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2020年3月23日 (月) 14:47時点における版
大阪市立東商業高等学校 | |
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大阪市立東商業高等学校 | |
過去の名称 |
東区甲種商業学校 大阪市立東商業学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪市 |
学区 | 大阪府全域 |
併合学校 | 大阪市立浪華商業高等学校 |
設立年月日 | 1920年 |
創立者 | 大阪市東区 |
閉校年月日 | 2014年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
商業科(総合募集) 国際経済科 会計科 総合ビジネス科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 27227C |
所在地 | 〒541-0056 |
北緯34度40分49.5秒 東経135度30分28.8秒 / 北緯34.680417度 東経135.508000度座標: 北緯34度40分49.5秒 東経135度30分28.8秒 / 北緯34.680417度 東経135.508000度 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大阪市立東商業高等学校(おおさかしりつ ひがししょうぎょう こうとうがっこう)は、大阪府大阪市中央区に所在した市立の商業高等学校であった。現在は閉校した。
概要
商業系学科3学科(国際経済科・会計科・総合ビジネス科)を設置する商業高等学校であった。受験時には学科の区別なく総合募集をおこなっていた。1年次の4月~5月をオリエンテーション期間として各学科の授業体験をおこったのち、生徒からの学科希望をもとに、1年次の5月に正式に所属学科が決定される。
かつては夜間定時制課程を単独設置する大阪市立東第二商業高等学校・大阪市立新船場高等学校(現在の大阪市立中央高等学校)と校舎・敷地を共用していた時期があった。
学校統廃合により、2012年度に大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校に統合された。大阪ビジネスフロンティア高等学校はもとの大阪市立天王寺商業高等学校の場所に設置され、同校開校と同時に東商業高等学校も同校内の校舎に移転した。 2014年3月に最終学年が卒業し、廃校となった。
沿革
1920年に東区甲種商業学校として、大阪市東区広小路町(現在の大阪市中央区上町)に創立した。創立時の敷地は、現在は大阪府立中央聴覚支援学校となっている。
太平洋戦争の際、戦時体制により工業学校への転換を余儀なくされ、また大阪大空襲で広小路町の校舎が被害を受けた。1948年、女子商業学校だった大阪市立浪華女子商業学校(大阪市立浪華商業高等学校)の校舎(現在地)へ移転し、2校同居する形で男女共学を実施した。浪華女子商業学校は戦時体制による男子商業学校の工業学校への転換分を補うための女子商業学校として、旧浪華国民学校[1]の校舎を転用して1944年に設置されたものである。その後1950年に、正式に東商業・浪華商業の2校が合併した。
1970年代には都島区東野田・大阪大学工学部の跡地を大阪市が取得し、大阪市立東高等学校と大阪市立東商業高等学校の2校が移転する構想が持ち上がった。しかしその後、東高校のみの単独移転(1979年)という形で決着し、東商業高校は現在地にとどまっている。
1979年より現在地での校舎建て替えが進められることになり、旧東高等学校校舎(現在の中央区役所の位置)に仮移転した。1982年に現在地の新校舎に復帰している。1997年に3学科体制へと改編された。
大阪市教育委員会は2004年、大学や産業界と連携して、高度な専門性を持つ商業人の育成や、高校・大学の7年間を見据えた商業教育などをおこなう新しいタイプの市立商業高等学校を、既存校の統廃合で設置する構想を発表した。
大阪市教育委員会は2007年6月、統廃合対象校と新商業高校の開校計画時期を発表した。発表によると、新商業高校は既存の大阪市立天王寺商業高等学校・大阪市立市岡商業高等学校・大阪市立東商業高等学校の3校を統合して、従来の天王寺商業高等学校の場所に2012年4月の開校を目指すとした。
これに伴い2012年4月より在校生も新商業高等学校(2011年「大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校」に校名決定)内の新校舎に移転し、新商業高校・東商業高等学校・天王寺商業高等学校・市岡商業高等学校の4校が新商業高等学校の校舎を共用することが発表された。また東商業高等学校は、最終学年が卒業する2014年3月に閉校した。
年表
- 1920年 - 東区甲種商業学校として、大阪市東区広小路町に創立。
- 1921年 - 東区から大阪市に移管。大阪市立東商業学校となる。男子のみの募集。
- 1943年 - 戦時体制により工業学校に転換。
- 1945年 - 大阪大空襲で校舎が被災。
- 1948年 - 学制改革により大阪市立東商業高等学校となる。大阪市立浪華商業高等学校(旧・浪華女子商業学校)との同居で男女共学を実施。現在地(旧浪華女子商業学校の校舎)に移転。
- 1950年 - 大阪市立浪華商業高等学校を合併。
- 1979年 - 現在地での校舎の建て替えのため、大阪市立東高等学校跡地(のちの中央区役所の位置)に仮移転。
- 1982年 - 新校舎が完成。現在地に復帰。
- 1997年 - 学科を改編。従来の商業科1学科から、国際経済科・会計科・総合ビジネス科の商業系3学科体制となる。
伝統訓
「士魂商才」
利益をあげお金を稼ぐだけの才能ではなく、知性に裏付けられた商才をもつことを意味する。
校歌
作詞 六條篤(大正12年度四回生)、作曲 白石一郎(大正12年度同校教諭)によるもの。
出身者
交通
- 大阪市営地下鉄中央線・堺筋線 堺筋本町駅 南へ約150m