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科学朝日

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

科学朝日』(かがくあさひ)は、科学に関する日本雑誌朝日新聞社刊。後に『SCIaS』(サイアス)と名称を改める。1941年昭和16年)から2000年平成12年)まで刊行された。

特色

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1941年(昭和16年)に創刊された科学雑誌の老舗であった。専門の科学者や技術者を読者として想定して原著論文や専門家向けの総説を掲載する学術雑誌ではなく、一般向けに科学の最先端を紹介するジャーナリスティックな内容の雑誌であった[1]

沿革

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創刊

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1941年(昭和16年)、「機械知識涵養に重点を置き、更に科学全般の各分野にわたり、各号時宜に適合した題目を採り上げ、殊に写真と図解とを豊富にし少国民にも工場の産業青年にも平易にかつ楽しく読め、理解出来る」雑誌として『科学朝日』が創刊される[2]。元々は前年に創刊された航空雑誌『航空朝日』の兄弟誌という位置づけで、初代編集長は『航空朝日』編集長の斎藤寅郎が兼務した。

同年11月2日、『科学朝日』創刊を記念して、神田共立講堂で「科学講演と科学映画の会」(主催・朝日新聞社、講演・日本映画社)が開催される[3]。この会では、科学講演の部で仁科芳雄理学博士講演「宇宙船の話」と原乙未生陸軍少佐講演「科学戦から見た欧州大戦」、科学映画の部で『雪崩』『細菌物語』(十字屋映画部製作)、『独逸の陸軍』『植物の感応現象』(東和商事ウファ文化映画)が公開される[3]

リニューアル

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1996年(平成8年)、最先端情報を国際的な視点から速報する日本初の隔週刊ニュース科学誌として、『SCIaS(サイアス)』に改称して創刊する[4]

休刊

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2000年(平成12年)9月1日、12月号を最後に『サイアス』を休刊することが決定する[5]。この決定に伴い、立花隆は11月号の科学ルポ連載の枠を使って、科学ジャーナリズムの危機と、本誌の存続を訴える文章を載せている[6]。さらに、最終号では、全11ページにわたって「『サイアス』をつぶすな」という署名、応援メッセージ、出版担当の取締役による「休刊の弁」が載せられる[7]

その後

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2011年(平成23年)4月から朝日ニュースターで隔週、『科学朝日』と題する科学トーク番組が開始された。タイトルは雑誌『科学朝日』を意識したと、司会の高橋真理子(朝日新聞編集委員)は第一回冒頭で説明している。朝日新聞「WEBRONZA」と連携して、テキスト配信サービスもおこなっている。

2023年(令和5年)10月5日、朝日新聞出版局の後身である朝日新聞出版は科学朝日の競合誌であった『Newton』を出版しているニュートンプレスの全株式を取得し、子会社化したことを発表した。これにより、朝日新聞出版としては23年振りに科学雑誌の発行が復活することになった[8][9]

書誌情報

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  • 『科学朝日』朝日新聞社、1941年11月-1996年3月。 NCID AN00036832全国書誌番号:00003418 
  • 『SCIaS』朝日新聞社、1996年8月-2000年12月。 NCID AN1056583X全国書誌番号:00105620 

科学朝日編著書

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脚注

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  1. ^ 同時代に似たジャンルの科学雑誌としては、中央公論社の『自然』などが発刊されていた。
  2. ^ 「月刊雑誌 科学朝日 創刊 明治の佳節を期して第一号を発売」『朝日新聞』1941年9月22日、5面。
  3. ^ a b 「科学講演と科学映画の会」『朝日新聞』1941年11月1日、5面。
  4. ^ 「科学誌「SCIaS」 10月に創刊」『朝日新聞』1996年4月16日、1面。
  5. ^ 「「アサヒグラフ」と「サイアス」を休刊」『朝日新聞』2000年9月2日、38面。
  6. ^ 「「サイアス」休刊で波紋」『読売新聞』2000年10月28日、4面。
  7. ^ 立花隆「朝日新聞科学部創設50周年記念シンポジウム「科学技術と国家」 立花隆氏の基調講演「科学技術創造立国の前門の虎、後門の狼」(1)」『朝日新聞』2007年11月16日。2021年12月12日閲覧。
  8. ^ 朝日新聞出版が「Newton」出版社をグループ化 国内最大科学誌”. 朝日新聞 (2023年10月5日). 2023年10月6日閲覧。
  9. ^ 朝日新聞出版、Newtonを子会社化 事業再生完了、サービス拡大へ”. ITmedia NEWS (2023年10月6日). 2023年10月6日閲覧。

外部リンク

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