コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「小田寒駅」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: Template:駅情報への地図引数挿入 - log
7行目: 7行目:
|母国語表記 = {{lang|ru|ст. Фирсово}}
|母国語表記 = {{lang|ru|ст. Фирсово}}
|画像説明 = 駅名標
|画像説明 = 駅名標
{{Infobox mapframe|zoom=13|frame-width=280|type=point}}
|地図={{Infobox mapframe|zoom=13|frame-width=280|type=point}}
|駅番号 = 99240
|駅番号 = 99240
|所属事業者 = [[ロシア鉄道]]<br />極東鉄道支社サハリン地域部
|所属事業者 = [[ロシア鉄道]]<br />極東鉄道支社サハリン地域部

2020年2月15日 (土) 09:50時点における版

フィルソヴォ駅
小田寒駅
駅名標
ст. Фирсово
地図
所在地 ロシアの旗ロシア連邦
極東連邦管区サハリン州
北緯47度39分0秒 東経142度34分0秒 / 北緯47.65000度 東経142.56667度 / 47.65000; 142.56667 (フィルソヴォ駅
小田寒駅
)
駅番号 99240
所属事業者 ロシア鉄道
極東鉄道支社サハリン地域部
駅種類 貨客駅 грузопассажирская
駅名変遷 1913年-1946年 : 小田寒(おださむ)
所属路線 コルサコフ─ノグリキ線
キロ程 コルサコフ起点 125 km
開業年月日 1927年11月20日
テンプレートを表示

小田寒駅(おださむえき)は、かつて樺太豊栄郡栄浜村に存在した鉄道省樺太東線である。

歴史

  • 1927年(昭和2年)11月20日 - 樺太鉄道落合駅 - 知取駅間(170.5km)開業により設置。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 樺太鉄道の国有化により、樺太庁鉄道東海岸線の駅となる。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 南樺太の内地化にともない、鉄道省(国有鉄道)に編入。
  • 1945年(昭和20年)8月 - ソ連軍が南樺太へ侵攻、占領し、駅も含め全線がソ連軍に接収される。
  • 1946年(昭和21年)
    • 2月1日 - 日本の国有鉄道の駅としては、書類上廃止。
    • 4月1日 - ソ連国鉄に編入。ロシア語駅名は「フィルソヴォ」。

駅名の由来

当駅の所在する地名からであり、地名はアイヌ語の「オタ・サム」(砂州が海中に突き出ている所)、「オタ・サン・ペツ」(砂が流れる川)による[1]

運行状況

1944年当時[2]

現在はユジノサハリンスク駅チーハヤ駅トマリ駅発着の1往復、ユジノサハリンスク駅、ノグリキ駅発着の特急1往復のみ停車する。

駅周辺

隣の駅

鉄道省樺太鉄道局
樺太東線
白浜駅 - 小田寒駅 - 真苫駅

脚注

  1. ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)、栄浜村のページより
  2. ^ 南樺太:概要・地名解・史実 p.60