「多田基」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m Bot作業依頼: Wikipedia:記事名の付け方#記事名に使用できる文字が緩和されたからの改名 - log |
m Bot作業依頼: Wikipedia:記事名の付け方#記事名に使用できる文字が緩和されたからの改名 - log |
||
11行目: | 11行目: | ||
== 人物 == |
== 人物 == |
||
[[内田百閒 |
[[内田百閒]]の教え子で、[[黒澤明]]の『[[まあだだよ]]』の題材である「摩阿陀会」の肝煎([[幹事]])の一人である。内田百{{CP932フォント|閒}}を中心に近代文学者に関する多くの資料を残しており、その一部が実践女子大学に寄贈されている。 |
||
[[1971年]](昭和46年)に[[勲三等瑞宝章]]、[[1988年]](昭和63年)に[[勲三等旭日中綬章]]を受章している。 |
[[1971年]](昭和46年)に[[勲三等瑞宝章]]、[[1988年]](昭和63年)に[[勲三等旭日中綬章]]を受章している。 |
2020年6月17日 (水) 08:14時点における版
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
多田 基(ただ もとい、1901年(明治34年)1月23日 - 1995年(平成7年)12月21日)は、日本の経済学者。法政大学名誉教授、実践女子学園理事長、大月短期大学名誉教授。
略歴
1901年(明治34年)1月23日、鳥取県鳥取市に生まれる。1925年(大正14年)に法政大学経済学部を卒業し、1947年(昭和22年)に法政大学教授に就任する。
1961年(昭和36年)に大月短期大学学長に就任する。1974年(昭和49年)に実践女子学園理事長に就任し、1978年(昭和53年)に実践女子大学・短期大学学長を兼任する。
1995年(平成7年)12月21日に死去、94歳。
人物
内田百閒の教え子で、黒澤明の『まあだだよ』の題材である「摩阿陀会」の肝煎(幹事)の一人である。内田百閒を中心に近代文学者に関する多くの資料を残しており、その一部が実践女子大学に寄贈されている。
1971年(昭和46年)に勲三等瑞宝章、1988年(昭和63年)に勲三等旭日中綬章を受章している。
著書
共著
- 『英語對照 獨逸語新講』内田栄造(著)(大倉廣文堂、1932)
- 『独逸語征伐』内田栄造(著)(大倉広文堂、1933)
- 『獨逸語要綱』奧脇要一(著)(第三書房、1947)
- 『速習ドイツ単語』田中宏明(著)(三笠書房、1956)
訳書
- 『ナチス独逸の不朽の記念営造物たる国営自動車専用道路』Hans Pflug〔著〕(道路広報センター、1989)
共訳
- 『偉大なる経済学者たちの思想』George Henry Soule(著)小林里次(訳)(政文堂、1974)
参考文献
- 『現代物故者事典1994-1996』(日外アソシエーツ、1997)