「味園ビル」の版間の差分
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2020年3月23日 (月) 17:46時点における版
味園ビル(みそのビル、レジャーシティ味園ビル、千日前二番街ビル)は、大阪市中央区にある複合商業ビルである。
概要
1956年に建設された。
派手なネオンサインと当時としてはモダンで高級感のある外観が評判を呼び、高度経済成長期の好景気も手伝ってかビル内のキャバレー、スナック、ダンスホール、宴会場、サウナは連日の大繁盛をおさめた。1970年代にはインパクトの強いCM放映により関西圏で知名度を強めていった。その後も1980年代のバブル経済期まではミナミ、千日前の歓楽街を代表する存在だったが1990年代半ばから低迷。一時期は2階テナントフロアの大半が空き物件という状況になったが、2004年に運営会社の方針でテナント料を大幅に下げ、若いオーナーが中心のバーや飲食店を誘致。東京の新宿ゴールデン街と並んで日本のサブカルチャー、アンダーグラウンド文化の発信地としても注目されるようになった。かつてはキャバレー「ユニバース」もあったが、2011年3月15日に営業を終了し、貸ホールになっている。
ビルは地上5階、地下1階。度重なる改築と業態のマイナーチェンジを経て現在に至っている。
- 設計
- 志井銀次郎(初代オーナー)
- 竣工
- 1956年
- 構造
- 鉄骨鉄筋コンクリート造
- 用途
- 宴会場、キャバレー(現在はクラブに転用)・ホテル(2019年10月1日チェックアウトにて閉鎖)・サウナ(現在は閉鎖)・飲食店など
CM
味園
味園のCMは1970年代から1990年代にかけて放送された。キャッチフレーズは「食事のデパート」。原価奉仕・部屋代無料を謳い、安価な飲食メニュー[1]や多数の個室、500名収容の宴会場に併設の浴場やスナック店舗などを紹介している。エコーを活用したジングル(味園の店名連呼)は特徴的であり、また一部映像は初期のものを後期まで再活用していた。なお、ユニバースについては後期のCMを除きほとんど触れられていない[2]。
ユニバース
ユニバースのCMは主に2000年代に放送された。こちらも味園については触れられていないがビル外観の画像には「ユニバース」の看板に加えて「味園」の看板が写っている。
エピソード
- ダンスホールの専属歌手にデビュー前の和田アキ子がいた。
- ピンク・レディーは売れる前に味園ビルのダンスホールと安く契約していたが、公演直前に大ブレークし長蛇の列ができた。
- サブカルチャー好きの若者やインターネット上からは「大阪ミナミの魔窟」「ミナミの魔窟」という代名詞で語られることがある[3]。
- 保山宗明玉(元モダンチョキチョキズ)、松前公高、赤犬の各メンバー、中将タカノリ、山田ジャック、野溝さやか、ロマンポルシェなど関西を中心としたのサブカル人士が店舗経営したり足繁く通うことでも知られる。
- 当ビルのユニバースを舞台としたドラマ映画『味園ユニバース』が山下敦弘監督により制作され、2015年公開された[4]。
- 味園クイズ研究会、味園落語研究会、味園アナログゲーム同好会など、このビルを結成の地をする社会人文化系サークルも多くある。
所在地
- 〒542-0074 大阪市中央区千日前2丁目3番9号
アクセス
参考文献
- 朝日新聞 ますます勝手に関西遺産(2011年11月10日発行)
脚注
- ^ 食べ放題など。2015年現在はセットメニューと単品商品や飲み放題を中心としたドリンクメニューとなっており、食べ放題は実施していない。値段は撮影時期の価格に合わされ適時修正されている。
- ^ ビル外観の画像には「味園」の看板に加えて「ユニバース」の看板が写っている。
- ^ ZERO Magazine DIGIKAL WE DIGIKAL「DUBBY-BON」インタビュー 2011年8月11日
- ^ “渋谷すばる(関ジャニ∞)初の単独映画主演、撮影に向け髪も「バッサリ」”. billboard JAPAN (2014年6月5日). 2014年6月6日閲覧。
関連項目
外部リンク
座標: 北緯34度39分56.2秒 東経135度30分18.9秒 / 北緯34.665611度 東経135.505250度