コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ラオス人民革命党」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Sealle によってCommonsから削除された Sultan_of_Brunei_with_Khamtay_Siphandone_(cropped).png を除去。理由: per c:Commons:Deletion requests/File:Sultan of Brunei with Khamtay Siphandone (cropped).png.
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 「ソ連崩壊」改名に伴うリンク修正依頼 - log
39行目: 39行目:
内戦末期の[[1972年]][[2月3日]]から[[2月6日]]まで開催された第2回党大会において、党名を現在の'''ラオス人民革命党'''に改称。ラオス人民革命党が主導するネーオ・ラーオ・ハックサートは[[ラオス王国]]を打倒し、[[1975年]][[12月2日]]、[[ラオス人民民主共和国]]を建国。ラオス人民革命党は同国唯一の政党として、ラオスを支配した。建国当初、ラオス人民革命党は急進的にラオスの社会主義化を進めていったが、その結果、経済は破綻してしまった。そのため、[[1986年]][[11月13日]]から[[11月15日]]にかけて開催された第4回党大会において、カイソーン・ポムウィハーン書記長は社会主義の枠内での経済の自由・開放化を認める「チンタナカーン・マイ(新思考)」を提唱し、党の指導思想とした。
内戦末期の[[1972年]][[2月3日]]から[[2月6日]]まで開催された第2回党大会において、党名を現在の'''ラオス人民革命党'''に改称。ラオス人民革命党が主導するネーオ・ラーオ・ハックサートは[[ラオス王国]]を打倒し、[[1975年]][[12月2日]]、[[ラオス人民民主共和国]]を建国。ラオス人民革命党は同国唯一の政党として、ラオスを支配した。建国当初、ラオス人民革命党は急進的にラオスの社会主義化を進めていったが、その結果、経済は破綻してしまった。そのため、[[1986年]][[11月13日]]から[[11月15日]]にかけて開催された第4回党大会において、カイソーン・ポムウィハーン書記長は社会主義の枠内での経済の自由・開放化を認める「チンタナカーン・マイ(新思考)」を提唱し、党の指導思想とした。


[[1989年]]に[[東欧革命|東ヨーロッパで起きた民主化運動]]、そして[[1991年]]の[[ソ連崩壊]]でラオス人民革命党も[[民主化]]の岐路に立たされたが、現在もマルクス・レーニン主義を堅持し、[[一党独裁制]]・[[民主集中制]]を敷いている。
[[1989年]]に[[東欧革命|東ヨーロッパで起きた民主化運動]]、そして[[1991年]]の[[ソビエト邦の崩壊]]でラオス人民革命党も[[民主化]]の岐路に立たされたが、現在もマルクス・レーニン主義を堅持し、[[一党独裁制]]・[[民主集中制]]を敷いている。


1989年 第4期党中央委員会第8総会では以下の「6つの原則」が定められた<ref>[http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Kidou/2016_laos.html ラオス人民革命党第10回大会と『ビジョン2030』 - JETRO]</ref>。
1989年 第4期党中央委員会第8総会では以下の「6つの原則」が定められた<ref>[http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Kidou/2016_laos.html ラオス人民革命党第10回大会と『ビジョン2030』 - JETRO]</ref>。

2020年12月25日 (金) 23:21時点における版

ラオスの旗 ラオス政党
ラオス人民革命党
ພັກປະຊາຊົນປະຕິວັດລາວ
党旗
中央委員会書記長 ブンニャン・ウォーラチット
成立年月日 1955年3月22日
本部所在地 ラオスの旗 ラオスヴィエンチャン
国民議会
144 / 149   (97%)
(2016年3月20日)
党員・党友数
268,431人
(2016年1月[1]
政治的思想・立場 社会主義[2]
マルクス・レーニン主義[2]
市場社会主義
機関紙 パサソン(人民)
国際組織 共産党・労働者党国際会議
公式サイト [1]
テンプレートを表示

ラオス人民革命党(ラオスじんみんかくめいとう、ラーオ語: ພັກປະຊາຊົນປະຕິວັດລາວ)は、ラオス政党。ラオスの憲法第3条では「ラオス人民革命党を主軸とする政治制度」と規定されており[3]、同国唯一の政党として国家を主導する。社会主義マルクス・レーニン主義プロレタリアート独裁を党の綱領として掲げる一方、社会主義の枠内での経済の自由・開放化をも綱領に掲げている。

歴史

インドシナ共産党ラオス地方委員会の党員であったカイソーン・ポムウィハーンらによってラオス人民党が結成され、1955年3月22日に結党大会が開催された。翌1956年1月、大衆組織ネーオ・ラーオ・ハックサート(ラオス愛国戦線)を組織して左派勢力を糾合し、ラオス内戦を戦う。

内戦末期の1972年2月3日から2月6日まで開催された第2回党大会において、党名を現在のラオス人民革命党に改称。ラオス人民革命党が主導するネーオ・ラーオ・ハックサートはラオス王国を打倒し、1975年12月2日ラオス人民民主共和国を建国。ラオス人民革命党は同国唯一の政党として、ラオスを支配した。建国当初、ラオス人民革命党は急進的にラオスの社会主義化を進めていったが、その結果、経済は破綻してしまった。そのため、1986年11月13日から11月15日にかけて開催された第4回党大会において、カイソーン・ポムウィハーン書記長は社会主義の枠内での経済の自由・開放化を認める「チンタナカーン・マイ(新思考)」を提唱し、党の指導思想とした。

1989年東ヨーロッパで起きた民主化運動、そして1991年ソビエト連邦の崩壊でラオス人民革命党も民主化の岐路に立たされたが、現在もマルクス・レーニン主義を堅持し、一党独裁制民主集中制を敷いている。

1989年 第4期党中央委員会第8総会では以下の「6つの原則」が定められた[4]

  1. マルクス・レーニン主義を堅持し、新しい時代における我が国の革命の特徴を把握する
  2. マルクス・レーニン主義は我が党の基本原則であり、我が人民の全ての義務を指示する
  3. 党の指導は我が人民の革命任務の勝利にとって決定的な条件である
  4. 民主集中原則に則った民主主義の向上と拡大、党指導下で人民を根幹とする
  5. 人民民主主義独裁の勢力と権威を拡大する
  6. 愛国主義、国際労働主義、国際社会主義の連携、国力と時勢の連携を行う

その後、マルクス・レーニン主義と並び「カイソーン・ポムウィハーン思想」が提示された。

歴代党首

ラオス人民革命党の党首は中央委員会書記長であるが、1991年3月の第5回党大会から2006年3月の第8回党大会までの間は書記長および書記局が廃止され、新たに設置された党議長が最高機関である中央委員会を指導・監督した。第8回党大会で党議長職が廃止され、書記長および書記局が復活した。

姓名 肖像 役職 任期
1 カイソーン・ポムウィハーン 書記長 1955年3月22日 - 1991年3月29日
議長 1991年3月29日 - 1992年11月21日
2 カムタイ・シーパンドーン 議長 1992年11月24日 - 2006年3月21日
3 チュンマリー・サイニャソーン 書記長 2006年3月21日 - 2016年1月21日
4 ブンニャン・ウォーラチット 書記長 2016年1月22日 - 現職

党幹部

2006年3月の第8回党大会で発足した第8期指導部。

2011年3月の第9回党大会で発足した第9期指導部[5]

2016年1月の第10回党大会で発足した第10期指導部[6][7]

脚注

  1. ^ “ຄຸນລັກສະນະຜູ້ແທນກອງປະຊຸມໃຫຍ່ ຜູ້ແທນທົ່ວປະເທດ ຄັ້ງທີ X ຂອງພັກສະເໜີໂດຍ ສະຫາຍ ຈັນສີ ໂພສີຄຳ ຄະນະເລຂາທິການສູນກາງພັກ ຫົວໜ້າຄະນະຈັດຕັ້ງສູນກາງພັກ”. ຫນັງສືພິມປະຊາຊົນ. (2016年1月19日). http://www.pasaxon.org.la/index/19-01-16/content3.html 2016年1月23日閲覧。 
  2. ^ a b ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 コトバンク. 2018年12月21日閲覧。
  3. ^ ラオス人民民主共和国憲法(日本語訳)(PDF 法務省 ICD NEWS 第13号)
  4. ^ ラオス人民革命党第10回大会と『ビジョン2030』 - JETRO
  5. ^ 山田(2012年)、33ページ・表1、35ページ・表3。
  6. ^ http://kpl.gov.la/detail.aspx?id=9912
  7. ^ http://kpl.gov.la/En/Detail.aspx?id=9909

参考文献

  • 山田紀彦「ラオス人民革命党第7回大会 ― 残された課題 ― 」(石田暁恵編『2001年党大会後のヴィエトナム・ラオス ― 新たな課題への挑戦』アジア経済研究所、2002年3月)
  • 山田紀彦「今後の政治改革路線と新指導部」(山田紀彦編『ラオス人民革命党第9回大会と今後の発展戦略』アジア経済研究所、2012年)
  • カム・ヴォーラペット『現代ラオスの政治と経済』(藤村和広・石川真唯子訳、めこん、2010年)

関連項目