駒田桂二
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1955年撮影 | |
基本情報 | |
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出身地 | 日本大阪府布施市(現:東大阪市) |
生年月日 | 1926年1月30日 |
没年月日 | 2012年8月1日(86歳没) |
身長 体重 |
180 cm 70 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1949年 |
初出場 | 1949年 |
最終出場 | 1956年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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駒田 桂二(こまだ けいじ、1926年1月30日 - 2012年8月1日[1])は大阪府布施市(現:東大阪市)[2]出身のプロ野球選手。
来歴・人物
[編集]1949年シーズン中に東洋紡績から大阪タイガースに入団[2]。当初は制球力に難があったが、それを克服し1950年に頭角を現し7勝を挙げる(6敗)。カーブが武器の投手であった。翌1951年には11勝を挙げる。その後は、先発投手としてチームを支えた。1956年オフに退団し、東洋紡績に復帰した。2012年8月1日、死去。86歳没。
投手でありながらバッティングセンスも良く、通算で.217の打率を記録している。また通算本塁打数は1951年に記録した1本のみであるものの、後述の「幻の本塁打」をも含めると(通算のみならず、1951年のシーズンを含めて)2本打った事になる。
1951年7月25日の大阪スタヂアムでの松竹戦で、2回一アウト1、3塁の場面でこの時の松竹の先発投手の林直明から3ラン本塁打を放ったが、林がセットポジション時に完全な停止を怠って投球に入るというボークを犯したが為に無効となり、幻の本塁打となった[2][注 1]。その3年後の同日・同球場(1954年7月25日の大阪スタヂアム)での対中日戦で、延長10回表に杉山悟が放った幻の本塁打の対戦投手であり、幻の本塁打を打者と投手で係わった唯一の選手となった[注 2]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1949 | 阪神 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 93 | 19.2 | 21 | 2 | 12 | -- | 0 | 9 | 0 | 0 | 13 | 10 | 4.50 | 1.68 |
1950 | 32 | 19 | 6 | 1 | 0 | 7 | 6 | -- | -- | .538 | 620 | 142.1 | 136 | 9 | 67 | -- | 6 | 43 | 1 | 0 | 69 | 56 | 3.52 | 1.43 | |
1951 | 45 | 28 | 10 | 1 | 1 | 11 | 13 | -- | -- | .458 | 955 | 227.2 | 217 | 14 | 72 | -- | 1 | 86 | 2 | 0 | 106 | 82 | 3.24 | 1.27 | |
1952 | 43 | 16 | 1 | 0 | 0 | 8 | 8 | -- | -- | .500 | 654 | 156.0 | 165 | 15 | 41 | -- | 1 | 48 | 0 | 0 | 78 | 70 | 4.04 | 1.32 | |
1953 | 32 | 8 | 4 | 3 | 1 | 5 | 5 | -- | -- | .500 | 348 | 85.0 | 88 | 5 | 15 | -- | 1 | 29 | 1 | 1 | 38 | 29 | 3.07 | 1.21 | |
1954 | 28 | 8 | 3 | 1 | 0 | 8 | 3 | -- | -- | .727 | 435 | 113.0 | 92 | 5 | 22 | -- | 1 | 30 | 0 | 0 | 22 | 19 | 1.51 | 1.01 | |
1955 | 14 | 10 | 4 | 2 | 1 | 5 | 4 | -- | -- | .556 | 267 | 67.1 | 60 | 6 | 10 | 0 | 1 | 14 | 1 | 0 | 27 | 19 | 2.51 | 1.04 | |
1956 | 5 | 2 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | -- | -- | 1.000 | 78 | 20.0 | 18 | 1 | 4 | 1 | 0 | 5 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0.45 | 1.10 | |
通算:8年 | 205 | 92 | 29 | 9 | 3 | 45 | 39 | -- | -- | .536 | 3450 | 831.0 | 797 | 57 | 243 | 1 | 11 | 264 | 5 | 1 | 356 | 286 | 3.10 | 1.25 |
背番号
[編集]- 27(1949年)
- 4(1950年 - 1956年)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 但し、その3年後の1954年にはルール改定がなされ、規則6.02(a)の(13)に「投手がセットポジションから投球するに際して、完全に静止しないで投球した場合」というボークになる理由の所に補足として 「ボークにもかかわらず、打者が安打、失策、四球、死球、その他で一塁に達し、かつ、他のすべての走者が少なくとも1個の塁を進んだ時には、このペナルティの前段(ボールデッドとなること)を適用しないで、プレイはボークと関係なく続けられる」という一文が追加され、これによりボーク時の投球を打ってスタンドインした場合、本塁打と認められる様になった[3]。
- ^ 尚、杉山の場合はその直後の10回裏に中日の捕手である河合保彦の守備の抗議によるトラブルの末に阪神が放棄試合を宣告されて当時のルールの規定(試合公式記録はその回の表・裏両方の攻撃が完了して初めて成立する)により取り消しとなったものだが、これも現在ではルール改定で一部を除き、本塁打と認められる様になっている。
出典
[編集]- ^ “OB NEWS Vol.55” (PDF). 公益社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ) (2012年10月). 2015年7月5日閲覧。
- ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、229ページ
- ^ "走者一塁から打者がホームランを放つも、投手がセットポジションで完全な停止を怠り、投球前にボークの宣告。本塁打は認められる?". よく分かる! ルール教室. 週刊ベースボールONLINE. 7 March 2017. 2021年1月24日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 駒田桂二 - NPB.jp 日本野球機構