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'''伊藤 和雄'''(いとう かずお、[[1989年]][[12月13日]] - )は、[[阪神タイガース]]に所属する[[埼玉県]][[比企郡]][[小川町]]出身の[[プロ野球選手]]([[投手]])。初勝利ホンマに、おめでとう


== 経歴 ==
== 経歴 ==

2020年6月27日 (土) 13:44時点における版

伊藤 和雄 
阪神タイガース #92
2016年3月20日 阪神鳴尾浜球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県比企郡小川町
生年月日 (1989-12-13) 1989年12月13日(34歳)
身長
体重
186 cm
96 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2011年 ドラフト4位
初出場 2012年10月3日
年俸 750万円(2020年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

伊藤 和雄(いとう かずお、1989年12月13日 - )は、阪神タイガースに所属する埼玉県比企郡小川町出身のプロ野球選手投手)。初勝利ホンマに、おめでとう。

経歴

プロ入り前

小川東中学校時代に野球をスタート。当初は控えの二塁手であった。埼玉県立坂戸西高等学校への入学後に投手へ転向すると、2年時の秋からエースの座を確保したが、在学中には全国大会と無縁であった。卒業後に高校からグラウンドが程近い東京国際大学へ進学。広島東洋カープの監督時代に日本シリーズ制覇を3度経験した古葉竹識が監督へ就任したばかりの硬式野球部[2]で、1年時の春から東京新大学野球のリーグ戦に登板した。エースとして臨んだ4年時(2011年)の春季リーグ戦では、3完封を含む7勝を挙げて、チーム史上初の優勝に貢献。自身もMVPとベストナインを獲得した[2]。また、大学として初出場した大学選手権ではベスト4進出に貢献した。

2011年NPBドラフト会議の前には、東京ヤクルトスワローズをはじめ、複数の球団が上位指名候補に挙げていることが報じられた[3]。実際には、阪神タイガースから4巡目で指名。東京国際大学の出身者としては初めての指名で、契約金4,000万円、年俸800万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は17

プロ入り後

2012年には、同姓・同年齢・同期入団の伊藤隼太と共に、新人ながら一軍キャンプに参加[4]。しかし、キャンプ終盤に右肩関節の周囲炎を発症したため、公式戦の開幕を二軍で迎えた。10月3日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で、先発投手として一軍公式戦へのデビューを果たした[5]ものの、一軍公式戦への登板はこの1試合だけにとどまった[6]

2013年には、2年連続で一軍キャンプに参加。2013ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)開幕直前の2月26日京セラドーム大阪で開かれたWBC日本代表との強化試合では、救援登板の2イニングで日本代表打線を完全に抑えたことから、非公式記録ながらセーブポイントを獲得した。しかし、後に右肘を故障したため、シーズン中は二軍生活に終始。ウエスタン・リーグでも、公式戦12試合の登板で、1勝1敗、防御率11.57に終わった。シーズン終了後の11月11日には、育成選手として契約を更改[7]。背番号も117に変更した。当時ゼネラルマネジャーだった中村勝広からは、「正直なところ、大学出身の投手で、ファームでの防御率(が11点台に終わったこと)は物足りない。ただ、(本来の)力はこんなもんじゃない。もう1回(支配下登録まで)はい上がってきて欲しい」という言葉で奮起を促されていた[8]

2014年には、育成選手ながら、オープン戦の途中から2シーズン振りに一軍へ合流。通算3試合(4イニング)の登板で8奪三振・自責点0という好成績を残したことを背景に、公式戦の開幕直前から「支配下登録選手へ復帰 → 先発要員として一軍に登録」という青写真が報じられるようになった[8][9]。3月下旬に右肩の違和感を訴えたことから、公式戦開幕時点での復帰は見送られた[10]ものの、4月11日に支配下登録選手への復帰と背番号92への変更が発表[11]。復帰後は救援で一軍公式戦6試合に登板したが、5月6日以降は一軍から遠ざかった。

2015年には、春季キャンプ直前の1月28日に結婚を発表。しかし、左脇腹などを痛めた影響で一軍公式戦への登板機会はなく、ウエスタン・リーグ公式戦でも3試合の登板にとどまった[12]

2016年には、一軍公式戦5試合に登板。勝敗は付かなかったものの、防御率2.45を記録した。

2017年には、一軍公式戦9試合に登板したが、防御率は4.26と前年から悪化。ウエスタン・リーグ公式戦では、主に中継ぎで39試合に登板すると、2勝2敗ながら防御率1.05という好成績を残した。シーズン終了後にはみやざきフェニックス・リーグに参加。

2018年には、二軍監督へ就任した矢野燿大の方針で、二軍のクローザーに抜擢。ウエスタン・リーグ公式戦36試合の登板で、1勝2敗20セーブ、防御率1.26を記録した末に、リーグの最多セーブ賞を受賞した[13]。一軍公式戦でも中継ぎで14試合に登板したが、0勝1敗、防御率5.48という成績にとどまった。

2019年には、一軍の春季キャンプへ参加すると、実戦での救援登板で相次いで好投。一軍監督へ異動した矢野からは、中継ぎ要員としての一軍定着を期待されていた[14]。しかし、キャンプ最終日の2月27日に腰の張りを訴えると、オープン戦以降は実戦から離脱。公式戦開幕直後の4月中旬に、腰椎椎間板摘出術を受けた[15]。手術後はリハビリを経て、レギュラーシーズン終盤の9月中旬から実戦に復帰[16]したものの、一軍公式戦への登板までには至らなかった。11月20日、100万円減の750万円で契約更改を行った[17][18]

2020年開幕直後の6月27日に昇格し横浜スタジアムにて8回を三者凡退に抑えた。その裏にサンズの3ランでチームが逆転し逃げ切ったため9年目にしてプロ初勝利を手にした。

選手としての特徴

本来は、力み無く球持ち良い腕の振りから投げ下ろす最速150km/hのストレートが武器。スライダーフォークチェンジアップなど縦の変化球のキレも良く[2]、外角低めへきっちり投げ込める制球力とスタミナも合わせ持つ。

右肘を痛めた2013年には、ストレートが最速でも140km/hを下回るほど投球フォームを崩したため、阪神への入団2年目にして育成選手契約への移行を余儀なくされた。このため、2014年には、当時の二軍投手コーチ・久保康生の指導でフォーム改造に着手。その結果、オープン戦序盤の時点で、ストレートは最速で147km/hにまで回復した[8]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2012 阪神 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 22 4.0 7 0 3 0 0 2 0 0 4 3 6.75 2.50
2014 6 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 45 10.0 8 1 8 0 0 11 0 0 7 7 6.30 1.60
2016 5 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 33 7.1 9 0 3 0 0 9 2 0 4 2 2.45 1.64
2017 9 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 55 12.2 13 1 4 0 1 10 1 0 7 6 4.26 1.34
2018 14 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 92 21.1 15 1 10 1 1 25 2 0 14 13 5.48 1.17
NPB:5年 35 1 0 0 0 0 2 0 0 .000 247 55.1 52 3 28 1 2 57 5 0 36 31 5.04 1.45
  • 2019年度シーズン終了時

年度別守備成績


投手












2012 1 0 0 0 0 ---
2014 6 0 1 0 0 1.000
2016 5 0 0 0 0 ---
2017 9 2 2 0 0 1.000
2018 14 3 1 0 0 1.000
通算 35 5 4 0 0 1.000
  • 2019年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 17 (2012年 - 2013年)
  • 117 (2014年 - 同年4月10日)
  • 92 (2014年4月11日 - )

登場曲

脚注

  1. ^ 阪神 - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2019年11月28日閲覧。
  2. ^ a b c “【阪神4位】伊藤和雄 古葉監督の愛弟子 津田さん思い出す150キロ!”. スポーツニッポン. (2011年10月27日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/10/27/kiji/K20111027001902680.html 2011年11月2日閲覧。 
  3. ^ “古葉監督の教え胸に…人生初の寮生活へ”. スポーツニッポン. (2011年10月26日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/10/26/kiji/K20111026001891990.html 2011年11月3日閲覧。 
  4. ^ “伊藤は「隼太」だけじゃない 「和雄」も1軍キャンプ”. 産経新聞. (2012年1月29日). http://sankei.jp.msn.com/west/west_sports/news/120129/wsp12012907070000-n1.htm 2012年2月7日閲覧。 
  5. ^ 東京国際大学公式サイト・ニュース「本学初のプロ野球選手 阪神タイガース 伊藤和雄投手 初登板」
  6. ^ 日本プロ野球機構・個人年度別成績・阪神タイガース伊藤和雄
  7. ^ “阪神 大卒2年目の伊藤和と育成契約”. スポーツニッポン. (2013年11月11日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/11/11/kiji/K20131111006994020.html 2013年11月11日閲覧。 
  8. ^ a b c “阪神伊藤和あるぞ支配下復活”. 日刊スポーツ. (2014年3月10日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140310-1268384.html 2014年3月13日閲覧。 
  9. ^ “阪神伊藤和、開幕後に支配下契約へ”. 日刊スポーツ. (2014年3月21日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140321-1273324.html 2014年3月26日閲覧。 
  10. ^ “防御率0・00の剛腕が1軍から消えた”. デイリースポーツ. (2014年3月25日). http://www.daily.co.jp/opinion-d/2014/03/26/0006809462.shtml 2014年3月26日閲覧。 
  11. ^ http://www.npb.or.jp/players/2014pn_registered.html 2014年4月11日閲覧。
  12. ^ “掛布二軍監督が伊藤和絶賛!制球力上昇”. デイリースポーツ. (2015年11月13日). https://www.daily.co.jp/tigers/2015/11/13/0008561583.shtml 2019年4月25日閲覧。 
  13. ^ 矢野監督秘蔵っ子の伊藤和雄、腰の張りで別メニュー”. nikkansports.com. 日刊スポーツ (2019年2月27日). 2019年3月24日閲覧。
  14. ^ 阪神伊藤和雄が好アピール 監督期待の中継ぎ候補”. nikkansports.com. 日刊スポーツ (2019年4月25日). 2019年2月23日閲覧。
  15. ^ 阪神伊藤和雄が手術終え退院「成長して戻れるよう」”. nikkansports.com. 日刊スポーツ (2019年4月25日). 2019年4月25日閲覧。
  16. ^ 阪神伊藤和雄7カ月ぶり実戦復帰 3番手で1回0封”. nikkansports.com. 日刊スポーツ (2019年9月12日). 2019年9月12日閲覧。
  17. ^ 阪神伊藤和雄100万円減「来年こそはの思い強い」 - プロ野球”. nikkansports.com. 日刊スポーツ (2019年11月20日). 2020年2月23日閲覧。
  18. ^ 阪神・伊藤和、100万円ダウンの750万円で更改「悔しい思いしかない」”. SANSPO.COM(サンスポ). サンケイスポーツ (2019年11月20日). 2020年2月23日閲覧。

関連項目

外部リンク