「エレクトロ・ポップ」の版間の差分
Bluesbluegrass (会話 | 投稿記録) Reference脚注 |
アナログシンセの限界を特徴としていたのはシンセポップではなくエレクトロポップの方です。また、「80年代で終わったシンセポップと違い」という記述はシンセポップアーティストに対し大変失礼です。テクノポップのファンがシンセポップに敬意を全く払っていないのはよくわかりましたが、シンセポップの悪口はテクノポップの記事でやって下さい。(住み分けを守る) |
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エレクトロ・ポップは、冷たくロボット的で、電子音を強調するのが特徴であり、また、近未来SFに縁取られた無表情な歌詞も特徴とする。エレクトロ・ポップは、シンプルで覚えやすいフックとダンスビートのポップ・ミュージックである。ただし、そのダンスビートはエレクトロ・ポップがインスパイアを与えた、のちのエレクトロニック・ダンス・ミュージック([[テクノ (ダンスミュージック)|テクノ]]、[[ハウス (音楽)|ハウス]]など)のシンプルさと異なるという説もある。ニューヨークタイムズのJon Parelesは、エレクトロ・ポップが派生ジャンル、チルウェイブの元になったと分析している<ref>[https://www.nytimes.com/2010/03/22/arts/music/22sxsw2.html Spilling Beyond a Festival's Main Courses Jon Pareles The New York Times]2020年12月7日閲覧</ref>。 |
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初期エレクトロ・ポップの例としては、ジョルジオ・モローダーとドナ・サマーの『アイ・フィール・ラブ』などがあげられる。[[イギリス|英国]]人も積極的にかかわり、[[デヴィッド・ボウイ]]の〈ベルリン時代〉のアルバム、『ヒーローズ』と『ロウ』の影響を受けた。ほかの大きな影響源は、ドイツのバンド、[[クラフトワーク]]<ref>http://www.discogs.com/Kraftwerk-Kraftwerk/master/2745</ref>である。また、いくつかのグループはニューヨークのシンセ・パンク・グループ、[[スーサイド]]や、[[クラウト・ロック]]のバンド、[[ノイ!]]、[[クラスター (バンド)|クラスター]]、[[カン (バンド)|カン]]からもインスピレーションを受けた。ローリング・ストーンのライターParke Putergaughは83年に、Mやヒューマン・リーグがこのジャンルに貢献し、第二次ブリティッシュ・インベイジョンの一部を担ったとの記事を書いている<ref>{{Cite web |title= Anglomania: The Second British Invasion |url= https://www.rollingstone.com/music/music-news/anglomania-the-second-british-invasion-52016/ |work= Rolling Stone |accessdate= 2020-12-02 }}</ref>。 |
初期エレクトロ・ポップの例としては、ジョルジオ・モローダーとドナ・サマーの『アイ・フィール・ラブ』などがあげられる。[[イギリス|英国]]人も積極的にかかわり、[[デヴィッド・ボウイ]]の〈ベルリン時代〉のアルバム、『ヒーローズ』と『ロウ』の影響を受けた。ほかの大きな影響源は、ドイツのバンド、[[クラフトワーク]]<ref>http://www.discogs.com/Kraftwerk-Kraftwerk/master/2745</ref>である。また、いくつかのグループはニューヨークのシンセ・パンク・グループ、[[スーサイド]]や、[[クラウト・ロック]]のバンド、[[ノイ!]]、[[クラスター (バンド)|クラスター]]、[[カン (バンド)|カン]]からもインスピレーションを受けた。ローリング・ストーンのライターParke Putergaughは83年に、Mやヒューマン・リーグがこのジャンルに貢献し、第二次ブリティッシュ・インベイジョンの一部を担ったとの記事を書いている<ref>{{Cite web |title= Anglomania: The Second British Invasion |url= https://www.rollingstone.com/music/music-news/anglomania-the-second-british-invasion-52016/ |work= Rolling Stone |accessdate= 2020-12-02 }}</ref>。 |
2020年12月12日 (土) 09:31時点における版
エレクトロ・ポップ | |
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様式的起源 |
ディスコ ニュー・ウェイヴ 電子音楽 ポップ・ミュージック ポスト・パンク グラム・ロック クラウト・ロック |
文化的起源 |
1980年代初頭 イギリス アメリカ合衆国 |
使用楽器 | シンセサイザー、ドラムマシン、ベース・ギター、ドラム、シーケンサー、キーボード、ヴォコーダー、サンプラー、ヴォーカル |
派生ジャンル | ハウス、トランス、エレクトロクラッシュ, エレクトロニカ、チップチューン |
関連項目 | |
エレクトロ・ポップ(英: Electropop)は、1980年代初頭に最初に流行したエレクトロニック・ミュージックの一形式。エレクトロ・ポップは、チャート指向のシンセポップ[1]が開拓した大量市場を基盤として生まれた。多くのバンドは、1990年代と2000年代もエレクトロ・ポップの伝統を守り続けた。
歴史
エレクトロ・ポップは、冷たくロボット的で、電子音を強調するのが特徴であり、また、近未来SFに縁取られた無表情な歌詞も特徴とする。エレクトロ・ポップは、シンプルで覚えやすいフックとダンスビートのポップ・ミュージックである。ただし、そのダンスビートはエレクトロ・ポップがインスパイアを与えた、のちのエレクトロニック・ダンス・ミュージック(テクノ、ハウスなど)のシンプルさと異なるという説もある。ニューヨークタイムズのJon Parelesは、エレクトロ・ポップが派生ジャンル、チルウェイブの元になったと分析している[2]。
初期エレクトロ・ポップの例としては、ジョルジオ・モローダーとドナ・サマーの『アイ・フィール・ラブ』などがあげられる。英国人も積極的にかかわり、デヴィッド・ボウイの〈ベルリン時代〉のアルバム、『ヒーローズ』と『ロウ』の影響を受けた。ほかの大きな影響源は、ドイツのバンド、クラフトワーク[3]である。また、いくつかのグループはニューヨークのシンセ・パンク・グループ、スーサイドや、クラウト・ロックのバンド、ノイ!、クラスター、カンからもインスピレーションを受けた。ローリング・ストーンのライターParke Putergaughは83年に、Mやヒューマン・リーグがこのジャンルに貢献し、第二次ブリティッシュ・インベイジョンの一部を担ったとの記事を書いている[4]。
ヨーロッパには実験的で前衛的な電子音楽の歴史があるが、エレクトロ・ポップにはほとんど影響をおよぼしていない。だが、その前衛的な電子音楽の伝統は、「BBCラジオ・音響ワークショップ」や「ロンドン電子音楽スタジオ」のような組織において10年以上にわたり技術的な専門知識を蓄積した。それらの組織は、シンセ・ロックの先駆者たち─ブライアン・イーノ、ロキシー・ミュージック、タンジェリン・ドリーム、ピンク・フロイドの仕事を後援した。
エレクトロ・ポップは1970年代終わりから1980年代はじめの英国音楽プレスにおいて、ミック・ファレンらによって批判された。エレクトロ・ポップは、そのシンセ・サウンドが1980年代初頭の英国ニュー・ロマンティクス・ムーブメントとも密接に関わり合っている。また、初期エレクトロ・ポップは、サンプラー使用と後のレイヴ要素をもった、ニュー・オーダーの記念すべき1983年のシングル「ブルーマンデー」によって大きく変わった。エレクトロポップは、80年代後半のレイヴ・カルチャーにとっては、懐古趣味の対象となる場合もあった。
エレクトロ・ポップの中で、ヒットラーやナチスを擁護したことのあるデヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」は、人種差別とファシズム思想が一部から疑われていた。だが、米国の黒人文化の中でもジョージ・クリントンとPファンクやロジャー&ザップのようなミュージシャンは、R&Bやファンクにエレクトロニクス導入した独特のスタイルのサウンドを追究した。後にデトロイト・テクノのジャンルも登場した。また、ニューヨークのアフリカ・バンバータもクラフトワークをサンプリングすることによって、ヒップホップのエレクトロ・スタイルを発明した。またMの「ポップ・ミューヂック」やリップスの「ファンキー・タウン」のような、よりポップな大ヒット曲も生まれた。YMOのテクノ・ポップもシーンに貢献した。
90年代以降のシーン
90年代には、ケミカル・ブラザーズ、ファットボーイ・スリム、ゴールディー、トリッキー、ダフト・パンク、モービーらが登場した。エレクトロ・ポップは2000年代初めにエレクトロクラッシュ・ムーブメントとしてリバイバルした。それはルーク・スレーターのようなアーティストと、ロンドンのNag Nag Nagのようなナイトクラブによって、ダンスシーンを背景に爆発した。
ロンドン、ニューヨーク、ベルリン、そしてアナーバーのエレクトロ・クラッシュ・シーンから多くのエレクトロ・ポップ・ミュージシャンが登場し、2002年から現在にいたるまでアルバムを作り続けた。レディトロン、ザ・ウィップ、ドラゴネット、エレン・エイリアン、レディー・ガガ、MGMTなどがその例である。
2008年から2009年にかけ、ブリトニー・スピアーズの「ウーマナイザー」、「スリー」、レディー・ガガの「ジャスト・ダンス」、「ポーカー・フェイス」などのエレクトロポップ調の楽曲がBillboard Hot 100において1位を獲得し、ヒップホップの人気低下も相まって、エレクトロポップは米国のポピュラー・ミュージックの主要ジャンルの一つにのし上がった。K-PopにおいてもKARA、少女時代、TWICEらがエレクトロ・ポップを一部採用するケースが見られた。また多国籍のIZ*ONE、日本のNiziUなどもエレクトロ・ポップを使用した。
主なアーティスト
- アヴィーチ
- アウル・シティー
- ウルトラヴォックス
- M
- OMD
- KARA
- クラフトワーク
- ゲイリー・ニューマン
- 少女時代
- ヒューマン・リーグ
- ジョン・フォックス
- デヴィッド・ゲッタ
- デペッシュ・モード
- ニュー・オーダー
- NiziU
- ペット・ショップ・ボーイズ
- ソフト・セル
- TWICE
- ヤズー
- チューブウェイ・アーミー
- リップス
- レディー・ガガ
- レディトロン
- YMO
洋書
- Depeche Mode & The Story of Electro-Pop, Q/Mojo magazine collaboration, 2005.
- Electronic Music: The Instruments, the Music & The Musicians by Andy Mackay, of Roxy Music (Harrow House, 1981)
関連項目
脚注
- ^ http://www.allmusic.com > ... > Punk/New Wave
- ^ Spilling Beyond a Festival's Main Courses Jon Pareles The New York Times2020年12月7日閲覧
- ^ http://www.discogs.com/Kraftwerk-Kraftwerk/master/2745
- ^ “Anglomania: The Second British Invasion”. Rolling Stone. 2020年12月2日閲覧。