 |
![]() | 191 | (0) | |||||||||||
1998-2001 |
![]() | 129 | (0) | |||||||||||
2001-2003 |
![]() | 8 | (0) | |||||||||||
代表歴2 | ||||||||||||||
1988-1998 |
![]() | 104 | (0) | |||||||||||
監督歴 | ||||||||||||||
2004-2005 |
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2011 |
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2014 |
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2014 |
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2015 |
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1. 国内リーグ戦に限る。2014年11月21日現在。 2. 2014年11月21日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
クラウディオ・タファレル(Cláudio André Mergen Taffarel, 1966年5月8日 - )は、ブラジル・リオグランデ・ド・スル州サンタローザ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時のポジションはゴールキーパー。元ブラジル代表。
ブラジル代表GKとして最多出場記録を持ち[2]、タファレルの活躍によりブラジル国内でゴールキーパーを目指す子供が増えたとされる先駆者的存在として知られている。
経歴
クラブ
1984年、SCインテルナシオナルでデビュー。1990年にパルマACへ移籍。イタリアでプレーする初のブラジル人ゴールキーパーだった[3]。当時ブラジル人ゴールキーパーで欧州で活躍する選手はなく、キーパーが欧州で活躍するのは無理だという説を覆した。コッパ・イタリアなどのタイトル獲得に貢献した。
その後1993年から2シーズンをACレッジャーナでプレー。1995年にはアトレチコ・ミネイロへ移籍し、1998年にはガラタサライSKへ移籍した。
現役引退後は古巣ガラタサライのゴールキーパーコーチに就任。2014年11月、チェーザレ・プランデッリの解任を受け、ガラタサライの暫定監督を務めた[4]。現在はGKコーチを務めている[2]
代表
1988年7月7日のオーストラリア戦で代表デビューを果たすと、1990年のイタリアW杯でベスト16に終わったものの、全試合出場を果たした。
1994年のアメリカW杯では、正キーパーとして全試合でゴールマウスを守り、イタリア PK戦でダニエレ・マッサーロのPKを止め、バレージ、バッジョの失敗を誘い、優勝に貢献した。
決勝戦から1年後の同日に行われたコパ・アメリカの準々決勝・アルゼンチン戦でもPK戦に勝利した。
それから代表からはしばらく遠ざかっていたが、トルコでの活躍を買われ、1998年のフランスW杯の代表に選出された。本大会でも準決勝のオランダ戦でPK戦を制し、勝利に貢献した。決勝戦では地元フランス相手に3失点し、準優勝に終わった。
ブラジル代表GKとして最多出場記録を保持し、W杯通算18試合出場もGKとしては最多記録[2]。
2018 FIFAワールドカップ・サッカーブラジル代表GKコーチ、ガラタサライGKコーチ兼任。
エピソード
トルコでは長友佑都と同じマンションに住み、まだ車が無い長友を自宅からクラブハウスまで自らの車に同乗させ、『運転手』の役を務めている[2]。また長友に自らイタリア料理をふるまい、出てきた料理は本格的で、長友「びっくりするほど美味しかった」と振り返っている[5]。
個人成績
代表での成績
- 出典[1]
ブラジル代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1988 | 7 | 0 |
1989 | 16 | 0 |
1990 | 7 | 0 |
1991 | 10 | 0 |
1992 | 2 | 0 |
1993 | 15 | 0 |
1994 | 9 | 0 |
1995 | 5 | 0 |
1996 | 0 | 0 |
1997 | 15 | 0 |
1998 | 15 | 0 |
通算 | 101 | 0 |
脚注
- ^ a b “Claudio Andre Mergen Taffarel - Century of International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ a b c d “「恐れ多い」長友、運転手が元ブラジル代表レジェンドだと明かす”. gekisaca
- ^ footballista 2009/8/19号 37p
- ^ “ガラタサライがプランデッリ解任を決断”. Goal
- ^ “長友佑都、あのレジェンドに手料理をご馳走になる!「男気の塊」と絶賛”. Qoly
関連項目
- ガルヴァオン・ブエノ - ブラジルの有名なスポーツ実況アナウンサー。1994年と1998年のワールドカップに際して、ブラジルゴールが脅かされそうになった局面で“Sai que é sua, Taffarel!”「(ゴールから)出ろ、お前の(ボール)だぞ、タファレル!」という台詞を決まり文句にしていた。