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2020年3月17日 (火) 09:37時点における版
ジョー・コッカー | |
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基本情報 | |
生誕 | 1944年5月20日 |
出身地 | イングランドシェフィールド |
死没 | 2014年12月22日(70歳没) |
ジャンル | ロック、ポップス |
職業 | 歌手 |
活動期間 | 1964-2014 |
レーベル | デッカ・レコード、A&Mレコード |
公式サイト | Joe Cocker |
ジョー・コッカー(OBE, John Robert 'Joe' Cocker 1944年5月20日 - 2014年12月22日)は、イギリス・イングランドサウス・ヨークシャー州シェフィールド出身の歌手。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第97位[1]。
略歴
公務員の息子として育ち、学校を辞めガスの配管工として働きながら15歳頃からパブで音楽活動を始める。当初はヴァンス・アーノルドという芸名で活動していた。1964年にデッカ・レコードからデビューするが不発に終わり、シェフィールドにてグリース・バンドとともにライヴ活動を行った。R&Bに影響を受けた唱法やライヴ・パフォーマンスが評判を呼び、1968年にクリス・ステイントンとの共作「マジョリーン」でA&Mレコードから再デビューして、自身初の全英シングルチャート入りを果たし48位を記録した[2]。同年にビートルズの「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」のカバーが全英チャート1位の大ヒット[2]、そしてイングランドのみならずFM放送局を通じてアメリカ、オランダ、ヴェネズエラなどの国で脚光を浴びる。1969年には彼の人気を決定づけたウッドストック・フェスティバルに出演[3]。公開された映画でのエア・ギター・パフォーマンス(本物のギターも弾ける)と「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」でのパワフルな歌唱で世界の聴衆にも強い印象を与えた。またレオン・ラッセル制作のシングル「デルタ・レディ」も全英10位を記録する[2]。
1970年に再びビートルズの「シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー」のカバーやトラフィックの「フィーリン・オールライト」でアメリカのチャートにも食い込み、同年のアメリカ・ツアーはレオン・ラッセルが仕掛け人となり、メディスン・ショウの一座の様な大所帯のバック・バンドが話題となった。マッド・ドッグス&イングリッシュメン・ツアーは商業的には成功に至らなかったが、しかし、この模様を収めたフィルモア・イーストでのライヴ盤『マッド・ドッグス&イングリッシュメン』(1970年)はヒットした。収録されているリタ・クーリッジが唄う「スーパースター」は、後にベット・ミドラーやカーペンターズに歌い継がれている。だが、ツアーの負債はジョー・コッカー個人が負うことになってしまう。
レオン・ラッセルは去り、相棒のクリス・ステイントンも去りツアーに疲れたコッカーには金銭的にも恵まれず、1972年のマッド・ドッグス&イングリッシュマン・ツアーの滞在先のオーストラリアで大麻所持の容疑で逮捕されてしまう。オーストラリアの連邦警察当局は48時間以内にオーストラリアから出国する様に命じられた。これに対して多くのファンが抗議活動を行い、これが発展してオーストラリアの大麻の合法化の討論にまで発展した。
1974年にようやく『I Can't Stand In The Rain』でフル・アルバムを制作、1975年にはアルバムからのシングルでビリー・プレストンのカバー「ユー・アー・ソー・ビューティフル」がビルボードのヒット・チャートで5位になりシンガーとしてのキャリアを高めて行く。アルバム『Jamaica Say You Will』、そして翌1976年にはジャマイカでの録音でスタッフとピーター・トッシュ、エリック・クラプトンらとのアルバムをリリースしている一方、長年の薬物中毒とアルコール依存の脱却をはかり1981年にはゲスト・ヴォーカルで参加したザ・クルセイダーズの「Standing Tall」(1980年)がグラミー候補になり、1982年にはジェニファー・ウォーンズとデュエットした映画『愛と青春の旅だち』の主題歌「Up Where We Belong」が全米1位のヒットを記録した。これ以降大衆的な歌手としてアルバムをコンスタントにリリースできるキャリアを確立した。
尚1994年のウッドストック25周年記念コンサートに参加して「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」を披露している。
2007年12月、エリザベス女王より功績をたたえられてOBEを受賞した[4]。
2014年12月22日、コロラド州クロフォードで肺がんのため死去[5]。70歳没。
ディスコグラフィ
スタジオ作品
- With a Little Help from My Friends (1969)
- Joe Cocker! (1969)
- Joe Cocker(also known as Something to Say) (1972)
- I Can Stand a Little Rain (1974)
- Jamaica Say You Will (1975)
- Stingray (1976)
- Luxury You Can Afford (1979)
- Standing Tall (1980 The Crusadersに客演)
- Sheffield Steel (1982)
- Civilized Man (1984)
- Cocker (1986)
- Unchain My Heart (1987)
- One Night of Sin (1989)
- Night Calls (1991)
- Have a Little Faith (1994)
- Organic (1996)
- Across from Midnight (1997)
- No Ordinary World (1999)
- Respect Yourself (2002)
- Heart & Soul (2004)
- Hymn for My Soul (2007)
ライヴ作品
- Mad Dogs & Englishmen (1970)
- Live in LA (1976)
- Space Captain(1976)
- Live in New York(1981)
- Joe Cocker Live (1990)
- On Air 1968/1969(1998)
- Standing Here - Live in Colorado '81(2001)
編集作品
- Cocker Happy (1971) (Australia only, 1971)
- Joe Cocker's Greatest Hits (1977)
- The Best of Joe Cocker (1983 - Australia/NZ only)
- The Best of Joe Cocker (1993)
- The Long Voyage Home (1995, box set)
- Greatest Hits (1998)
- The Anthology (1999)
- Greatest Love Songs (2003)
- The Ultimate Collection 1968-2003 (2003)
- Ultimate Collection (2004)
- Gold (2006)
- Classic Cocker (2007)
注釈・出典
- ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Joe Cocker”. 2013年5月26日閲覧。
- ^ a b c JOE COCKER | full Official Chart History | Official Charts Company
- ^ http://liveforlivemusic.com/.../relive-joe-cocker-woodstock-1...
- ^ “Joe Cocker receives royal honor”. CNN (2007年12月13日). 2019年6月19日閲覧。
- ^ ジョー・コッカー氏死去=英出身の歌手 時事通信 2014年12月23日閲覧
関連項目
外部リンク
- Joe Cocker(英語) - 公式サイト