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; 投手記録
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* 初登板・初先発:2008年3月30日、対[[読売ジャイアンツ]]3回戦([[明治神宮野球場]])、4回2/3を2失点
* 初登板・初先発:2008年3月30日、対[[読売ジャイアンツ]]3回戦([[明治神宮野球場]])、4回2/3を2失点
* 初奪三振:同上、3回表に[[李承ヨプ (野球)|李承燁]]から空振り三振
* 初奪三振:同上、3回表に[[李承 (野球)|李承燁]]から空振り三振
* 初勝利・初先発勝利:2010年7月8日、対[[阪神タイガース]]11回戦([[阪神甲子園球場]])、5回3失点
* 初勝利・初先発勝利:2010年7月8日、対[[阪神タイガース]]11回戦([[阪神甲子園球場]])、5回3失点
; 打撃記録
; 打撃記録

2020年6月16日 (火) 22:42時点における版

加藤 幹典
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市緑区
生年月日 (1985-06-04) 1985年6月4日(39歳)
身長
体重
180 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 大学生・社会人ドラフト1巡目
初出場 2008年3月30日
最終出場 2011年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

加藤 幹典(かとう みきのり、1985年6月4日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手投手)。

プロ野球選手で東北楽天ゴールデンイーグルスに所属した投手の加藤貴大は実弟。

来歴・人物

プロ入り前

小学校1年生の時、横浜市緑区少年野球連盟の寺山スネークスで野球を始める。横浜市立中山中学校では軟式野球部に所属。川和高校へ進学後は1年次の秋季県大会からエースピッチャーを務めた。3年次には内竜也吉田幸央と共に「神奈川公立BIG3」と称された。

慶應義塾大学環境情報学部(SFC)に進学し投手陣の柱となり、1年次の秋のリーグ戦で防御率1.07と抜群の安定感を見せて5勝を記録し、チームの優勝に大きく貢献。更に最優秀防御率とベストナインを受賞した。第35回明治神宮野球大会にも出場し決勝戦で登板したが、準優勝に止まった。4年次には第36回日米大学野球選手権大会日本代表に選出。語学にも優れる加藤は渡米の際に英語によるスピーチを行った。リーグ戦では最速150km/hのストレートと縦・横のスライダーシュートを駆使した。リーグ通算64試合登板し30勝17敗、防御率2.14。21世紀初、20人目の30勝投手と慶應義塾野球部史上最多の371奪三振を記録。

2007年11月19日大学生・社会人ドラフト会議では、大場翔太長谷部康平と共に「大学生BIG3」と称され、前年の対六大学選抜戦での対戦経験もある東京ヤクルトスワローズから単独指名を受ける。指名当日には高田繁新監督が直接挨拶に訪れ、1週間後の仮契約では契約金1億円、年俸1500万円、出来高払い5000万円(いずれも推定)という好条件、更に石井一久の後継者として「16」の背番号を与えられ球団側の期待の高さを窺わせた。

プロ入り後

2008年は前年チーム勝利数1位セス・グライシンガー(16勝)、2位石井一久(9勝)、3位藤井秀悟(7勝)が移籍し残った選手の勝ち星が4勝以下だった事もあり、加藤も新人ながら開幕投手候補にあがっていた。セ・リーグでは唯一の新人開幕1軍スタートとなり、3月30日対巨人戦にてプロ初登板、7安打2与四球2失点で粘るも4回2/3で降板、初勝利はならなかった。 結局1年目は8試合に登板し防御率8.86と散々で、即戦力投手としての期待には応えられなかった。

2009年9月18日対巨人戦にてシーズン初登板。しかし、4連打の後に阿部慎之助に本塁打を浴び、1アウトも取れずに降板。2009年の登板はこれだけである。

2010年7月8日対阪神戦で約2年ぶりに先発登板し、5回3失点でプロ入り後初勝利を挙げた。ファームでもチームトップタイの7勝を挙げ防御率も5点台から3点台に改善した。

2011年シーズン前の 1月に8歳年上のフリーライター・松本小夜香と結婚。同年シーズンは中継ぎ5試合のほか6月29日の巨人戦に先発するも、初回に3ランを浴びるなど、結果を残せず降板(そのあと同点で引き分けに持ち込んだ)。翌日登録抹消され以降一軍登板なしに終わった。

2012年シーズンは一軍での登板はなく、10月2日に戦力外通告を受け[1]、現役を引退した[1]

引退後

引退後の2012年12月1日からヤクルト本社の宅配営業部に勤務。また、2016年の秋から母校の川和高校で非常勤コーチに就任している。2018年に株式会社FORMIC(本社:埼玉県東松山市)を立ち上げて代表取締役となり、スポーツ教室などの事業を行っている[2]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2008 ヤクルト 8 4 0 0 0 0 2 0 0 .000 106 21.1 34 3 8 2 2 8 2 0 21 21 8.86 1.97
2009 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 5 0.0 5 1 0 0 0 0 1 0 5 5 ---- ----
2010 8 2 0 0 0 1 1 0 0 .500 71 15.0 19 3 9 1 0 7 0 0 11 11 6.60 1.87
2011 6 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- 46 10.0 10 3 7 0 0 4 0 0 10 10 9.00 1.70
通算:4年 23 7 0 0 0 1 3 0 0 .250 228 46.1 68 10 24 3 2 19 3 0 47 47 9.13 1.99

記録

投手記録
打撃記録
  • 初安打・初打点:2010年7月8日、対阪神タイガース11回戦(阪神甲子園球場)、4回表に安藤優也から一塁適時内野安打

背番号

  • 16 (2008年 - 2011年)
  • 46 (2012年)

脚注

  1. ^ a b 来季の契約について”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト (2012年10月2日). 2012年11月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月2日閲覧。
  2. ^ 【球界ここだけの話(1642)】元ヤクルト投手の加藤幹典さん、実業家として“転身”

関連項目

外部リンク