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2020年3月17日 (火) 09:56時点における版
木村 伊量 (きむら ただかず) | |
---|---|
生誕 |
1953年11月16日(71歳) 香川県高松市 |
教育 | 早稲田大学政治経済学部政治学科 |
職業 |
ジャーナリスト 元政治部記者 |
活動期間 | 1976 – 現在 |
代表経歴 | Honorary Commander of the Most Excellent Order of the British Empire(2014年10月) |
肩書き |
フリージャーナリスト 前朝日新聞社社長 |
木村 伊量(きむら ただかず、1953年11月16日 - )は、日本のフリージャーナリスト。朝日新聞社前代表取締役社長。
来歴
香川県高松市出身。香川県立高松高等学校卒業[1]。1976年3月、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同年4月、朝日新聞社に入社。岐阜支局赴任から始まり、1982年、東京本社政治部へ異動。政治部記者として、首相官邸、自民党、外務省などを担当。西ドイツ長期取材。1993年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員[2]、1994年、ワシントン特派員としてホワイトハウス、国務省、大統領選挙を担当。
1997年に帰国後、政治部次長へ異動。1998年、社長秘書役[2]、2000年に論説委員(政治・外交・安全保障担当)。2002年の人事で政治部部長に就任、2003年に編集局長補佐[2]。ゼネラルマネジャー兼東京本社、2006年人事にて、ヨーロッパ総局長[3]。東京本社編集局長補佐、朝日新聞GLOBE編集長、2010年6月付け人事で、西部本社代表(役員待遇)、2011年6月、取締役(広告・企画事業担当)、2012年6月26日、朝日新聞社代表取締役社長就任[4]。秋山耿太郎から2代続けての政治部出身の社長だった。
社長就任にともなって、クロスオーナーシップである、公益財団法人朝日新聞文化財団理事長、株式会社テレビ朝日取締役等兼務した。また、2013年度より朝日賞選考委員(委員長)を務めた。
ヘラトリ朝日、ならびに紙ベースの英字新聞事業から撤退したのちも請負っていたインターナショナル・ヘラルド・トリビューンの発行を、同紙が2013年10月15日からインターナショナル・ニューヨーク・タイムズに改称することを機に停止、ジャパンタイムズに営業権譲渡した。
2014年10月20日、2013年に大英博物館との協力関係を9年延長したことを評価され、駐日英国大使館においてティム・ヒッチンズ大使により外国人に与えられる名誉大英帝国勲章「Honorary Commander of the Most Excellent Order of the British Empire」(Honorary CBE。大英帝国司令官クラス)が伝達される[5]。
2014年11月14日、吉田調書問題や従軍慰安婦問題を巡る一連の捏造・誤報の責任をとる形で、持田周三常務取締役・杉浦信之取締役とともに辞任を表明した[6]。
同年12月5日、臨時株主総会と臨時取締役会を開き、代表取締役社長の辞任決定[7]。社長を辞任する際に「特別顧問」に就任しようとしたが、社内の反発が強く辞退に追い込まれ[8][9][10]、追われるように朝日新聞社を退社する。 退社後は、2015年7月31日付けで、日本外国特派員協会に加盟し、フリーのジャーナリストとして活動している[11]。
主張
- 政治部長時代に北朝鮮が拉致問題を認めた際、朝鮮半島の植民地支配を踏まえ拉致問題は棚上げし、日朝国交正常化を進めるよう署名記事で主張を提言した[12]。
- 2005年、東京本社編集局長時代に長野総局で起きた、朝日新聞の新党日本に関する捏造事件の責任を取り減給、更迭処分となった[13]。
- 元主筆の船橋洋一が主導し、「ANY(エニー)プロジェクト」の一環として、不採算部門である朝日新聞出版を完全独立させ、「朝日新聞第二高級紙創刊プロジェクト」を立上げ、小説家で元編集局長の外岡秀俊と共に木村も中心メンバーになった[14]。しかし、船橋と外岡が対立し外岡を外し計画は頓挫した結果、朝日新聞の中折りに週刊ではさむ「朝日新聞GLOBE」として創刊し、木村が初代編集長に就任した。
- 中央日報によると、2014年10月に東京で開かれた韓日言論人フォーラムで、「韓国は日本の兄のようだ」と語った[15]。
著書
脚注
- ^ 木村伊量高松高校東京玉翠会
- ^ a b c 政治と金に関する新たなカルチャーをいかに構築するか 木村伊量氏 朝日新聞社編集局長補佐・政治部長 東京リーガルマインド
- ^ 財団法人日本総合研究所 第6回 日総研フォーラムのご案内(2016年3月4日時点のアーカイブ)
- ^ 朝日新聞デジタル:朝日新聞社長に木村取締役 秋山社長は会長に(2012年7月18日時点のアーカイブ) - 2012年4月27日
- ^ 朝日新聞社長 木村伊量氏に名誉大英勲章CBE GOV.UK - 2014年10月21日
- ^ 木村社長が引責辞任 後任に渡辺取締役 朝日新聞社(2014年11月14日時点のアーカイブ), 「改めて深くおわび申し上げます」 木村伊量社長(2014年11月14日時点のアーカイブ); 福地献一取締役は執行役員に降格、喜園尚史執行役員は執行役員を辞任する。 - 朝日新聞デジタル(2014年11月14日)
- ^ 朝日新社長が就任、渡辺氏「根底から改革」(2014年12月11日時点のアーカイブ) - YOMIURI ONLINE(2014年12月6日)
- ^ 朝日新聞社、新体制が発足 木村前社長は顧問就任辞退(2015年2月16日時点のアーカイブ) 朝日新聞 2014年12月5日 12時26分
- ^ [1](2014年11月23日時点のアーカイブ)週刊文春 2014年11月18日
- ^ 朝日新聞社の木村氏、社長辞任後の顧問就任取り消し 当初の「特別顧問」から二転三転sankeibiz 2014年12月5日
- ^ New Members in August FCCJ 2015年7月31日
- ^ 朝日新聞 2002年9月18日付 朝刊[要ページ番号]
- ^ 朝日記者が虚偽メモ、「新党」記事に…懲戒解雇(2014年9月12日時点のアーカイブ) 読売新聞 2005年8月30日1時10分
- ^ 「新聞没落」 週刊ダイヤモンド 2007年9月22日号[要ページ番号]
- ^ 「韓日関係、自尊心より尊敬を前面に出すべき」中央日報 2014年10月20日
関連項目
外部リンク
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