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== 略歴 ==
== 略歴 ==
李は[[1939年]]8月9日、[[全羅南道]][[長興郡]]大徳邑(現:会鎮面)真木里に生まれる。幼い頃に弟と長兄を亡くす。特に長兄の死は李のその後の人格形成に少なくない影響を与えている。李の長兄は本を多く残し、李はその本を読むことで兄を追体験していった。李が小説家になる原点は幼い頃に育まれていた。李は優秀な成績で学業を修め、[[光州第一高等学校]]を経て[[1960年]]、[[ソウル大学校]]独文科に入学する。[[四月革命 (韓国)|四月革命]]が起きた年であり、学内は学生運動でたけなわであった時代だった。李は『[[散文時代]]』の同人となり[[金承オク|金承鈺]]や[[朴泰洵]]、[[キム・ヒョン]]、[[崔夏林]]等と文学修業をする。
李は[[1939年]]8月9日、[[全羅南道]][[長興郡]]大徳邑(現:会鎮面)真木里に生まれる。幼い頃に弟と長兄を亡くす。特に長兄の死は李のその後の人格形成に少なくない影響を与えている。李の長兄は本を多く残し、李はその本を読むことで兄を追体験していった。李が小説家になる原点は幼い頃に育まれていた。李は優秀な成績で学業を修め、[[光州第一高等学校]]を経て[[1960年]]、[[ソウル大学校]]独文科に入学する。[[四月革命 (韓国)|四月革命]]が起きた年であり、学内は学生運動でたけなわであった時代だった。李は『[[散文時代]]』の同人となり[[金承鈺]]や[[朴泰洵]]、[[キム・ヒョン]]、[[崔夏林]]等と文学修業をする。


李は、ソウル大学在籍中の[[1965年]]、「退院」が[[思想界新人文学賞]]に受賞して文壇に登場する。その後、次々と作品を発表していき、[[1967年]]には『{{lang|ko|병신과 머저리}} (病身とまぬけ)』で[[東仁文学賞]]を受賞した。李の執筆活動は[[1970年代]]に入ってからより活発になる。
李は、ソウル大学在籍中の[[1965年]]、「退院」が[[思想界新人文学賞]]に受賞して文壇に登場する。その後、次々と作品を発表していき、[[1967年]]には『{{lang|ko|병신과 머저리}} (病身とまぬけ)』で[[東仁文学賞]]を受賞した。李の執筆活動は[[1970年代]]に入ってからより活発になる。

2020年8月12日 (水) 21:50時点における版

李清俊
誕生 1939年8月9日
大韓民国の旗 韓国全羅南道 長興[1]
死没 (2008-07-31) 2008年7月31日(68歳没)
職業 小説家
言語 韓国語
国籍 韓国
活動期間 1965年[1] - 2008年
ジャンル 小説
デビュー作 「退院」(퇴원[1]
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李清俊
各種表記
ハングル 이청준
漢字 李淸俊[2]
発音: イ・チョンジュン
英語表記: Lee Chung-joon[2]
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李清俊(イ・チョンジュン、1939年8月9日 - 2008年7月31日)は、韓国小説家[1]4・19世代作家。非常に多くの作品の残した多作な作家であり、その作品傾向や技法も多様である。多様性こそ李の文学哲学とも言える。その作品のいくつかは映画化され、映画界に少なくない影響を及ぼした。

略歴

李は1939年8月9日、全羅南道長興郡大徳邑(現:会鎮面)真木里に生まれる。幼い頃に弟と長兄を亡くす。特に長兄の死は李のその後の人格形成に少なくない影響を与えている。李の長兄は本を多く残し、李はその本を読むことで兄を追体験していった。李が小説家になる原点は幼い頃に育まれていた。李は優秀な成績で学業を修め、光州第一高等学校を経て1960年ソウル大学校独文科に入学する。四月革命が起きた年であり、学内は学生運動でたけなわであった時代だった。李は『散文時代』の同人となり金承鈺朴泰洵キム・ヒョン崔夏林等と文学修業をする。

李は、ソウル大学在籍中の1965年、「退院」が思想界新人文学賞に受賞して文壇に登場する。その後、次々と作品を発表していき、1967年には『병신과 머저리 (病身とまぬけ)』で東仁文学賞を受賞した。李の執筆活動は1970年代に入ってからより活発になる。

李の初期の作品は現実と観念、または虚無と意志の対応関係を意識し、経験的な現実を観念的に解析し象徴的に表現する傾向がある。その手法がときには、「自意識過剰」「自己優越的」との批判を受けることにもなる。そうした批評を吸収しつつ、社会をより鋭く問う『당신들의 천국 (あなたたちの天国)』『자유의 문 (自由の門)』等のベストセラーを生み出す。李の後期作品は題材を土着懐古に求め、『남도 사람 (南道の人)』を始めとした民族の郷愁を強く意識した作品を執筆する。『南道の人』は映画『風の丘を越えて/西便制』となり、国内のみならず海外で大きな評価を得た。

2006年の夏に肺癌を患っていることが発覚する。自宅で療養するも2008年6月に病状が悪化しサムスンソウル病院に入院、2008年7月31日朝4時頃、死亡する。遺骸は文人葬として埋葬される。死後、大韓民国政府から金冠文化勲章を授与された。2008年12月1日、李の遺作『신화의 시대 (神話の時代)』がムルレ社より出版される。

年譜

受賞歴

代表作品

  • 1965年、퇴원
  • 1966年、병신과 머저리
  • 1966年、굴레
  • 1968年、석화촌
  • 1968年、매잡이
  • 1968年、침몰선
  • 1971年、소문의 벽
  • 1971年、별을 보여 드립니다
  • 1971年、仮睡
  • 1972年、조율사
  • 1972年、들어보면 아시겠지만
  • 1973年、떠도는 말들
  • 1974年、이어도
  • 1974年、낮은 목소리로
  • 1975年、가면의 꿈
  • 1976年、자서전들 쓰십시다
  • 1976年、서편제
  • 1976年、당신들의 천국
『あなたたちの天国』(姜信子訳、みすず書房、2010年、ISBN 978-4622075530
  • 1977年、불을 머금은 항아리
  • 1977年、예언자
  • 1978年、잔인한 도시
  • 1978年、남도 사람
『風の丘を越えて―西便制(ソピョンジェ)』(根本理恵訳、早川書房、2010年、ISBN 978-4150407346
  • 1979年、살아있는 늪
  • 1979年、춤추는 사제
  • 1979年、흐르지 않는 강
  • 1981年、낮은 데로 임하소서
  • 1986年、따뜻한 강
  • 1988年、아리아리 강강
  • 1989年、자유의 문
『自由の門』(李銀沢訳、『長編小説 (韓国の現代文学)』収録、柏書房、1992年、ISBN 978-4760107865
  • 2001年、떠돌이개 깽깽이
  • 2001年、눈길
  • 2002年、선생님의 밥그릇
  • 2003年、숭어 도둑
  • 2004年、아름다운 흉터
  • 2004年、학으로 나는 서편제
  • 2005年、머물고 간 자리 우리 뒷모습
  • 2008年、신화의 시대(遺作)

日本語で読める作品

  • 「海辺の人たち」『現代韓国文学選集4短編小説2』冬樹社、1973年
  • 長璋吉訳「書かれざる自叙伝」『韓国文学名作選』泰流社、1978年
  • 古山高麗雄編「くちなしの花の香り」『韓国現代文学13人集』新潮社、1981年
  • 長璋吉訳「仮睡」『韓国短篇小説選』岩波書店、1988年
  • 脇田和代訳「残忍な都市」『黄金 の 羽 韓国 短篇 小説選』夢2001、1991年
  • 李銀沢訳「自由の門」『韓国の現代文学 1』柏書房、1992年
  • 根本理恵訳『風の丘を越えて-西便制-』ハヤカワ文庫、1994年
  • 姜信子訳『あなたたちの天国』みすず書房、2010年
  • 文春琴訳『隠れた指 虫物語』菁柿堂、2010年

脚注

  1. ^ a b c d 인물정보(人物情報) NAVER(韓国語) 2011年9月1日閲覧。
  2. ^ a b 이청준 (イ・チョンジュン) chosun.com 포커스 인물 (フォーカス 人物)(韓国語) 2011年9月1日閲覧。