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'''郁姫'''(いくひめ、[[文化 (元号)|文化]]4年[[3月5日 (旧暦)|3月5日]]([[1807年]][[3月29日]]) - [[嘉永]]3年[[3月29日 (旧暦)|3月29日]]([[1850年]][[5月10日]]))は、[[五摂家]]筆頭の[[近衛家]]当主で[[関白]]・[[近衛忠煕]]の正室。別名'''興子'''。子は[[近衛忠房]]。[[近衛文麿]]、[[近衛秀麿]]は曾孫、[[細川護熙]]、[[近衞忠煇|近衛忠煇]]は来孫にあたる。 |
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2020年7月14日 (火) 20:03時点における版
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郁姫(いくひめ、文化4年3月5日(1807年3月29日) - 嘉永3年3月29日(1850年5月10日))は、五摂家筆頭の近衛家当主で関白・近衛忠煕の正室。別名興子。子は近衛忠房。近衛文麿、近衛秀麿は曾孫、細川護熙、近衛忠煇は来孫にあたる。
生涯
文化4年(1807年)に薩摩藩主・島津斉宣の娘として江戸高輪島津藩邸にて誕生した。母は側室・お百十の方(宝樹院)。文政8年(1825年)に近衛忠煕と婚約した。忠煕と婚約した頃は、父・斉宣は隠居の身であったため、藩主の兄斉興の養女となり、名も郁姫から島津興子に改めて近衛家に嫁ぐこととなった。この輿入れの際に、上臈として郁姫に随行したのが幾島(当時は藤田)である。
斉興の側室・お由羅の方に、妹の勝姫(松平康寿室)と共に養育され、由羅は実母同然に振舞ったといわれる。
忠煕との間に一子・忠房を儲けるも、嘉永3年(1850年)3月29日に死去した。享年43。
郁姫の息子・忠房は甥で薩摩藩主・島津斉彬の養女・貞姫を正室に迎えている。
登場作品
- テレビドラマ