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「東省特別行政区」の版間の差分

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[[1924年]](民国13年)、東清鉄道の関連権益を回収した中華民国は鉄道両側15キロメートルの地域に'''東省特別行政区'''(簡称は'''東省特別区''')を設置した。これは[[浜江県]](現在の[[ハルビン市]])を中心に、西は[[満洲里]]、東は[[綏芬河]]、南は[[長春]]に至る[[黒竜江省 (中華民国)|黒竜江省]]と[[吉林省 (中華民国)|吉林省]]にまたがる地域を線上に管轄し、両省政府の行政権が及ばない行政特別区と定められた。
[[1924年]](民国13年)、東清鉄道の関連権益を回収した中華民国は鉄道両側15キロメートルの地域に'''東省特別行政区'''(簡称は'''東省特別区''')を設置した。これは[[浜江県]](現在の[[ハルビン市]])を中心に、西は[[満洲里]]、東は[[綏芬河]]、南は[[長春]]に至る[[黒竜江省 (中華民国)|黒竜江省]]と[[吉林省 (中華民国)|吉林省]]にまたがる地域を線上に管轄し、両省政府の行政権が及ばない行政特別区と定められた。


[[介石政権|南京国民政府]]が成立すると[[中華民国内政部|内政部]]は各地の特別行政区を改省、または廃止しているが、東省行政特別区はその重要性を考慮し、[[中華民国行政院|行政院]]転奉国民政府第79回会議によりその存続が決定され、[[満洲国]]における[[北満特別区]]に継承された。
[[介石政権|南京国民政府]]が成立すると[[中華民国内政部|内政部]]は各地の特別行政区を改省、または廃止しているが、東省行政特別区はその重要性を考慮し、[[中華民国行政院|行政院]]転奉国民政府第79回会議によりその存続が決定され、[[満洲国]]における[[北満特別区]]に継承された。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2020年9月15日 (火) 14:59時点における版

中華民国 東省特別行政区
1914年 - 1932年
簡体字 东省特别区
繁体字 東省特別区
拼音 Dōngshĕng Tèbiĕqù
カタカナ転記 ドンシェン トゥービエチュー
国家 中華民国
行政級別 特別区
建置 1914年
消滅 1932年 
面積
- 総面積 km²
人口

東省行政特別区(とうしょう-きょうせい-とくべつく)は中華民国により設置された省級行政区。

沿革

東省特別区の初見は1920年民国9年)11月に公布された『東省特別区域法院編制条例』である[1]。また、1922年(民国11年)12月2日には張作霖により東清鉄道沿線を特別区と定め、朱慶瀾を長官に任命、区内の軍警察、外交、内政、司法の各機関を管轄した。

1924年(民国13年)、東清鉄道の関連権益を回収した中華民国は鉄道両側15キロメートルの地域に東省特別行政区(簡称は東省特別区)を設置した。これは浜江県(現在のハルビン市)を中心に、西は満洲里、東は綏芬河、南は長春に至る黒竜江省吉林省にまたがる地域を線上に管轄し、両省政府の行政権が及ばない行政特別区と定められた。

南京国民政府が成立すると内政部は各地の特別行政区を改省、または廃止しているが、東省行政特別区はその重要性を考慮し、行政院転奉国民政府第79回会議によりその存続が決定され、満洲国における北満特別区に継承された。

脚注

  1. ^ 其省鉄路界内、為訴訟上便利起見、定為東省特別区域