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** [[7月19日]]、判決公判で[[懲役]]2年6ヶ月、[[執行猶予]]4年の有罪判決が言い渡された。 |
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* [[創価学会]]員であり、サザン脱退の原因も学会への熱心な活動にあると報じられたことがあるが、アミューズはそれが脱退の原因であることは否定している<ref>サザンオールスターズ「創価学会問題」で内輪モメ 『週刊現代』2001.9.1号</ref>。 |
* [[創価学会]]員であり、サザン脱退の原因も学会への熱心な活動にあると報じられたことがあるが、アミューズはそれが脱退の原因であることは否定している<ref>サザンオールスターズ「創価学会問題」で内輪モメ 『週刊現代』2001.9.1号</ref>。 |
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* [[2006年]]に入ってからは大森隆志、および[[PROJECT OA]]としての活動は発表されず、その後の活動予定が不透明となっていた。また、この頃公式HPの掲示板が閉鎖され、大森自身が執筆している日記も更新が滞り、4ヶ月ぶりの更新にも活動に関することが説明されていなかった。ファンクラブに関しては、会費の振込先が大森個人の口座であること、会報が送られてこないなどのトラブルが発生しているとも言われた<ref>[http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_05/g2006051202.html 元サザン「ター坊」薬物所持…覚せい剤&大麻]zakzak</ref>。 |
* [[2006年]]に入ってからは大森隆志、および[[PROJECT OA]]としての活動は発表されず、その後の活動予定が不透明となっていた。また、この頃公式HPの掲示板が閉鎖され、大森自身が執筆している日記も更新が滞り、4ヶ月ぶりの更新にも活動に関することが説明されていなかった。ファンクラブに関しては、会費の振込先が大森個人の口座であること、会報が送られてこないなどのトラブルが発生しているとも言われた<ref>[http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_05/g2006051202.html 元サザン「ター坊」薬物所持…覚せい剤&大麻]zakzak</ref>。 |
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* [[2006年]][[5月11日]]、[[覚醒剤|覚せい剤]]10g、[[大麻]]40gを所持していたとし、[[覚 |
* [[2006年]][[5月11日]]、[[覚醒剤|覚せい剤]]10g、[[大麻]]40gを所持していたとし、[[覚醒剤取締法]]違反と[[大麻取締法]]違反の[[現行犯]]で、妻と共に[[神奈川県警察|神奈川県警]]に[[逮捕]]された。大森本人は「自分で吸うために買った」と事実を認めたが、入手経路は当初「言えない」と黙秘。自宅から押収された大麻が尋常な量ではなかったことから、[[暴力団]]とのからみもにらんで[[捜査]]が行われた。また、桑田はラジオ番組『[[桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド~やさしい夜遊び~]]』でこの事件に触れ、友人として大森に代わって謝罪をし、「当たり前ですけど社会とかファンの皆様とかずっと見守って応援してくれた皆様に今できることは罪を償うことでしょ」「それからですよ、私が彼を半殺しにするには。ギターで殴ります」「いいスタッフを自分で見つけろ、叱ってくれるスタッフとか傍に置きなさい」、「人間関係さぼるな」といった発言をした{{要出典|date=2017年8月19日 (土) 14:57 (UTC)}}。[[2006年]][[7月19日]]の[[判決 (日本法)|判決]][[公判]]では、[[懲役]]2年6ヶ月、[[執行猶予]]4年が言い渡された。その翌年から音楽活動を再開しており、[[ブログ]]も開始し頻繁に更新している{{要出典|date=2017年8月19日 (土) 14:57 (UTC)}}。 |
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* 脱退後及び[[2006年]]の事件後は公の場で大森がサザンに在籍していた事について触れられる頻度が減り、6人時代の映像{{Refnest|group="注"|ただし、逮捕前の2004年に発売されたミュージック・ビデオ集『[[ベストヒットUSAS (Ultra Southern All Stars)]]』には6人時代の楽曲のPVやライブ映像も収録されている。}}や写真が紹介される際には大森が映らないように編集される<ref name="jacket">SWITCH Vol.31 No.8 Southern All Stars [僕らのサザン、みんなのサザン] p44 - 45, 47, 50 - 51より。</ref>{{Refnest|group="注"|ただし、2005年のシングル及び2008年のアルバム再発時には、写真・クレジット共に発売当初のまま印刷されており、大森自身が作詞・作曲した楽曲もそのまま収録されている<ref name="kimari" />。なお、2013年の[[スイッチ・パブリッシング|SWITCH]]の特集ではレコーディングやライブなどの写真が大森が映らないよう編集されている一方で<ref name="jacket" />、レコード・CDのジャケット写真に関しては問題なく掲載されている<ref>SWITCH Vol.31 No.8 Southern All Stars [僕らのサザン、みんなのサザン] p47, 48 - 49, 52 - 53より。</ref>。2015年に桑田のインタビューと編集部による各アルバムのレビューを掲載した『[[ROCKIN'ON JAPAN]]』では、『[[NUDE MAN]]』のレビューの中に大森が作詞・作曲した「猫」を再評価する文面が存在し<ref>『ROCKIN'ON JAPAN』2015年4月号(29巻5号、通巻450号)、ロッキング・オン、2015年、64頁。</ref>、大森が映っている『[[熱い胸さわぎ]]』『[[Young Love]]』のジャケット写真もそのまま掲載された<ref>『ROCKIN'ON JAPAN』2015年4月号(29巻5号、通巻450号)、ロッキング・オン、2015年、61、62、67頁。</ref>。}}、結成当初から5人であったかのような説明がなされる{{Refnest|group="注"|2013年のSWITCHでの特集では「桑田、関口、原の三人が在籍していた[[青山学院大学]]の軽音サークル「Bettr Days」の学生バンドに松田と野沢が合流した」と書かれている<ref>SWITCH Vol.31 No.8 Southern All Stars [僕らのサザン、みんなのサザン] p28より。</ref>。一方でサザンオールスターズの公式サイトのバイオグラフィーの「1977~1972(夜明け前)」の項には大森に関する記述もなされている<ref> [https://southernallstars.jp/mob/news/diarKiji.php?site=SASJP&ima=1808&cd=BIOGRAPHY&ct=1977&tp=1972&so=k&labl=keyword BIOGRAPHY 1977~1972(夜明け前)]サザンオールスターズ Official Site</ref>。}}、6人時代の楽曲も収録されている2018年のベストアルバム『[[海のOh, Yeah!!]]』の歌詞カードに名前がクレジットされないといった対応がされている{{Refnest|group="注"|この件は大森が自身のFaceBookで指摘しており、アルバムがアミューズから送られて来た事も伝票の写真で報告している。[[J-CASTニュース]]の取材に対しアミューズは「企画アルバム」という性質もあるとしつつ、クレジット表記については「既発曲については作詞・作曲・編曲のみ」「新曲については作詞・作曲・編曲のほか、ゲストミュージシャンらの名前も表記」「バンドメンバーやスタッフについては現在、在籍している人のみ」という3つの決まり事があった事をコメントしている<ref name="kimari">[https://www.j-cast.com/2018/08/15336254.html?p=all 元サザン大森、ベスト盤から「クレジットが消えた」? 理由を事務所に聞くと...]2018年8月15日 J-CASTニュース</ref>。}}。 |
* 脱退後及び[[2006年]]の事件後は公の場で大森がサザンに在籍していた事について触れられる頻度が減り、6人時代の映像{{Refnest|group="注"|ただし、逮捕前の2004年に発売されたミュージック・ビデオ集『[[ベストヒットUSAS (Ultra Southern All Stars)]]』には6人時代の楽曲のPVやライブ映像も収録されている。}}や写真が紹介される際には大森が映らないように編集される<ref name="jacket">SWITCH Vol.31 No.8 Southern All Stars [僕らのサザン、みんなのサザン] p44 - 45, 47, 50 - 51より。</ref>{{Refnest|group="注"|ただし、2005年のシングル及び2008年のアルバム再発時には、写真・クレジット共に発売当初のまま印刷されており、大森自身が作詞・作曲した楽曲もそのまま収録されている<ref name="kimari" />。なお、2013年の[[スイッチ・パブリッシング|SWITCH]]の特集ではレコーディングやライブなどの写真が大森が映らないよう編集されている一方で<ref name="jacket" />、レコード・CDのジャケット写真に関しては問題なく掲載されている<ref>SWITCH Vol.31 No.8 Southern All Stars [僕らのサザン、みんなのサザン] p47, 48 - 49, 52 - 53より。</ref>。2015年に桑田のインタビューと編集部による各アルバムのレビューを掲載した『[[ROCKIN'ON JAPAN]]』では、『[[NUDE MAN]]』のレビューの中に大森が作詞・作曲した「猫」を再評価する文面が存在し<ref>『ROCKIN'ON JAPAN』2015年4月号(29巻5号、通巻450号)、ロッキング・オン、2015年、64頁。</ref>、大森が映っている『[[熱い胸さわぎ]]』『[[Young Love]]』のジャケット写真もそのまま掲載された<ref>『ROCKIN'ON JAPAN』2015年4月号(29巻5号、通巻450号)、ロッキング・オン、2015年、61、62、67頁。</ref>。}}、結成当初から5人であったかのような説明がなされる{{Refnest|group="注"|2013年のSWITCHでの特集では「桑田、関口、原の三人が在籍していた[[青山学院大学]]の軽音サークル「Bettr Days」の学生バンドに松田と野沢が合流した」と書かれている<ref>SWITCH Vol.31 No.8 Southern All Stars [僕らのサザン、みんなのサザン] p28より。</ref>。一方でサザンオールスターズの公式サイトのバイオグラフィーの「1977~1972(夜明け前)」の項には大森に関する記述もなされている<ref> [https://southernallstars.jp/mob/news/diarKiji.php?site=SASJP&ima=1808&cd=BIOGRAPHY&ct=1977&tp=1972&so=k&labl=keyword BIOGRAPHY 1977~1972(夜明け前)]サザンオールスターズ Official Site</ref>。}}、6人時代の楽曲も収録されている2018年のベストアルバム『[[海のOh, Yeah!!]]』の歌詞カードに名前がクレジットされないといった対応がされている{{Refnest|group="注"|この件は大森が自身のFaceBookで指摘しており、アルバムがアミューズから送られて来た事も伝票の写真で報告している。[[J-CASTニュース]]の取材に対しアミューズは「企画アルバム」という性質もあるとしつつ、クレジット表記については「既発曲については作詞・作曲・編曲のみ」「新曲については作詞・作曲・編曲のほか、ゲストミュージシャンらの名前も表記」「バンドメンバーやスタッフについては現在、在籍している人のみ」という3つの決まり事があった事をコメントしている<ref name="kimari">[https://www.j-cast.com/2018/08/15336254.html?p=all 元サザン大森、ベスト盤から「クレジットが消えた」? 理由を事務所に聞くと...]2018年8月15日 J-CASTニュース</ref>。}}。 |
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* [[高橋ジョージ]]とは「盟友」であり、[[BORO]]とは「兄弟以上の関係」と述べている<ref>{{Cite web | url= http://ameblo.jp/omoritakashi/entry-11828301510.html| title=大和チャリティコンサート2014 KURE 写真館 | work=大森隆志オフィシャルサイト~ブログ | accessdate=2014-11-04}}</ref> |
* [[高橋ジョージ]]とは「盟友」であり、[[BORO]]とは「兄弟以上の関係」と述べている<ref>{{Cite web | url= http://ameblo.jp/omoritakashi/entry-11828301510.html| title=大和チャリティコンサート2014 KURE 写真館 | work=大森隆志オフィシャルサイト~ブログ | accessdate=2014-11-04}}</ref> |
2020年4月22日 (水) 07:55時点における版
大森 隆志 | |
---|---|
別名 | ター坊 |
生誕 |
1956年12月12日(68歳) 日本 岡山県岡山市 |
出身地 | 日本 宮崎県 |
学歴 | 青山学院大学経済学部第二部 中退 |
ジャンル |
J-POP ポップ・ロック |
職業 |
シンガーソングライター ギタリスト |
担当楽器 |
ボーカル ギター |
活動期間 |
1978年 - 2006年 2007年 - |
レーベル |
Invitation(1982年) タイシタレーベル(1986年 - 2001年) |
事務所 | アミューズ(1978年 - 2001年) |
大森 隆志(おおもり たかし、1956年12月12日 - )は、日本のミュージシャン、ギタリスト。サザンオールスターズの元メンバーで、結成時から2001年8月7日の脱退まで、ギターを担当していた。愛称は、ター坊。宮崎大宮高校卒業、青山学院大学経済学部夜学中退。岡山県岡山市出身、宮崎県育ち。身長178cm。
略歴
- 1980年
- サザンのシングル「いなせなロコモーション」c/wの「LOVE SICK CHICKEN」で初のメインボーカル曲を発表(サザンオールスターズ名義)した。
- 1982年
- 1986年
- 1988年
- 日清パワーステーションのオープニングをプロデュース。
- 1989年
- イメージアルバム『ここはグリーン・ウッド』[1]収録曲「グリーン・ウッド・カーニバル~汝の日常を愛せよ」を作曲。
- 1990年
- 永田真代のアルバム『JUST ME』収録曲「水の惑星」を作曲。
- ビクターエンタテインメントの企画作品、『スノー・バードホテル』のプロデュースに参加。収録曲『SILENT MORNING』を作曲。
- 原田知世のアルバム『BLUE IN BLUE』プロデュース。そのうち「SILENCE BLUE」「白い朝」「蒼い夢」を作曲。
- 1991年
- BOROのアルバム『薔薇と女』で、タイトル曲「薔薇の女」を作曲。
- 原田知世のアルバム『彩』をプロデュース。「BREEZE」を作曲。
- ラングラーTVのCMソングを製作。
- 浅香唯のアルバム『硝子の都』収録曲、「宇宙への手紙」「サイクリング・ガール」を作曲。さらにアルバム『STAY』のサウンド・プロデュースを担当、収録曲「友情」「Rhythm of Universe」を作曲。シングル曲「愛しい人と眠りたい」の作曲も担当する。
- 「ワンコリアフェスティバル」に対して「もともと一つの家族なんだから、一日も早くあるべき姿に戻られんことを願ってやみません。」と賛同のコメントを寄せる[2]。翌年の1992年にも同じコメントを寄せている[3]。
- 1993年
- 1995年まで約2年間にわたり、ラジオ番組『NICOS 3O'CLOCK JUMP』(Kiss-FM KOBE)のパーソナリティを務める。
- 1994年
- 2000年
- サザンのシングル「この青い空、みどり ~BLUE IN GREEN~」を最後に活動を休止。なお、このシングルには参加。
- 2001年
- 2002年
- 渋谷A-X ハプニングス・フォーのライブにゲスト出演。
- 2003年
- 1月
- 渋谷A-X 大阪 バナナ・ホールにて独立後初のライブ開催。
- シングル「遠い夏/熱いくちづけ」リリース。
- 自身専用レーベル“guitar-boy”設立。
- 3月
- BS朝日『原宿ロンチャーズ通り』で出演者にギター指導協力。
- 5月
- 活動視野を広げるために渡米。難波正司がプロデュースする新人女性歌手、チェルシーのCDリリースに編曲とギターで参加。曲目は「イマジン」、「ホテル・カリフォルニア」など。
- 7月
- 8月
- 再び渡米。難波正司のCDリリースに再び協力、参加。滞在中はかつて親交を持った現地アーティストたちとの旧交をあたためる。
- 9月
- 11月
- 12月
- 1月
- 2004年
- T.A.G.C. with OAとして横浜、東京を中心に活動。
- 2005年
- インストゥルメンタルアルバム『Song For You』をリリース。
- 2006年
- 2007年
- 12月19日、公式ブログを開始。以後、音楽活動も再開している。
- 2011年
- 7月8日、シングル『THE THEME OF YAMATO』をリリース。
- 2013年
- Cold Waters(山梨県を中心に活躍するブルースバンド)にも参加。Cold Watersには、大森との親交の深いドラマー、古屋 テツが在籍している。
人物
- 身長178cm。
- サザンではギターを担当していた。 桑田いわく大森をサザンに誘い加入させた理由として、候補がほかに2、3人いたが、1人は「チャランポランでダメ」、もう1人は「テクニックはあるけれどどうもボクよりも音楽を知ってる」といい、大森に対しては「彼はそのどっちでもない」「じゃ下手かっていうと、違う、しっかりちゃんとやってる」「本当にこいつならまかせられると思った」と述べている[4]。
- アマチュア時代、桑田がバンドのメンバーチェンジを何度も繰り返す状況に懸念を示し、「ちゃんとしたバンドをやろうよ」と声をかけ、当時青学生ではなかった松田弘、野沢秀行をバンドに勧誘し、各メンバーの親の承諾を得たうえで自ら「EastWest」に申し込んだ。EastWestで桑田がベストボーカル賞を獲得したことがきっかけでデビューしており、桑田は「デビューのきっかけをつくったのは大森」と語っている[5][6]。
- 1980年代には、元「ゴールデンハーフ・スペシャル」のリンダ[7]と結婚したが、後に離婚。 1990年代に入ってから現在の妻・涼子と再婚した[8][要出典]。
- 2000年の年越しライブを肉体的疲労や、リフレッシュなどを理由に欠席し[9]、2001年8月7日に「2、3年という短い期間ではなくじっくりと長い時間をかけて大森個人のソロ活動に集中するため」という理由で脱退を発表、ソロ・アーティストとなる。なお、アミューズはこの脱退はあくまでもサザンのメンバー全員が前向きに検討した末に出した結論であり、グループとしての活動やメンバー間の関係を否定するものではない事をコメントしており、メンバー全員も大森に対して前向きなコメントを出した[10]。大森自身、サザンのメンバーに関しては「戦友」であると述べている[11]。
- 創価学会員であり、サザン脱退の原因も学会への熱心な活動にあると報じられたことがあるが、アミューズはそれが脱退の原因であることは否定している[12]。
- 2006年に入ってからは大森隆志、およびPROJECT OAとしての活動は発表されず、その後の活動予定が不透明となっていた。また、この頃公式HPの掲示板が閉鎖され、大森自身が執筆している日記も更新が滞り、4ヶ月ぶりの更新にも活動に関することが説明されていなかった。ファンクラブに関しては、会費の振込先が大森個人の口座であること、会報が送られてこないなどのトラブルが発生しているとも言われた[13]。
- 2006年5月11日、覚せい剤10g、大麻40gを所持していたとし、覚醒剤取締法違反と大麻取締法違反の現行犯で、妻と共に神奈川県警に逮捕された。大森本人は「自分で吸うために買った」と事実を認めたが、入手経路は当初「言えない」と黙秘。自宅から押収された大麻が尋常な量ではなかったことから、暴力団とのからみもにらんで捜査が行われた。また、桑田はラジオ番組『桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド~やさしい夜遊び~』でこの事件に触れ、友人として大森に代わって謝罪をし、「当たり前ですけど社会とかファンの皆様とかずっと見守って応援してくれた皆様に今できることは罪を償うことでしょ」「それからですよ、私が彼を半殺しにするには。ギターで殴ります」「いいスタッフを自分で見つけろ、叱ってくれるスタッフとか傍に置きなさい」、「人間関係さぼるな」といった発言をした[要出典]。2006年7月19日の判決公判では、懲役2年6ヶ月、執行猶予4年が言い渡された。その翌年から音楽活動を再開しており、ブログも開始し頻繁に更新している[要出典]。
- 脱退後及び2006年の事件後は公の場で大森がサザンに在籍していた事について触れられる頻度が減り、6人時代の映像[注 1]や写真が紹介される際には大森が映らないように編集される[14][注 2]、結成当初から5人であったかのような説明がなされる[注 3]、6人時代の楽曲も収録されている2018年のベストアルバム『海のOh, Yeah!!』の歌詞カードに名前がクレジットされないといった対応がされている[注 4]。
- 高橋ジョージとは「盟友」であり、BOROとは「兄弟以上の関係」と述べている[21]
作品
サザンでも何曲かボーカル曲があり、その際には作詞曲も自ら担当している。また、ソロユニットTABO'S PROJECTを結成しシングルとアルバムを発表しているほか、大森隆志名義でのソロアルバムも1枚発表している。サザンを独立後にもソロミュージシャンとしてライブを中心に活動しており、新ユニットPROJECT OAとしてテレビ出演も果たす。以後、さまざまなアーティストとジョイント・ライブ活動。また、障害者の施設にて演奏披露、大和ミュージアムのオープン記念式典プロデュースと、ボランティア活動にも意欲を見せ、現在に至る。
ディスコグラフィー
TABO'S PROJECT
シングル
- DANCE AWAY (ひとりぼっちにサヨナラ) (1986年10月21日)
アルバム
- EYES OF A CHILD (1986年11月5日)
- FEEL
- DANCE AWAY (ひとりぼっちにサヨナラ)
- TIME’S STREET
- EYES OF A CHILD
- 突然炎のように
- ティアーズ
- LOGICAL PRESSURE
- ふたりの宝島
- TRUTH (Song For World Peace)
ソロ
シングル
- 熱いくちづけ / 遠い夏 (2003年1月1日)
- 作詞:大森隆志/作曲:大森隆志
- THE THEME OF YAMATO (2011年7月8日)
- 作詞:小林和子/作曲:大森隆志
- b/w 九月の風(Featuring 日野 'JINO'賢二)
アルバム
- 真夜中のギター・ボーイ (1992年6月27日)
- 情熱のラスト・キッス
- ハイ・スピード
- 君を想えば
- ユダヤ人のように
- オーロラに乗って
- リトル・ウィング
- グッドバイ・ハードボイルド
- Together
- グッドナイト・スウィートハート
- Song For You (2005年1月1日)
- 9月の風 (with Bennie Maupin)
- The Rhythm Of 8beat
- Kenji
- Ferrari
- なんば君の事務所 (Acoustic Version)
- Guitar Boy Fantasia (2015年1月9日)
- Sunrise
- 長者町の散歩道
- Solbar
- Bell Song
- J-45 (For My Dear Friend)
- Fantasia
- RISING (2016年12月12日)
- Love Sick Chicken
- 猫
- Still I Love You
- Rising
- Southern Breeze
- なんば君の事務所
- プロヴァンスの夜明け
- Father
- 月夜の横浜
- Song For You
この節の加筆が望まれています。 |
関連項目
脚注
注釈
- ^ ただし、逮捕前の2004年に発売されたミュージック・ビデオ集『ベストヒットUSAS (Ultra Southern All Stars)』には6人時代の楽曲のPVやライブ映像も収録されている。
- ^ ただし、2005年のシングル及び2008年のアルバム再発時には、写真・クレジット共に発売当初のまま印刷されており、大森自身が作詞・作曲した楽曲もそのまま収録されている[15]。なお、2013年のSWITCHの特集ではレコーディングやライブなどの写真が大森が映らないよう編集されている一方で[14]、レコード・CDのジャケット写真に関しては問題なく掲載されている[16]。2015年に桑田のインタビューと編集部による各アルバムのレビューを掲載した『ROCKIN'ON JAPAN』では、『NUDE MAN』のレビューの中に大森が作詞・作曲した「猫」を再評価する文面が存在し[17]、大森が映っている『熱い胸さわぎ』『Young Love』のジャケット写真もそのまま掲載された[18]。
- ^ 2013年のSWITCHでの特集では「桑田、関口、原の三人が在籍していた青山学院大学の軽音サークル「Bettr Days」の学生バンドに松田と野沢が合流した」と書かれている[19]。一方でサザンオールスターズの公式サイトのバイオグラフィーの「1977~1972(夜明け前)」の項には大森に関する記述もなされている[20]。
- ^ この件は大森が自身のFaceBookで指摘しており、アルバムがアミューズから送られて来た事も伝票の写真で報告している。J-CASTニュースの取材に対しアミューズは「企画アルバム」という性質もあるとしつつ、クレジット表記については「既発曲については作詞・作曲・編曲のみ」「新曲については作詞・作曲・編曲のほか、ゲストミュージシャンらの名前も表記」「バンドメンバーやスタッフについては現在、在籍している人のみ」という3つの決まり事があった事をコメントしている[15]。
出典
- ^ 関口和之がサウンド・プロデュースを担当
- ^ 1991年 賛同のメッセージ
- ^ ワンコリアメッセージ1992
- ^ 桑田佳祐「ただの歌詩じゃねえか、こんなもん」(1984年、新潮社、p43)
- ^ 大森隆志×平野 悠 ー『Back to Shimokitazawa』開催記念特別対談(Rooftop2017年6月号) 2ページRooftop
- ^ 大森隆志×平野 悠 ー『Back to Shimokitazawa』開催記念特別対談(Rooftop2017年6月号) 3ページRooftop
- ^ 『Southern All Stars』収録の「GORILLA」には作詞:LINDA OMORIというクレジットがされている。
- ^ “元サザン”肩書重く、マスオさん状態…妻も薬物zakzak
- ^ 「STANDOOH! AREEENA!! C'MOOOON!!!」
- ^ いつもサザンオールスターズを応援して下さっている皆様へ アミューズからの告知
- ^ “デビュー36周年”. 大森隆志オフィシャルサイト~ブログ. 2014年6月25日閲覧。
- ^ サザンオールスターズ「創価学会問題」で内輪モメ 『週刊現代』2001.9.1号
- ^ 元サザン「ター坊」薬物所持…覚せい剤&大麻zakzak
- ^ a b SWITCH Vol.31 No.8 Southern All Stars [僕らのサザン、みんなのサザン] p44 - 45, 47, 50 - 51より。
- ^ a b 元サザン大森、ベスト盤から「クレジットが消えた」? 理由を事務所に聞くと...2018年8月15日 J-CASTニュース
- ^ SWITCH Vol.31 No.8 Southern All Stars [僕らのサザン、みんなのサザン] p47, 48 - 49, 52 - 53より。
- ^ 『ROCKIN'ON JAPAN』2015年4月号(29巻5号、通巻450号)、ロッキング・オン、2015年、64頁。
- ^ 『ROCKIN'ON JAPAN』2015年4月号(29巻5号、通巻450号)、ロッキング・オン、2015年、61、62、67頁。
- ^ SWITCH Vol.31 No.8 Southern All Stars [僕らのサザン、みんなのサザン] p28より。
- ^ BIOGRAPHY 1977~1972(夜明け前)サザンオールスターズ Official Site
- ^ “大和チャリティコンサート2014 KURE 写真館”. 大森隆志オフィシャルサイト~ブログ. 2014年11月4日閲覧。
外部リンク
- 大森隆志オフィシャルサイト~ブログ
- 大森隆志 (@omoritakashi) - X(旧Twitter)
- 大森隆志 (takashi.omori.94) - Facebook