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選挙方式は選挙により選出された[[国民大会|中華民国国民大会代表(国大代表)]]を通して投票される[[間接選挙]]であった。投票は台北[[陽明山]]の[[中山楼]]<ref>[[孫文]]生誕100周年記念事業の一環として建設され、1965年に完成。なお、国民大会の議場もそれまでの[[台北公会堂|中山堂]]から変更された。</ref>で行われ、副総統選挙は[[3月22日]]に実施された。副総統選挙は総統選挙と独立集計され、現在のように総統と副総統の候補者が一括して選挙戦を行うものではなかった。 |
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投票の結果、中国国民党候補者である |
投票の結果、中国国民党候補者である蔣介石が1,405票を獲得し第4代中華民国総統に就任した。翌日に行われた副総統選挙では国民党の[[厳家淦]]が当選している。 |
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蔣介石は後継者である[[蔣経国]]の地盤が固まっていない現状を考慮し、自身の総統四選を目標に立候補した。この際、周囲の反対を押し切り自ら副総統候補に指名したのが厳家淦である。蔣介石は[[1948年中華民国総統選挙|1948年の総統選]]以来、副総統を文官任用枠とすることを検討してきたが、それまで軍人出身の副総統が続いており、[[陳誠]]の病没により改めて文官任用として厳家淦を抜擢した。この蔣介石の決定には国民党内の不満を引き起こすこととなった。 |
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== 選挙制度 == |
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== 選挙結果 == |
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[[3月21日]]午前、中華民国第四任総統選挙が開始された。国大代表は[[王雲五]]を主席に選出、国民党候補の |
[[3月21日]]午前、中華民国第四任総統選挙が開始された。国大代表は[[王雲五]]を主席に選出、国民党候補の蔣介石への信任投票となり、1,488人が投票、1,405票の絶対多数票を獲得して蔣介石は総統に当選した。また翌日行われた副総統選挙では国民党内部から反発を受けた厳家淦であるが782票を獲得し、辛うじて半数を超え当選している。 |
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=== 総統選挙 === |
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2020年9月15日 (火) 13:47時点における版
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1966年中華民国総統選挙(1966ねんちゅうかみんこくそうとうせんきょ、中国語: 1966年中華民國總統選舉)は、1966年3月21日に中華民国(台湾)で行われた総統(第4期)を選出する選挙である。
概要
選挙方式は選挙により選出された中華民国国民大会代表(国大代表)を通して投票される間接選挙であった。投票は台北陽明山の中山楼[1]で行われ、副総統選挙は3月22日に実施された。副総統選挙は総統選挙と独立集計され、現在のように総統と副総統の候補者が一括して選挙戦を行うものではなかった。
投票の結果、中国国民党候補者である蔣介石が1,405票を獲得し第4代中華民国総統に就任した。翌日に行われた副総統選挙では国民党の厳家淦が当選している。
蔣介石は後継者である蔣経国の地盤が固まっていない現状を考慮し、自身の総統四選を目標に立候補した。この際、周囲の反対を押し切り自ら副総統候補に指名したのが厳家淦である。蔣介石は1948年の総統選以来、副総統を文官任用枠とすることを検討してきたが、それまで軍人出身の副総統が続いており、陳誠の病没により改めて文官任用として厳家淦を抜擢した。この蔣介石の決定には国民党内の不満を引き起こすこととなった。
選挙制度
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候補者
中国国民党 | |
総統候補 | 副総統候補 |
蔣介石 | 厳家淦 |
総統 党総裁 |
行政院長 |
選挙結果
3月21日午前、中華民国第四任総統選挙が開始された。国大代表は王雲五を主席に選出、国民党候補の蔣介石への信任投票となり、1,488人が投票、1,405票の絶対多数票を獲得して蔣介石は総統に当選した。また翌日行われた副総統選挙では国民党内部から反発を受けた厳家淦であるが782票を獲得し、辛うじて半数を超え当選している。
総統選挙
候補者 | 所属政党 | 得票数 | 得票率 | ||
蔣介石 | 中国国民党 | 1,405 | 100.0% | ||
有効票数(有効率) | 1,405 | 94.42% | |||
無効票数(無効率) | 83 | 5.58% | |||
投票総数(投票率) | 1,488 | 48.87% | |||
棄権者数(棄権率) | 1,557 | 51.13% | |||
定数 | 3,045 | 100.0% | |||
出典:「中華民國選舉史」中央選挙委員会 |
副総統選挙
候補者 | 所属政党 | 得票数 | 得票率 | ||
厳家淦 | 中国国民党 | 782 | 100.0% | ||
有効票数(有効率) | 782 | 52.55% | |||
無効票数(無効率) | 706 | 47.45% | |||
投票総数(投票率) | 1,488 | 48.87% | |||
棄権者数(棄権率) | 1,557 | 51.13% | |||
定数 | 3,045 | 100.0% | |||
出典:「中華民國選舉史」中央選挙委員会 |
参考文献
- 中央選挙委員会 『中華民国選挙史』(中央選挙委員会 台北 1987年)