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2020年4月1日 (水) 00:48時点における版

藤田 祐幸(ふじた ゆうこう、1942年 - 2016年7月18日[1])は、日本物理学者科学史家エントロピー論、科学哲学専攻。

経歴

千葉県生まれ。1966年東京都立大学 (1949-2011)理学部物理学科卒業。1972年、東京都立大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了。1972年より慶応義塾大学法学部教員、のち物理学教室助教授

もともと金属物理を専攻していたが、1979年スリーマイル島原発事故を契機に専攻を放射能に変更し、放射能が人体と環境に及ぼす影響を訴え続けている。

原子力発電や被曝労働の実態調査、チェルノブイリ原発周辺の汚染地域の調査(1990年1993年)、セルビアコソボボスニアでの劣化ウラン弾の調査(1999年2000年)、バグダードバスラでの劣化ウラン弾による被害状況と環境汚染の現地調査(2003年)などに取り組んだ。

原発震災を避けるため、2007年に住み慣れた関東から長崎県西海市大瀬戸町雪浦に移住。農業を営む傍ら、長崎県立大学シーボルト校非常勤講師を務める。[2][3][4]

論文・著作

  • 『エントロピー』現代書館、1985年
  • 『ポスト・チェルノヴイリを生きるために』御茶ノ水書房、1988年
  • 『知られざる原発被曝労働 - ある青年の死を追って』岩波書店岩波ブックレット、1996年
  • 『脱原発のエネルギー計画』高文研、1996年 絵:勝又進
  • 『原子力発電で本当に私たちが知りたい120の基礎知識』広瀬隆との共著、東京書籍、2000年
  • 『藤田祐幸が検証する原発と原爆の間』本の泉社、2011年
  • 『もう原発にはだまされない 放射能汚染国家・日本 絶望から希望へ』青志社、2011年
  • 『さよならアトミック・ドラゴン』(西岡由香著・藤田祐幸監修)凱風社、2012年
  • 『九州原発ゼロへ、48の視点―玄海・川内原発の廃炉をめざして』(共著・木村朗編)南方新社、2013年
  • 『「修羅」から「地人」へ 物理学者・藤田祐幸の選択』(福岡賢正著)南方新社、2014年

関連項目

外部リンク

脚注