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[[1919年]](大正8年)、[[東京大学|東京帝国大学]]法科大学を卒業し、さらに同文科大学を修了。[[1924年]](大正13年)、[[フランス]]に音楽研究のため留学した。[[1934年]](昭和9年)、国際文化振興会常務理事となり、さらに専務理事となる。 |
2020年7月22日 (水) 04:48時点における版
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黒田 清(くろだ きよし、1893年(明治26年)8月18日[1] - 1951年(昭和26年)1月22日[2])は、日本の華族。貴族院議員・財団法人国際文化振興会専務理事。爵位は伯爵。
人物
東京府出身。清は黒木為楨陸軍大将伯爵の三男で、黒田清仲伯爵(内閣総理大臣黒田清隆陸軍中将伯爵の子)に子が無かった為、養子となり爵位を継いだ。
1919年(大正8年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、さらに同文科大学を修了。1924年(大正13年)、フランスに音楽研究のため留学した。1934年(昭和9年)、国際文化振興会常務理事となり、さらに専務理事となる。
1944年(昭和19年)11月、貴族院伯爵議員に就任し、研究会に属し華族制度廃止までその職に在った。
清揚の母は貴族院議員榎本武憲子爵の長女千代子(母は清隆の娘・梅子)で、清揚は外務大臣・農商務大臣等を歴任した榎本武揚海軍中将子爵と清隆の曾孫にあたる。
脚注
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)p.570
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』では1月20日。
参考文献
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
日本の爵位 | ||
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先代 黒田清仲 |
伯爵 黒田(清隆)家第3代 1915年 - 1947年 |
次代 (華族制度廃止) |