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ハイペースで得点を重ね14節から23節までの10試合で12得点を記録する爆発力をみせた。最終的にチーム得点王となる20得点を挙げる。
ハイペースで得点を重ね14節から23節までの10試合で12得点を記録する爆発力をみせた。最終的にチーム得点王となる20得点を挙げる。
2013年もゴールを量産すると同7月には同じく中国の[[北京中赫国安足球倶楽部|北京国安]]に完全移籍。この際の移籍金は4億7000万円で、中国リーグ間での移籍金としては史上最高額となった。
2013年もゴールを量産すると同7月には同じく中国の[[北京中赫国安足球倶楽部|北京国安]]に完全移籍。この際の移籍金は4億7000万円で、中国リーグ間での移籍金としては史上最高額となった。
しかし2014年は前年までの得点力が影を潜め、同7月に[[上海申キン足球倶楽部|上海申鑫]]にレンタル移籍となるが、上海でも復調せず同シーズン計25試合で3得点と中国移籍後もっとも低調な年となった。
しかし2014年は前年までの得点力が影を潜め、同7月に[[上海申足球倶楽部|上海申鑫]]にレンタル移籍となるが、上海でも復調せず同シーズン計25試合で3得点と中国移籍後もっとも低調な年となった。


==== 清水エスパルス ====
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2020年8月16日 (日) 15:38時点における版

ピーター・ウタカ
ピーター・ウタカ(2011年撮影)
名前
カタカナ ピーター・マドゥアブチ・ウタカ
ラテン文字 Peter Maduabuci Utaka
基本情報
国籍 ナイジェリアの旗 ナイジェリア
ベルギーの旗 ベルギー
生年月日 (1984-02-12) 1984年2月12日(40歳)
出身地 エヌグ州エヌグ
身長 178cm
体重 79kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 京都サンガF.C.
ポジション FW
背番号 9
利き足 右足
ユース
1997 ナイジェリアの旗 UNTHナイジェリア
1999-2000 クロアチアの旗 ディナモ・ザグレブ
2000-2004 ナイジェリアの旗 UNTHナイジェリア
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2004 ベルギーの旗 マースメヘレン 35 (17)
2004-2007 ベルギーの旗 ウェステルロー 73 (12)
2007-2008 ベルギーの旗 ロイヤル・アントワープ 46 (26)
2008-2012 デンマークの旗 オーデンセ 108 (52)
2012-2013 中華人民共和国の旗 大連阿爾濱 43 (27)
2013-2014 中華人民共和国の旗 北京国安 25 (8)
2014 中華人民共和国の旗 上海申鑫 (loan) 12 (2)
2015-2016 日本の旗 清水エスパルス 28 (9)
2016 日本の旗 サンフレッチェ広島 (loan) 33 (19)
2017 日本の旗 サンフレッチェ広島 0 (0)
2017 日本の旗 FC東京 (loan) 25 (8)
2018 デンマークの旗 ヴェイレBK 6 (0)
2018 日本の旗 徳島ヴォルティス 18 (6)
2019 日本の旗 ヴァンフォーレ甲府 40 (20)
2020- 日本の旗 京都サンガF.C.
代表歴2
2010-2012 ナイジェリアの旗 ナイジェリア 9 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2019年11月24日現在。
2. 2019年12月28日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ピーター・マドゥアブチ・ウタカ英語: Peter Maduabuci Utaka, 1984年2月12日 - )は、ナイジェリアエヌグ出身のプロサッカー選手Jリーグ京都サンガF.C.所属。ポジションはフォワード

来歴

クラブ

プロ入り

1984年にナイジェリアエヌグで生まれたウタカは、1997年に地元の大学病院・UNTHナイジェリア(University of Nigeria Teaching Hospital)でキャリアを始めた[1]。兄のジョン・ウタカと共にプレーすることになるが、程なくして兄がエジプトアラブ・コントラクターズSC英語版と契約すると、その後を追うように同じ町を拠点とするアル・イスマイリーSCのトライアルに参加[2]。その後、ヨーロッパでプレーしたい想いから、兄と兄の代理人の助けを借り、1999年の16歳の時にクロアチアNKディナモ・ザグレブの下部組織に入団。ディナモでは、後にクロアチア代表でプレーすることになるエドゥアルドとクラブが提供するアパートで共に生活をしたことから親交を結び、エドゥアルドがアーセナルFCへ移籍してからも連絡を取る仲になった[3]。それから1年後に古巣へ戻り2003年まで在籍した[2]

ベルギー時代

2003年にベルギー・セカンドディビジョンパトロ・アイスデン・マースメヘレン英語版と契約。マースメヘレンでの活躍が認められ、1部KVCウェステルローに引き抜かれた。2007年1月に2部のロイヤル・アントワープFCに加入するとすぐさま主力となり、翌シーズンは22得点で得点王となる活躍を見せ、チームをプレーオフ圏内の2位へ導いた。

デンマーク時代

2008年8月30日、デンマークオーデンセBKに移籍[4]。1年目で得点ランク4位タイとなる12得点を挙げ、2年目は33試合18得点で得点王に輝いた[5]。また、オーデンセの選手としては2004-05シーズンに20得点を挙げたシュテフェン・ホイヤー英語版以来の得点王となった。

中国時代

2012年1月、中国大連阿爾濱に移籍。 ハイペースで得点を重ね14節から23節までの10試合で12得点を記録する爆発力をみせた。最終的にチーム得点王となる20得点を挙げる。 2013年もゴールを量産すると同7月には同じく中国の北京国安に完全移籍。この際の移籍金は4億7000万円で、中国リーグ間での移籍金としては史上最高額となった。 しかし2014年は前年までの得点力が影を潜め、同7月に上海申鑫にレンタル移籍となるが、上海でも復調せず同シーズン計25試合で3得点と中国移籍後もっとも低調な年となった。

清水エスパルス

2015年2月、清水エスパルスへ完全移籍[6]。4月15日、第5節のガンバ大阪戦でJリーグ初ゴールを決めるなど[7][8]、攻撃の軸として28試合で9得点を記録したが[7]、チームはJ2降格を喫した。

サンフレッチェ広島

2016年、サンフレッチェ広島へ期限付き移籍。移籍当初はシャドーのポジションでプレーしていたが、佐藤寿人から1トップのレギュラーの座を奪うと得点を量産してリーグ最速の10点を決め、19得点でヴィッセル神戸のレアンドロと共にJ1得点王に輝いた。なお、ベストイレブンには選出されなかった。得点王を獲得しながらも、ベストイレブンに選出されなかったのは、Jリーグでは1994年シーズンのジェフ市原フランク・オルデネビッツ以来、2人目である。

FC東京

2017年は得点王を獲得したことで年俸が高騰し、年齢が高いこともあって広島・清水両クラブとも契約更新が難航しており[9]、最終的に所有権を広島に移した上でFC東京に期限付き移籍することとなった[10]。2017年3月15日、ルヴァンカップ第1節のベガルタ仙台戦では移籍後初の途中出場から、PKを含む1得点1アシストの活躍をみせた。3月18日、4節の川崎フロンターレ戦では途中出場から1得点1アシストの活躍でリーグ戦デビューを飾り、2点にからむ活躍を見せた。12月5日、FC東京との期限付き移籍期間が満了[11]。12月30日、広島との来季の契約を結ばないことが発表された[12]

ヴェイレBK

2018年2月、デンマーク2部のヴェイレBKと2018年夏までの契約を結んだ[13]。だが6試合無得点と結果を残せず、シーズン終了後に退団した[14]

Jリーグ復帰

2018年6月、徳島ヴォルティスへの完全移籍が発表された[15]。しかし18試合に出場、僅か6ゴールに終わった[7]

2018年12月、ヴァンフォーレ甲府への完全移籍が発表された[16]。40試合で20ゴールを決めた[7]

2019年12月23日、京都サンガF.C.に完全移籍により加入すると発表された[17]。第2節のジュビロ磐田戦で移籍後初ゴールを含め2ゴールを決めると、第10節のモンテディオ山形戦では一人で4ゴールを決め(日本でのプレーでは初のハットトリック)、4-3での勝利に貢献した[18]

代表

2009年9月21日、2010 FIFAワールドカップ・アフリカ予選モザンビーク戦に向けてシェイブ・アモドゥ英語版監督に初招集されるも出番はなかった[19]。2010年3月3日のコンゴ民主共和国戦でラーシュ・ラーゲルベック監督の下ナイジェリア代表デビューを果たし、代表初得点となる先制点を挙げ5-2の勝利に貢献した[20]。また、この試合前にナイジェリアサッカー協会はウタカと連絡がつかなかったため、ウタカの母親に連絡をし招集の件を伝えてもらった[21]

2010年5月、2010 FIFAワールドカップに向け暫定30人のメンバーに兄と共にリスト入りしたが[22]、本大会のメンバーには兄だけが選ばれたため兄弟一緒にプレーすることは叶わなかった。

人物

  • 2歳年上の兄・ジョン・ウタカもプロサッカー選手でナイジェリア代表としてもプレー。
  • 清水在籍時に食べた静岡おでんが気に入り、スタジアムで販売される選手コラボメニューとして"ウタカの静岡おでん"が企画販売されるほどだった[23]
  • ファッションへの関心が高く、自分が着るための服を製作するプライベートブランドを持っている[24]

個人成績

年度 クラブ 背番号 リーグ 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ベルギー リーグ ベルギー杯 CL EL 期間通算
2003-04 マースメヘレン ドゥズィエーム 35 17 - -
2004-05 ウェステルロー 21 JPL 24 4 -
2005-06 9 30 5 -
2006-07 19 3 -
2006-07 Rアントワープ ドゥズィエーム 12 4 -
2007-08 11 24 22 -
デンマーク リーグ リーグ杯 デンマーク杯 CL EL 期間通算
2008-09 オーデンセBK 7 スーペルリーガ 27 12 - - 0 0 - 27 12
2009-10 33 18 - - 3 4 3 2 39 24
2010-11 32 14 - - 1 0 10 6 43 20
2011-12 16 8 - - 0 0 9 1 25 9
中国 リーグ リーグ杯 中国FAカップ ACL 期間通算
2012 大連阿爾濱 11 CSL 28 20 - - 1 0 - - 29 20
2013 15 7 - 0 0 - 15 7
北京国安 15 12 7 - - 3 4 0 0 15 11
2014 13 1 - - 0 0 7 3 20 4
上海申鑫 35 12 2 - - 1 2 - 13 4
日本 リーグ ルヴァン杯 天皇杯 ACL 期間通算
2015 清水 18 J1 28 9 1 0 0 0 - 29 9
2016 広島 9 33 19 2 0 1 1 2 0 38 20
2017 FC東京 25 8 6 2 1 1 - 32 11
デンマーク リーグ リーグ杯 デンマーク杯 CL EL 期間通算
2017-18 ヴェイレBK 9 1.Division 6 0 - - 0 0 - 6 0
日本 リーグ ルヴァン杯 天皇杯 ACL 期間通算
2018 徳島 50 J2 18 6 - 0 0 - 18 6
2019 甲府 9 40 20 - 0 0 - 40 20
2020 京都 - -
合計 ベルギー2部 71 43
ベルギー1部 73 12
デンマーク1部 108 52 0 0 4 4 22 9 134 65
デンマーク2部 6 0 - - 0 0 - - 6 0
中国 80 37 0 0 5 6 7 3 92 46
J1 86 36 9 2 2 2 2 0 99 40
J2 58 26 - 0 0 - 58 26
総通算 482 206 9 2 11 12 31 12 533 232

その他の公式戦

タイトル

チーム

サンフレッチェ広島

個人

脚注

  1. ^ "Peter Utaka : A New Life in the Danish Superliga"
  2. ^ a b "NGR: Is Peter Utaka the missing link?"
  3. ^ "Peter Utaka learned from Premier League Stars"
  4. ^ "Lars Olsen savnede erfaren målscorer"
  5. ^ "Utaka slutter som topscorer"
  6. ^ ウタカ選手(北京国安足球倶楽部/中国)完全移籍にて加入決定のお知らせ 清水エスパルス 2015年2月21日
  7. ^ a b c d ピーター ウタカ”. data.j-league.or.jp. 2020年7月27日閲覧。
  8. ^ 2015明治安田生命J1リーグ 1stステージ 第5節”. data.j-league.or.jp. 2020年7月27日閲覧。
  9. ^ “ウタカ退団へ 今季得点王”. 中国新聞社. (2016年12月24日). http://www.chugoku-np.co.jp/sanfrecce/article/article.php?comment_id=307156&comment_sub_id=0&category_id=131 2016年12月24日閲覧。 
  10. ^ "ピーター ウタカ選手 清水エスパルスより完全移籍加入 および、FC東京に期限付き移籍のお知らせ" (Press release). サンフレッチェ広島. 1 March 2017. 2017年3月1日閲覧
  11. ^ 東京ウタカが今季限りで退団「良い時間を過ごした」 日刊スポーツ(2017年12月5日)
  12. ^ ピーター ウタカ選手 契約満了のお知らせ”. サンフレッチェ広島 (2017年12月30日). 2017年12月31日閲覧。
  13. ^ Vejle Boldklub henter Peter Utaka”. blod.dk (2018年2月14日). 2018年6月17日閲覧。
  14. ^ 元Jリーガーのウタカ、デンマーク2部クラブを一年で退団も感謝の声 「立派な勝者」”. Football ZONE WEB (2018年5月26日). 2018年6月17日閲覧。
  15. ^ ピーター ウタカ選手 完全移籍にて加入決定のお知らせ” (2018年6月14日). 2018年6月17日閲覧。
  16. ^ ピーター ウタカ選手 徳島ヴォルティスより完全移籍加入のお知らせ” (2018年12月27日). 2018年12月27日閲覧。
  17. ^ "ピーター・ウタカ選手 ヴァンフォーレ甲府より完全移籍加入のお知らせ" (Press release). 京都サンガF.C. 23 December 2019. 2019年12月28日閲覧
  18. ^ 「日本で大暴れ」 Jリーグの「止まらない」ストライカーを海外絶賛「信じられない」” (2020年8月10日). 2020年8月10日閲覧。
  19. ^ "Utaka udtaget til landsholdet"
  20. ^ "Nigeria 5-2 DR Congo: Osas Idehen Shows Class Against Leopards"
  21. ^ "Mum Calls Up Peter Utaka For Eagles"
  22. ^ "Release list of to 30 players"
  23. ^ ピーター・ウタカ選手の「静岡おでん」を販売します - サンフレッチェ広島 2016年6月12日
  24. ^ ピーター ウタカ選手の3変化 - SHIPS'S EYE 2017年09月15日

関連項目

外部リンク