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== 経歴 ==
== 経歴 ==
[[愛知県]][[名古屋市]]生まれ。小津三家の一つの出身で、[[三重県]][[松坂]]を本籍地とし、[[小津安二郎]]はまたいとこに当たる。1940年、[[東京大学|東京帝国大学]]英文科に入学、[[中野好夫]]助教授の指導を受け、1942年、繰上げ卒業。大学院に進学し、1946年、[[國學院大學]]予科教授、1950年、[[東京大学]]教養学部助教授となる。1958年、これを辞して[[東京都立大学]]人文学部助教授となる。
[[愛知県]][[名古屋市]]生まれ。小津三家の一つの出身で、[[三重県]][[松坂]]を本籍地とし、[[小津安二郎]]はまたいとこに当たる。1940年、[[東京大学|東京帝国大学]]英文科に入学、[[中野好夫]]助教授の指導を受け、1942年、繰上げ卒業。大学院に進学し、1946年、[[國學院大學]]予科教授、1950年、[[東京大学]]教養学部助教授となる。1958年、これを辞して[[東京都立大学 (1949-2011)]]人文学部助教授となる。


1962年、東大英文科助教授、1971年教授。1981年の退官後は[[明星大学]]英文科教授。[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]を専門とし、[[日本英文学会]]会長、[[日本シェイクスピア協会]]会長を務めた。没後に[[正四位]][[勲三等]][[旭日中綬章]]。
1962年、東大英文科助教授、1971年教授。1981年の退官後は[[明星大学]]英文科教授。[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]を専門とし、[[日本英文学会]]会長、[[日本シェイクスピア協会]]会長を務めた。没後に[[正四位]][[勲三等]][[旭日中綬章]]。

2020年3月24日 (火) 23:54時点における版

小津 次郎(おづ じろう、1920年3月22日- 1988年8月30日)は、日本の英文学者

経歴

愛知県名古屋市生まれ。小津三家の一つの出身で、三重県松坂を本籍地とし、小津安二郎はまたいとこに当たる。1940年、東京帝国大学英文科に入学、中野好夫助教授の指導を受け、1942年、繰上げ卒業。大学院に進学し、1946年、國學院大學予科教授、1950年、東京大学教養学部助教授となる。1958年、これを辞して東京都立大学 (1949-2011)人文学部助教授となる。

1962年、東大英文科助教授、1971年教授。1981年の退官後は明星大学英文科教授。シェイクスピアを専門とし、日本英文学会会長、日本シェイクスピア協会会長を務めた。没後に正四位勲三等旭日中綬章

主な著書

翻訳

責任編集

還暦記念論集

  • 『イギリス・ルネサンス 詩と演劇』 紀伊国屋書店 1980年