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2020年3月17日 (火) 10:54時点における版
クレオ・レーン(Dame Cleo Laine, 1927年10月28日 ミドルセックス州クレメンタイン・ダイナー・キャンベル - )は、スキャットで名高いイギリスの大御所ヴォーカリストにしてミュージカル女優である。ジャズ、ポピュラー音楽、クラシック音楽の各部門においてグラミー賞にノミネートされたことのある唯一の女性歌手である。
略歴
ロンドン郊外のサウソール[1]にて、ジャマイカ人の父とイングランド人の母親との間に生まれる。早くから母親によって声楽教室やダンス教室に通わされるも、20代半ばまでは本気で歌手になるつもりはなく、美容師見習いや司書、質屋の店員として働いた。ミュージシャンのジョニー・ダンクワース率いるジャズバンドのオーディションに晴れて合格し、1958年までその楽団と共演を続ける。同年ダンクワースと結婚。
その後は歌手や舞台女優として活動の幅を広げるようになり、1950年代にジョン・オズボーンやハロルド・ピンターら当時の若手作家の拠点であった、ロンドンのロイヤルコート劇場において新作戯曲の主役を張る。1959年以降はミュージカルにも進出し、1971年にはアデルフィ劇場における《ショウ・ボート》の上演にも出演した。
この間に録音でも2度の大成功を収めている。1961年にエディンバラ音楽祭においてクルト・ヴァイルの《七つの大罪》のプリマドンナを務めるなか、レコード“You'll Answer to Me”を全英トップテンにチャートインさせた。1964年に夫ジョニーと共演したアルバム「シェクスピア・ジャズ(“Shakespeare and All that Jazz”)」は、批評筋から幅広い称賛を勝ち得るとともに、ジャズ・ヴォーカリストとしては斬新な一面と一体化してきた彼女のレパートリーの中でも、こんにちまで際立って画期的な一枚に数えられている。
1972年に国際的な活動を開始。オーストラリアで最初のツアーを行なって成功させ、その直後には、ニューヨークのリンカーンセンターにおいて米国デビューも果たすとともに、1973年にはカーネギーホールにもデビューを果たす。その後は全米ツアーとカナダ・ツアーを行い、数々のレコード製作やテレビ出演にも活躍。これまでにも度々グラミー賞にノミネートされてきたが、1983年のカーネギーホールにおけるライブを収録した音盤により、初めてグラミー賞を獲得した。その他の重要なアルバムに、レイ・チャールズやメル・トーメと共演したものや、グラミー賞クラシック音楽部門にノミネートされたシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》がある。またジェームズ・ゴールウェイやナイジェル・ケネディ、ジュリアン・ロイド・ウェッバーやジョン・ウィリアムズら、クラシック音楽のアーティストとも共演をしてきた。
1979年に音楽界への献身が実って大英帝国勲章を授与され、1997年の正月には、デイムの称号を授かった(2006年の正月には、夫ジョニーが下級勲爵士に序せられサーの称号を授与された)。
その他に、バークリー音楽大学、ケンブリッジ大学、ヨーク大学などから名誉博士号を授与されており、さらにケンブリッジ大学からは、ヒューズホール大学院の名誉学友に選ばれている。
註
- ^ She attended the Board School in Featherstone Road, until recently Featherstone primary School