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== 歴史 ==
== 歴史 ==
[[File:Cassillis House - geograph.org.uk - 296160.jpg|250px|thumb|侯爵家の旧邸宅である[[カセルスハウス]]。スコットランド、エアシャー地方に現存。<ref>{{Cite web|title=Battle brews over castle 'clearances'|url=https://www.scotsman.com/news-2-15012/battle-brews-over-castle-clearances-1-1365406|website=www.scotsman.com|accessdate=2019-11-28|language=en}}</ref>|代替文=]][[File:Ailsa Craig from Waverley.jpg|thumb|right|200px|エイルザ侯爵ケネディ家がかつて領していた[[アルサクレイグ島]]]][[スコットランド]]の有力[[スコットランドの氏族|氏族]]であるケネディ家の歴史は長く、14世紀末までにその先祖の存在を確認することができる。その中でも、{{仮リンク|ギルバート・ケネディ_(初代ケネディ卿)|label=ギルバート・ケネディ|en|Gilbert_Kennedy,_1st_Lord_Kennedy}}<small>(1406頃‐1480頃)</small>がスコットランド王[[ジェームズ3世 (スコットランド王)|ジェームズ3世]]の御世の[[1457年]]に'''ケネディー卿'''<small>(Lord Kennedy)</small>に叙されたことはのちのエイルザ侯爵家につながる出来事であった。<ref>{{Cite web|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/kennedy1457.htm|title=Kennedy, Lord (S, 1457-8)|accessdate=2019年11月29日|publisher=Cracroft's Peerage}}</ref>
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[[1509年]]には、初代卿の孫で[[スコットランド枢密院顧問官]]を務めた3代卿デイビッド<small>(1463-1513)</small>が'''カセルス伯爵'''<small>(Earl of Cassillis)</small>{{#tag:ref|実際の発音は、({{IPAc-en|ˈ|k|æ|s|əl|z}} {{respell|KASS|əlz}})であり、対応するカタカナ表記では「カサルズ」。|group="註釈"}}に叙された。<ref name=":1" />その後も初代伯の系統は7代伯ジョン <small>(1653-1701)</small>まで順当に継承されていったが、その孫である8代伯ジョン<small>(1700–1759)</small>が[[1759年]]に嗣子なく没した。<ref name=":1">{{Cite web|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/cassillis1509.htm|title=Cassillis, Earl of (S, 1509)|accessdate=2019年11月29日|publisher=Cracroft's Peerage}}</ref><br>この際に、伯爵位及び卿位が男系相続(heir male)であるのか、女系も含めた相続(heir general)かを巡って論争となった。男系の場合は、3代伯の男系子孫である{{仮リンク|クレインのケネディ准男爵|en|Kennedy_baronets#Kennedy_baronets.2C_of_Culzean_.281682.29|label=}}家当主のトーマス・ケネディ<small>(?-1775)</small>が継承者であった。一方で女系の継承者として、7代伯の娘の孫にあたる[[ウィリアム・ダグラス (第4代クイーンズベリー公爵)|第4代クイーンズベリー公爵ウィリアム・ダグラス]]がその爵位の継承を主張したため、[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]による裁定を求めることとなった。<ref name=":1" />
[[1509年]]には、初代卿の孫で[[スコットランド枢密院顧問官]]を務めた3代卿デイビッド<small>(1463-1513)</small>が'''カセルス伯爵'''<small>(Earl of Cassillis)</small>{{#tag:ref|実際の発音は、({{IPAc-en|ˈ|k|æ|s|əl|z}} {{respell|KASS|əlz}})であり、対応するカタカナ表記では「カサルズ」。|group="註釈"}}に叙された。<ref name=":1" />その後も初代伯の系統は7代伯ジョン <small>(1653-1701)</small>まで順当に継承されていったが、その孫である8代伯ジョン<small>(1700–1759)</small>が[[1759年]]に嗣子なく没した。<ref name=":1">{{Cite web|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/cassillis1509.htm|title=Cassillis, Earl of (S, 1509)|accessdate=2019年11月29日|publisher=Cracroft's Peerage}}</ref><br>この際に、伯爵位及び卿位が男系相続(heir male)であるのか、女系も含めた相続(heir general)かを巡って論争となった。男系の場合は、3代伯の男系子孫である{{仮リンク|クレインのケネディ准男爵|en|Kennedy_baronets#Kennedy_baronets.2C_of_Culzean_.281682.29|label=}}家当主のトーマス・ケネディ<small>(?-1775)</small>が継承者であった。一方で女系の継承者として、7代伯の娘の孫にあたる[[ウィリアム・ダグラス (第4代クイーンズベリー公爵)|第4代クイーンズベリー公爵ウィリアム・ダグラス]]がその爵位の継承を主張したため、[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]による裁定を求めることとなった。<ref name=":1" />


これに対して、貴族院は[[1762年]]に『カセルス伯爵位及びケネディ卿位は男系子孫がこれを承継する』との決定を下したため、トーマス・ケネディが第9代カセルス伯爵を襲うこととなった。<ref name=":1" /><ref> The Complete Peerage, vol. III, pp 78 – 79</ref>
これに対して、貴族院は[[1762年]]に『カセルス伯爵位及びケネディ卿位は男系子孫がこれを承継する』との決定を下したため、トーマス・ケネディが第9代カセルス伯爵を襲うこととなった。<ref name=":1" /><ref> The Complete Peerage, vol. III, pp 78 – 79</ref>


9代伯ののちは弟のデイヴィッドが爵位を相続した。しかし、10代伯デイヴィッド<small>(?-1792)</small>には男子がなかったため(クレインのケネディ)準男爵位は廃絶、カセルス伯爵は遠縁のアーチボルド<small>(?-1794)</small>が爵位を相続した。<ref name=":1" />さらに、その息子である12代伯アーチーボルド<small>(1770–1846)</small>は[[貴族代表議員|スコットランド貴族代表議員]]を務めたほか、[[1831年]]に'''エアー州エイルザ島のエイルザ侯爵'''<small>(Marquess of Ailsa of the Isle of Ailsa in the County of Ayr)</small>に陛爵した。
9代伯ののちは弟のデイヴィッドが爵位を相続した。しかし、10代伯デイヴィッド<small>(?-1792)</small>には男子がなかったため(クレインのケネディ)準男爵位は廃絶、カセルス伯爵は遠縁のアーチボルド<small>(?-1794)</small>が爵位を相続した。<ref name=":1" />さらに、その息子である12代伯アーチーボルド<small>(1770–1846)</small>は[[貴族代表議員|スコットランド貴族代表議員]]を務めたほか、[[1831年]]に'''エアー州エイルザ島のエイルザ侯爵'''<small>(Marquess of Ailsa of the Isle of Ailsa in the County of Ayr)</small>に陛爵した。
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現在もその初代侯の系統で続いており、彼が[[1806年]]に[[連合王国貴族]]として'''エアー州エイルザのエイルザ男爵'''<small>(Baron Ailsa, of Ailsa in the County of Ayr)</small>に叙されたため、[[1999年貴族院法]]制定まではエイルザ侯爵家当主は自動的に[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]に議席を持ち続けていた。<ref name=":2" /><ref>{{Cite web|url=https://www.thegazette.co.uk/London/issue/15971/page/1438|title=No.15971|accessdate=2019年11月29日|publisher=The Gazette 1 November 1806}}</ref>
現在もその初代侯の系統で続いており、彼が[[1806年]]に[[連合王国貴族]]として'''エアー州エイルザのエイルザ男爵'''<small>(Baron Ailsa, of Ailsa in the County of Ayr)</small>に叙されたため、[[1999年貴族院法]]制定まではエイルザ侯爵家当主は自動的に[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]に議席を持ち続けていた。<ref name=":2" /><ref>{{Cite web|url=https://www.thegazette.co.uk/London/issue/15971/page/1438|title=No.15971|accessdate=2019年11月29日|publisher=The Gazette 1 November 1806}}</ref>

2020年12月4日 (金) 05:27時点における版

エイルザ侯爵

創設時期1831年9月10日
創設者ウィリアム4世
貴族連合王国貴族
初代第12代カセルス伯ジョン・ケネディ
現所有者第9代エイルザ侯デイビッド・トーマス・ケネディ
相続資格初代侯の嫡出直系男子(1st Marquess's heirs male of the body lawfully begotten)
付随称号カセルス伯
ケネディ卿
エイルザ男爵
旧邸宅カセルスハウス(Cassillis House)
クレイン城英語版(Culzean Castle)
モットーAVISE LA FIN
(Consider the end) [1]

エイルザ侯爵(英:Marquess of Ailsa)は、イギリスの侯爵位、貴族連合王国貴族爵位。スコットランド貴族の第12代カセルス伯爵アーチーボルド・ケネディが1831年に叙された。[2][3]

爵位はクライド湾に浮かぶ小島、アルサクレイグ島に由来するもので長らくケネディ家の所有であったが、2013年に売却された。[4] なお、エイルザ侯爵家の当主は代々ケネディ氏族の氏族長を務める。

かつての邸宅には、カセルスハウスやエアーシャー州メイルボール英語版近郊のクレイン城英語版などがあった。[5]

歴史

侯爵家の旧邸宅であるカセルスハウス。スコットランド、エアシャー地方に現存。[6]
エイルザ侯爵ケネディ家がかつて領していたアルサクレイグ島

スコットランドの有力氏族であるケネディ家の歴史は長く、14世紀末までにその先祖の存在を確認することができる。その中でも、ギルバート・ケネディ英語版(1406頃‐1480頃)がスコットランド王ジェームズ3世の御世の1457年ケネディー卿(Lord Kennedy)に叙されたことはのちのエイルザ侯爵家につながる出来事であった。[7]

1509年には、初代卿の孫でスコットランド枢密院顧問官を務めた3代卿デイビッド(1463-1513)カセルス伯爵(Earl of Cassillis)[註釈 1]に叙された。[8]その後も初代伯の系統は7代伯ジョン (1653-1701)まで順当に継承されていったが、その孫である8代伯ジョン(1700–1759)1759年に嗣子なく没した。[8]
この際に、伯爵位及び卿位が男系相続(heir male)であるのか、女系も含めた相続(heir general)かを巡って論争となった。男系の場合は、3代伯の男系子孫であるクレインのケネディ准男爵英語版家当主のトーマス・ケネディ(?-1775)が継承者であった。一方で女系の継承者として、7代伯の娘の孫にあたる第4代クイーンズベリー公爵ウィリアム・ダグラスがその爵位の継承を主張したため、貴族院による裁定を求めることとなった。[8]

これに対して、貴族院は1762年に『カセルス伯爵位及びケネディ卿位は男系子孫がこれを承継する』との決定を下したため、トーマス・ケネディが第9代カセルス伯爵を襲うこととなった。[8][9]

9代伯ののちは弟のデイヴィッドが爵位を相続した。しかし、10代伯デイヴィッド(?-1792)には男子がなかったため(クレインのケネディ)準男爵位は廃絶、カセルス伯爵は遠縁のアーチボルド(?-1794)が爵位を相続した。[8]さらに、その息子である12代伯アーチーボルド(1770–1846)スコットランド貴族代表議員を務めたほか、1831年エアー州エイルザ島のエイルザ侯爵(Marquess of Ailsa of the Isle of Ailsa in the County of Ayr)に陛爵した。 [2][10]

現在もその初代侯の系統で続いており、彼が1806年連合王国貴族としてエアー州エイルザのエイルザ男爵(Baron Ailsa, of Ailsa in the County of Ayr)に叙されたため、1999年貴族院法制定まではエイルザ侯爵家当主は自動的に貴族院に議席を持ち続けていた。[10][11]

現当主の保有爵位

現当主である第9代エイルザ侯爵デイビッド・トーマス・ケネディは以下の爵位を保有している。 [10]

  • 第9代エアー州エイルザ島のエイルザ侯爵(9th Marquess of Ailsa, of the Isle of Ailsa in the County of Ayr)
    (1831年9月10日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第20代カセルス伯爵(20th Earl of Cassillis)
    (1509年創設のスコットランド貴族爵位)
  • 第22代ケネディ卿(22nd Lord Kennedy)
    (1457年創設のスコットランド貴族爵位)
  • 第9代エアー州エイルザのエイルザ男爵(9th Baron Ailsa, of Ailsa in the County of Ayr)
    (1806年11月12日の勅許状による連合王国貴族爵位)

一覧

ケネディ卿(1457)

カセルス伯爵(1509)

エイルザ侯爵(1831)

法定推定相続人は現当主の息子であるカセルス伯爵(儀礼称号)アーチーボルド・デイビッド・ケネディ(1995-)。

脚注

註釈

  1. ^ 実際の発音は、([ˈkæsəlz] KASS-əlz)であり、対応するカタカナ表記では「カサルズ」。

出典

  1. ^ Debrett's Peerage, 1876, p.16
  2. ^ a b No.18846”. The Gazette 9 September 1831. 2019年11月29日閲覧。
  3. ^ Cokayne(1910), p. 67.
  4. ^ Kevin McKenna, 'Ailsa Craig, granite jewel of the Firth of Clyde, finally finds a buyer', The Guardian, Saturday 7 December 2013
  5. ^ Battle brews over castle 'clearances'” (英語). www.scotsman.com. 2019年11月28日閲覧。
  6. ^ Battle brews over castle 'clearances'” (英語). www.scotsman.com. 2019年11月28日閲覧。
  7. ^ Kennedy, Lord (S, 1457-8)”. Cracroft's Peerage. 2019年11月29日閲覧。
  8. ^ a b c d e Cassillis, Earl of (S, 1509)”. Cracroft's Peerage. 2019年11月29日閲覧。
  9. ^ The Complete Peerage, vol. III, pp 78 – 79
  10. ^ a b c Ailsa, Marquess of (UK, 1831)”. Cracroft's Peerage. 2019年11月29日閲覧。
  11. ^ No.15971”. The Gazette 1 November 1806. 2019年11月29日閲覧。

関連項目

参考図書