「中野停留場」の版間の差分
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阪神高速道路の工事に伴う線路の移設までは、平野側にわたり線が存在した。また、その頃までは上り線ホームに売店があり、乗車券も販売されていたが、その後なくなっている。 |
阪神高速道路の工事に伴う線路の移設までは、平野側にわたり線が存在した。また、その頃までは上り線ホームに売店があり、乗車券も販売されていたが、その後なくなっている。 |
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隣の駒川町停留場から当駅の区間にかけて、阪神高速道路の高架脚が、2本で跨ぐタイプから1本脚になる部分がある。よく見ると、その1本脚は中心が少しずれており、長めに腕が出ている方が、平野線軌道上だった名残である。これは、阿倍野方面からここまで、阪神高速道路の高架に寄り添ってきた平野線の軌道が、高架の下に潜った部分を示す。阪神高速工事中・工事完了後の当駅~西平野間は、高架道路の真下を電車が走った(再び高架脚は2本で軌道を跨ぐ形になる)。鉄道高架ではないとはいえ、営業中の鉄道路線で直上高架工事が施工された例である。また、阪神高速14号松原線の地下には、平野線の代替となる大阪市営地下鉄谷町線(現・[[ |
隣の駒川町停留場から当駅の区間にかけて、阪神高速道路の高架脚が、2本で跨ぐタイプから1本脚になる部分がある。よく見ると、その1本脚は中心が少しずれており、長めに腕が出ている方が、平野線軌道上だった名残である。これは、阿倍野方面からここまで、阪神高速道路の高架に寄り添ってきた平野線の軌道が、高架の下に潜った部分を示す。阪神高速工事中・工事完了後の当駅~西平野間は、高架道路の真下を電車が走った(再び高架脚は2本で軌道を跨ぐ形になる)。鉄道高架ではないとはいえ、営業中の鉄道路線で直上高架工事が施工された例である。また、阪神高速14号松原線の地下には、平野線の代替となる大阪市営地下鉄谷町線(現・[[Osaka Metro谷町線]])が走ることとなった。南海平野線の運行最終日と、谷町線の代替区間の営業開始は同じ日だったので、1980年(昭和55年)11月27日の1日に限り、地下鉄、地上の平野線、そして高架に高速道路が同時に存在・営業したことになる。 |
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== のりば == |
== のりば == |
2020年3月23日 (月) 11:28時点における版
中野停留場 | |
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なかの NAKANO | |
◄駒川町 (0.5 km) (1.1 km) 西平野► | |
所在地 | 大阪府大阪市東住吉区中野通 |
所属事業者 | 南海電気鉄道 |
所属路線 | 平野線 |
キロ程 | 4.3 km(今池起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1914年4月26日 |
廃止年月日 | 1980年11月28日 |
備考 | 所在地は、1980年の新住居表示以前の地名 |
中野停留場(なかのていりゅうじょう)は、大阪府大阪市東住吉区にあった南海電気鉄道平野線の駅。
概要
現在の阪神高速14号松原線沿いの、大阪シティバス針中野1丁目バス停(平野線運行当時は中野駅前バス停)脇の高架下の公園が、当駅の上りホーム(今池方面行)の跡地である。公園の西端の交差点を挟んで、北側に下り(平野行)ホームが千鳥配置され、上りホームは、阪神高速道路の工事が始まり、若干移設されたが、下りホームは開業当時のホームが、ほぼそのままの趣きで営業廃止まで使用された。
阪神高速道路の工事に伴う線路の移設までは、平野側にわたり線が存在した。また、その頃までは上り線ホームに売店があり、乗車券も販売されていたが、その後なくなっている。
隣の駒川町停留場から当駅の区間にかけて、阪神高速道路の高架脚が、2本で跨ぐタイプから1本脚になる部分がある。よく見ると、その1本脚は中心が少しずれており、長めに腕が出ている方が、平野線軌道上だった名残である。これは、阿倍野方面からここまで、阪神高速道路の高架に寄り添ってきた平野線の軌道が、高架の下に潜った部分を示す。阪神高速工事中・工事完了後の当駅~西平野間は、高架道路の真下を電車が走った(再び高架脚は2本で軌道を跨ぐ形になる)。鉄道高架ではないとはいえ、営業中の鉄道路線で直上高架工事が施工された例である。また、阪神高速14号松原線の地下には、平野線の代替となる大阪市営地下鉄谷町線(現・Osaka Metro谷町線)が走ることとなった。南海平野線の運行最終日と、谷町線の代替区間の営業開始は同じ日だったので、1980年(昭和55年)11月27日の1日に限り、地下鉄、地上の平野線、そして高架に高速道路が同時に存在・営業したことになる。
のりば
上り | ■平野線 | 田辺 ・阿倍野 ・今池方面 阪堺線直通 |
恵美須町 行 |
■平野線 | 田辺 ・阿倍野方面 上町線直通 |
天王寺駅前 行 | |
下り | ■平野線 | 平野方面 | 平野 行 |
駅名の由来
- 旧「中野村」域に所在したため(明治期の合併により開業時は「南百済村」に所在)。中野の地名は、平安時代から今も続く「中野小児鍼」で古くから知られており、その後開通した近鉄南大阪線「針中野駅」の駅名の由来ともなった。現在も針中野3丁目に、鍼への道と当駅への分岐を示す道標が残る。石の道標には、平野線開業の4月に、当時の院長が建立したと思われる文字が刻まれている。
歴史
周辺
- 大阪法務局東住吉出張所