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「春風亭一朝」の版間の差分

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*[[東京都立化学工業高等学校]]卒業。
*[[東京都立化学工業高等学校]]卒業。
*[[1968年]]3月 入門。
*[[1968年]]3月 入門。
*[[1970年]]4月 [[前座]]になる。名朝太郎。
*[[1970年]]4月 [[前座]]になる。前座・'''[[春風亭朝太郎]'''
*[[1973年]]9月 二目昇進し、一朝に改名。
*[[1973年]]9月 二目昇進。'''一朝'''に改名。
**大師匠彦六が、若い頃に稽古をつけて貰っていた「[[三遊亭一朝|三遊一朝]]」の名を貰っている。
**大師匠彦六が、若い頃に稽古をつけて貰っていた「[[三遊亭一朝|三遊一朝]]」の名を貰っている。
*[[1980年]]3月 弟弟子[[春風亭小朝]]が一朝よりも先に真打昇進する。
*[[1980年]]3月 弟弟子[[春風亭小朝]]が一朝よりも先に真打昇進する。
*[[1982年]]12月 真打昇進するが、師匠柳朝が[[脳梗塞]]に倒れる。
*[[1982年]]12月 [[吉原朝馬#4代目|四代目吉原朝馬]]、[[三遊亭小金馬|三代目三遊亭小金馬]]、[[柳家せん八]]、[[古今亭志ん橋|六代目古今亭志ん橋]]とともに真打昇進。この頃師匠柳朝が[[脳梗塞]]に倒れる。
*[[1984年]] 第4回国立演芸場花形新人大賞受賞。
*[[1984年]] 第4回国立演芸場花形新人大賞受賞。
*[[1986年]] [[芸術祭 (文化庁)|文化庁芸術祭]]優秀賞受賞(「若手花形落語会」)。
*[[1986年]] [[芸術祭 (文化庁)|文化庁芸術祭]]優秀賞受賞(「若手花形落語会」)。

2020年10月8日 (木) 21:13時点における版

春風亭しゅんぷうてい 一朝いっちょう
春風亭(しゅんぷうてい) 一朝(いっちょう)
春風亭一朝定紋「沢瀉」
本名 浮ヶ谷うきがや 克美かつみ
生年月日 (1950-12-10) 1950年12月10日(73歳)
出身地 日本の旗 日本東京都足立区
師匠 5代目春風亭柳朝
弟子 6代目春風亭柳朝
春風亭一之輔
春風亭三朝
春風亭一左
春風亭一蔵
春風亭朝之助
春風一刀
春風亭一花
春風亭一猿
春風亭朝枝
名跡 1. 春風亭朝太郎
(1970年 - 1973年)
2. 春風亭一朝
(1973年 - )
出囃子 菖蒲浴衣
活動期間 1970年 -
所属 落語協会
受賞歴
第4回国立演芸場花形新人大賞(1984年)
文化庁芸術祭優秀賞受賞(1986年)
第30回浅草芸能大賞奨励賞(2013年)

春風亭 一朝(しゅんぷうてい いっちょう、1950年12月10日 - )は、東京都足立区出身の落語家落語協会所属。本名∶浮ヶ谷うきがや 克美かつみ出囃子は『菖蒲浴衣』。

人物

イッチョウ懸命(一生懸命の“一生”と“一朝”をかけたもの)…(大半はこの後に「頑張ります」などが続く)」がキャッチフレーズ。

5代目春風亭柳朝の総領弟子。師匠柳朝と同じく江戸前噺家で有名。またNHK大河ドラマ龍馬伝』の江戸ことば指導も行なった。

柳朝の師匠8代目林家正蔵(後の林家彦六)にとって最初の孫弟子である。実際に、最初に入門を願い出た先は彦六の門であり、当時は林家あとむ(現:3代目八光亭春輔)、林家九蔵(現:三遊亭好楽)の2人が前座の身でこれ以上は面倒が見切れないということから、総領弟子柳朝に頼み、柳朝も快く引き受けたというエピソードがある。

趣味とするは、歌舞伎や落語での囃子を担当する程の名手。妻は歌舞伎役者5代目片岡市蔵の娘である。

略歴

CD

一門弟子

真打

二ツ目

脚注

外部リンク