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「アンドリュー・パーカー・ボウルズ」の版間の差分

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2020年3月17日 (火) 09:31時点における版

アンドリュー・パーカー・ボウルズ(Brigadier Andrew Henry Parker Bowles, OBE, 1939年12月27日 - )は、退役イギリス陸軍将校イギリス王室皇太子チャールズの後妻である現コーンウォール公爵夫人カミラの元夫である。

生い立ち

彼は第6代マックルズフィールド伯爵の曾孫であるデレク・ヘンリー・パーカー・ボウルズの息子として生まれた。母はカトリック教徒のアン・デ・トラフォードであり、彼女は億万長者であるサー・ハンフリー・デ・トラフォードの娘である。

軍歴

成長した彼はベネディクティン・アンプルフォース・カレッジサンドハースト王立陸軍士官学校で教育を受けた後、1960年にロイヤル・ホースガーズ連隊に入隊した。

1965年頃にはサー・バーナード・フェルガッソンニュージーランド総督附武官(Aide-de-camp)となった。1967年から1969年の間はロイヤル・ホースガーズ連隊の副官 (Adjutant) を務めている。連隊は1969年にブルーズ・アンド・ロイヤルズライフガーズと共に王室騎兵を構成する)へと改組され、翌1970年までその副官を務めている。1971年12月には少佐へ昇進し、1972年にはB騎兵中隊の隊長を務め、1980年6月30日に中佐に昇進した。1981年から1983年までは王室騎兵乗馬連隊 (Household Cavalry Mounted Regiment) の指揮官 (Commanding Officer) となった。1987年大佐に昇進し、王室騎兵連隊の連隊長代理となり、エリザベス女王付のシルバースティック(護衛騎兵将校補佐)を1990年まで務めた。1990年に准将へと昇進し、1991年から1994年まで王立陸軍獣医軍団 (Royal Army Veterinary Corps) の総監を務め、1994年に退役した。

私生活

1970年代前半、アンドリューはチャールズ王子のポロチームに加わり、アン王女と交際したのち、チャールズと交際したことのあるカミーラ・ローズマリー・シャンドと交際した[1]

1973年、カトリックの教義に則ってカミーラと結婚式をあげた。その後夫婦は二人の子供トムとローラをもうけている。二人はカトリックとして教育を受けており、ローラはシャフツベリーのセント・マリーズに、トムはイートン・カレッジに入学している。

アンドリューとカミーラは1995年に離婚し、一年後彼は長年の愛人であったローズマリー・ピットマンと結婚した。ローズマリー(旧姓ディキンソン)はヒュー・ピットマン中佐の元妻であり、彼はピットマン・システムの発明者であるサー・アイザック・ピットマンの子孫でダイアナ妃の伯父である第5代フェルモイ男爵エドムンド・フェルモイの義理の兄弟であった。アンドリューとローズマリー夫妻は2005年4月9日に行われたチャールズ王太子とカミーラとの結婚式に出席している。

脚注

  1. ^ Barber, Lynn (21 October 2003). “'Quite grand, and she doesn't tip'”. The Daily Telegraph. https://www.telegraph.co.uk/culture/books/3604909/Quite-grand-and-she-doesnt-tip.html 3 October 2017閲覧。