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2020年2月15日 (土) 10:09時点における版
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焼鮒駅 | |
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焼鮒駅(1991年3月) | |
やきふな Yakifuna | |
◄ときめき (0.6 km) (1.8 km) 越後大野► | |
所在地 | 新潟県西蒲原郡黒埼町大字山田* |
所属事業者 | 新潟交通 |
所属路線 | 新潟交通電車線 |
キロ程 | 6.8 km(白山前起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1933年(昭和8年)4月1日 |
廃止年月日 | 1999年(平成11年)4月5日 |
*現在は新潟市西区山田 |
焼鮒駅(やきふなえき)は、かつて新潟県西蒲原郡黒埼町大字山田(現新潟市西区山田)にあった新潟交通電車線の駅。
概要
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構造
地上駅。平日午前のみ業務を行う簡易委託駅であった。相対式ホーム2面2線を有し、両ホームが構内踏切によって連絡していた。駅舎には出札窓口のほか、自動販売機、トイレ(汲取式)などが設けられていた。
駅舎のすぐ南側を、上越新幹線の高架橋が東西に横断している。東関屋方の線路がカーブしているのは、1964年(昭和39年)の新潟地震によって、曲げられたものである。
駅名の由来
「越後七不思議」の一つに数えられる「焼鮒伝説」にちなむ。
駅周辺
- 黒埼町立山田小学校(現新潟市立山田小学校)
- 当駅跡北側に所在する。校地が電車線を挟んで東西に分断されており、東側の校舎と西側のグラウンドが地下通路によって連絡している。電車線廃止以降、分断されている校地を一体的に整備する構想が議論されているものの、新潟交通が線路敷の有償譲渡を主張しているため、現在も計画は具体化に至っていない。
歴史
- 1933年(昭和8年)4月1日 - 鉄道線東関屋駅 - 白根駅間開業と同時に新潟電鉄の駅として開業。
- 1943年(昭和18年)12月31日 - 新潟交通の発足により同社の駅となる。
- 1946年(昭和21年)12月 - 交換可能駅になる[1]。
- 1961年(昭和36年)9月1日 - 請負人配置駅になる[1]。
- 1965年(昭和40年)1月1日 - 貨物廃止[1]。
- 1999年(平成11年)4月5日 - 新潟交通電車線東関屋 - 月潟間廃線により廃駅となる。
駅跡
現在は駅施設が全て撤去されている。撤去後しばらくは更地となっていたが、現在は駅の跡地の一部は住宅地となり、線路跡は自転車歩行者専用道路として整備されている。
隣の駅
出典
関連項目