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[[うめだ花月]]を拠点としており、須知は[[法被|ハッピ]]を着て漫才を行う。漫才は最近では珍しい「ぼやき漫才」で漫才中にイライラしている須知のボケに対し、木部が温かいツッコミを入れていく漫才をする。テンポの速い漫才であるため下積み時代はよく[[前説]]を任されていた(当時は'''前説KING'''と言われていた)。漫才を始める前に須知が観客に[[飴]]をばらまくパフォーマンスを行うが、これはその頃から続いているものである、このパフォーマンスは須知が「すっちー」として吉本新喜劇に入団後も流用されている。
[[うめだ花月]]を拠点としており、須知は[[法被|ハッピ]]を着て漫才を行う。漫才は最近では珍しい「ぼやき漫才」で漫才中にイライラしている須知のボケに対し、木部が温かいツッコミを入れていく漫才をする。テンポの速い漫才であるため下積み時代はよく[[前説]]を任されていた(当時は'''前説KING'''と言われていた)。漫才を始める前に須知が観客に[[飴]]をばらまくパフォーマンスを行うが、これはその頃から続いているものである、このパフォーマンスは須知が「すっちー」として吉本新喜劇に入団後も流用されている。


漫才をはじめる時には、須知が飴をカゴに入れて持ってきて客席に飴を撒いてから、両手の人差し指を上下に立て「ビキビキ・ビッキーズ!」と言うパフォーマンスをする(現在、このパフォーマンスを[[笑い飯]]の[[中西哲夫|哲夫]]が行うことがあり、最近では第10回[[M-1グランプリ]]でも披露していた。)。デビューが遅いため、[[千原ジュニア]]、[[陣内智則]]、[[たむらけんじ]]、[[ケンドーコバヤシ]]など、彼らより年下の先輩が多い。
漫才をはじめる時には、須知が飴をカゴに入れて持ってきて客席に飴を撒いてから、両手の人差し指を上下に立て「ビキビキ・ビッキーズ!」と言うパフォーマンスをする(現在、このパフォーマンスを[[笑い飯]]の[[哲夫]]が行うことがあり、最近では第10回[[M-1グランプリ]]でも披露していた。)。デビューが遅いため、[[千原ジュニア]]、[[陣内智則]]、[[たむらけんじ]]、[[ケンドーコバヤシ]]など、彼らより年下の先輩が多い。


結成当初のコンビ名は「LSD」であり、本人達は自動車の装置である[[差動装置|リミテッド・スリップ・デフ]]('''L'''imited '''S'''lip '''D'''ifferential)の意味で命名したが、周りから薬の[[LSD_(薬物)|LSD]]と勘違いされてしまうため、1998年夏頃「ビッキーズ」に改名。由来は、2人でタウンページを見ながらコンビ名候補を探していた際に偶然見つけた店名から取った。
結成当初のコンビ名は「LSD」であり、本人達は自動車の装置である[[差動装置|リミテッド・スリップ・デフ]]('''L'''imited '''S'''lip '''D'''ifferential)の意味で命名したが、周りから薬の[[LSD_(薬物)|LSD]]と勘違いされてしまうため、1998年夏頃「ビッキーズ」に改名。由来は、2人でタウンページを見ながらコンビ名候補を探していた際に偶然見つけた店名から取った。

2021年3月28日 (日) 21:48時点における版

ビッキーズ
メンバー 木部信彦
須知裕雅
結成年 1996年
解散年 2007年
事務所 吉本興業
活動時期 1996年 - 2007年
出身 心斎橋筋2丁目劇場
出会い 小学校時代
旧コンビ名 LSD
現在の活動状況 解散(木部は引退、須知はピン)
芸種 漫才
現在の代表番組 なし
過去の代表番組 大阪ほんわかテレビ
爆笑オンエアバトル など
同期 ライセンスロザンなど
受賞歴
2001年第22回ABCお笑い新人グランプリ 優秀新人賞
同年 第31回NHK上方漫才コンテスト 優秀賞
同年 第30回上方お笑い大賞 新人賞
2002年 第32回NHK上方漫才コンテスト 優秀賞
2003年 第33回NHK上方漫才コンテスト 最優秀賞
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ビッキーズは、木部信彦須知裕雅の2名で構成されていた吉本興業所属の日本お笑いコンビである。2007年10月1日に解散した。

メンバー

  • 木部信彦(きべ のぶひこ、1972年2月24日 - )
    ツッコミ担当。立ち位置は向かって左。
    須知の格好とは対照的に、漫才をする際はスーツを着ていた。
    解散とともに芸能界を引退。先輩芸人であるたむらけんじの店に再就職する。

概要

うめだ花月を拠点としており、須知はハッピを着て漫才を行う。漫才は最近では珍しい「ぼやき漫才」で漫才中にイライラしている須知のボケに対し、木部が温かいツッコミを入れていく漫才をする。テンポの速い漫才であるため下積み時代はよく前説を任されていた(当時は前説KINGと言われていた)。漫才を始める前に須知が観客にをばらまくパフォーマンスを行うが、これはその頃から続いているものである、このパフォーマンスは須知が「すっちー」として吉本新喜劇に入団後も流用されている。

漫才をはじめる時には、須知が飴をカゴに入れて持ってきて客席に飴を撒いてから、両手の人差し指を上下に立て「ビキビキ・ビッキーズ!」と言うパフォーマンスをする(現在、このパフォーマンスを笑い飯哲夫が行うことがあり、最近では第10回M-1グランプリでも披露していた。)。デビューが遅いため、千原ジュニア陣内智則たむらけんじケンドーコバヤシなど、彼らより年下の先輩が多い。

結成当初のコンビ名は「LSD」であり、本人達は自動車の装置であるリミテッド・スリップ・デフLimited Slip Differential)の意味で命名したが、周りから薬のLSDと勘違いされてしまうため、1998年夏頃「ビッキーズ」に改名。由来は、2人でタウンページを見ながらコンビ名候補を探していた際に偶然見つけた店名から取った。

略歴

脱サラして1996年にコンビ結成。2006年でコンビを結成して10年となり、M-1グランプリへの出場権を失った。参加資格のあった6年間、1度も決勝に進むことはなかったが、毎年準決勝までは進出していた。2007年10月1日、吉本興業の所属タレントが子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー所属となったその日に解散した。

2018年7月26日なんばグランド花月で開催されたシャンプーハットの単独イベント『シャンプーハット夏の漫才祭り』に須知がゲスト出演し、さらに木部がサプライズで登場。11年ぶりに一夜限りの復活を果たした[1]

受賞歴

主な出演番組

脚注

  1. ^ 堺フェニックスロータリークラブ(2018年7月26日)