コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「青柳清孝」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
KasparBot (会話 | 投稿記録)
Normdaten moved to Wikidata
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 首都大学東京関連1(リンクの修正、カテゴリ修正) - log
2行目: 2行目:


==略歴==
==略歴==
東京生まれ。1954年[[東京都立大学]]人文学部卒業。同大学院博士課程満期退学。1956-1958年米国[[テネシー州]][[ナッシュビル]]の[[フィスク大学]]に学ぶ<ref>『黒人大学留学記』</ref>。1980年「都市化と黒人ファミリー テキサスからロサンゼルスへ」で都立大[[文学博士]]。国際基督教大学教養学部助教授、教授、1996年退任、名誉教授、[[京都文教大学]]人間学部教授を務めた。妻は[[青柳まちこ]]<ref>『現代日本人名録』2002</ref>。
東京生まれ。1954年[[東京都立大学 (1949-2011)]]人文学部卒業。同大学院博士課程満期退学。1956-1958年米国[[テネシー州]][[ナッシュビル]]の[[フィスク大学]]に学ぶ<ref>『黒人大学留学記』</ref>。1980年「都市化と黒人ファミリー テキサスからロサンゼルスへ」で都立大[[文学博士]]。国際基督教大学教養学部助教授、教授、1996年退任、名誉教授、[[京都文教大学]]人間学部教授を務めた。妻は[[青柳まちこ]]<ref>『現代日本人名録』2002</ref>。


==著書==
==著書==

2020年3月25日 (水) 01:57時点における版

青柳清孝(あおやぎ きよたか、1930年9月25日- )は、日本の文化人類学者、国際基督教大学名誉教授。

略歴

東京生まれ。1954年東京都立大学 (1949-2011)人文学部卒業。同大学院博士課程満期退学。1956-1958年米国テネシー州ナッシュビルフィスク大学に学ぶ[1]。1980年「都市化と黒人ファミリー テキサスからロサンゼルスへ」で都立大文学博士。国際基督教大学教養学部助教授、教授、1996年退任、名誉教授、京都文教大学人間学部教授を務めた。妻は青柳まちこ[2]

著書

  • 『黒人大学留学記 テネシー州の町にて』1964 中公新書
  • 『アメリカの黒人家族』青木書店 1983
  • 『ネイティブ・アメリカンの世界 歴史を糧に未来を拓くアメリカ・インディアン』古今書院 2006

共編

  • 『先住民と都市 人類学の新しい地平』松山利夫共編 青木書店 1999

翻訳

論文

脚注

  1. ^ 『黒人大学留学記』
  2. ^ 『現代日本人名録』2002