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2020年3月25日 (水) 01:44時点における版

武藤 滋夫
(むとう しげお)
生誕 1950年
日本の旗 日本
研究分野 経済学ゲーム理論
研究機関 コーネル大学工学部
ランド研究所
東京理科大学
東北大学経済学部
ティルバーグ大学
東京都立大学 (1949-2011)
博士課程
指導教員
ウィリアム・ルーカス
主な業績 社会システム工学
安全システム(ゲーム理論
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

武藤 滋夫(むとう しげお、1950年 - )は、日本の経済学者。専門は社会工学システム、安全システム(ゲーム理論)。

来歴

1950年生まれ。東京工業大学にて鈴木光男に師事する。卒業論文は「資源の最適配分ー私的財産市場から公共財を含む市場へ」(1972年)[1]。1974年鈴木からウィリアム・ルーカスへの依頼によりルーカスが在籍するコーネル大学に留学[2]する。1979年ランド研究所情報システム部門コンサルタント、同年帰国後、東京工業大学助手を1982年までつとめる[3]1982年から1990年の間東北大学経済学部助教授をつとめる。この間1985年から1986年の間ルーバン大学CORE ヴィジティング・リサーチャーとして渡米する[3]。また、1987年博士論文「Symmetric games and their stable sets」を提出する[4]

1990年東北大学経済学部教授に就任する(在籍期間1990年から1996年[3]。1992年から1993年の間ティルバーグ大学CentER ヴィジティング・フェローとして渡米する。1997年から1998年の間東京都立大学 (1949-2011)経済学部教授をつとめる[3]。 1998年から2016年まで東京工業大学大学院社会理工学研究科教授を務める[3]。2016年より東京理科大学経営学部嘱託教授(専任扱)に就任する[3]

著書

単著
共編著
訳書

脚注

  1. ^ 鈴木 1995, p. 429.
  2. ^ 鈴木 2013, p. 228.
  3. ^ a b c d e f 東京理科大学 2016.
  4. ^ 鈴木 1995, p. 428.

出典

  • 鈴木光男『新ゲーム理論』(初)勁草書房、1994年4月10日。ISBN 4-326-55037-6 
  • 鈴木光男『ゲーム理論と共に生きて』(初)ミネルヴァ書房〈「自伝」my life my world〉、2013年3月20日。ISBN 978-4-623-06502-8 
  • 鈴木光男『ゲーム理論のあゆみ』(初)有斐閣、2014年4月20日。ISBN 978-4-641-16430-7 

外部リンク