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2021年4月25日 (日) 05:37時点における版
大阪府立農芸高等学校 | |
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(2008年〈平成20年〉2月撮影) | |
過去の名称 |
大阪府南河内郡黒山村外六カ村学校組合黒山実業学校 大阪府黒山実業学校 大阪府立黒山農学校 大阪府立農芸学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪府 |
併合学校 | 大阪府立横山高等学校園芸科 |
設立年月日 | 1917年(大正6年)4月 |
創立記念日 | 4月28日 |
創立者 | 南河内郡黒山村外六カ村学校組合 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
ハイテク農芸科 食品加工科 資源動物科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 27190A |
所在地 | 〒587-0051 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大阪府立農芸高等学校(おおさかふりつ のうげい こうとうがっこう、英: Nougei High School)は、大阪府堺市美原区にある公立の農業高等学校。源流は大正中期1917年に南河内郡の7つ村による組合が設置した実業学校。
概要
府立の農業高等学校で、教育課程は全日制課程で「ハイテク農芸科」「資源動物科」「食品加工科」の農業に関わる3つの専門学科がある[1]。ハイテク農芸科では植物栽培について、資源動物科では畜産や動物飼育について、食品加工科では食品加工技術について、それぞれ専門的に学ぶ。
学校敷地は面積約9万平方メートル[1]で、府内の公立高校で2番目の広さ(大阪府立園芸高等学校が1番目の広さ)の中に農場、果樹園、花園、ハウス、牛舎、鶏舎、豚舎、加工場などがある。また、高等学校で唯一アルパカを飼育している。
農業高校としての特長を生かし、近隣の小学校と連携し、米作り体験や動物飼育体験などの交流もおこなっている。農芸高校のオリジナルブランドとして、飼育しているウシの乳を使用した『農芸牛乳』や『農芸ポーク』、レトルト食品『農芸ポークカレー』などが販売されている[2]。
かつて定時制課程も併設されていたが、2005年(平成17年)度に生徒募集を停止し、2008年3月限りで閉課程となった。
2018年に文部科学省の「スーパー・プロフェッショナル・ハイスクール」の指定校となっている[3]。
沿革
1917年(大正6年)、南河内郡の黒山村・平尾村・丹南村・丹比村・野田村・大草村・日置荘村の7か村(現在の堺市東区・美原区の大半、および羽曳野市の一部に相当)による学校組合が、黒山村に実業学校を設置したことに始まる(文部省告示第96号大正6年4月27日付で、設置と4月開校を認可[4])。
開校当初、黒山村大字阿弥の黒山高等小学校に併置されていた(校舎を共有。現在の堺市美原区・堺市立黒山小学校付近)。1929年(昭和4年)、学校組合から大阪府に移管。1941年に校地も移転した(現在地)。
太平洋戦争後の1948年の学制改革により、新制の高校の大阪府立農芸高等学校に改編され、全日制課程(農業系学科)と定時制課程(農業系学科と普通科を併置)を設置した。
定時制課程は1990年代に閉課程の計画もあったが、その後2000年代に入って再び閉課程計画が持ち上がり、2005年(平成17年)に新入生の募集を停止。最終学年が卒業した2008年3月末日に廃止(閉課程)となった。
また大阪府立横山高等学校の廃校(2008年)に伴い、同校の園芸科の機能を統合(引き継ぎ)している。
“妹”は登美丘高校
1924年(大正13年)7月21日、黒山実業学校の女子部を母体として、校舎併設のまま学校組合立で甲種職業学校の黒山高等実践女学校が設置された[5]。その後、黒山実女は大阪府への移管され名称変更、高等女学校への昇格を経て、戦後に新制の大阪府立黒山高等学校となった。
1948年(昭和23年)には、アメリカなど占領軍GHQなどの義務教育の校舎確保を優先する方針により、黒山高校は校舎を新制の中学校「学校組合立黒山中学校[6]」に明け渡すことになり、農芸高校の校舎の一部を間借り同居した。
大阪府は、黒山高校と農芸高校を統合し(いわゆる高校三原則に基づく)総合制高等学校にする案を検討。黒山高校側は了承したが、農芸高校側は独立校としての存続を強く希望したため統合されなかった。このため、黒山高校は既設の私立高校の買収・公立移管によって私学と統合する形での移転も検討、初芝高等学校と交渉に入ったとされるが、買収案は実現しなかった。最終的に南河内郡登美丘町大字西野での独立校舎の新設を決め1952年4月に移転。大阪府立登美丘高等学校へと改称した。
年表
- 1917年(大正6年) - 4月、「大阪府南河内郡黒山村外六カ村学校組合黒山実業学校」設立[4]
- 1920年 - 3月31日、「大阪府黒山実業学校」と改称(文部省告示第309号大正9年5月10日付で、改称を認可[7])
- 1929年(昭和4年) - 4月、大阪府に移管され「大阪府立黒山農学校」と改称(文部省告示 第182号昭和4年4月6日付で、設立者変更及び改称を認可[8])。
- 1940年 - 4月、「大阪府立農芸学校」と改称(文部省告示 第126号 昭和15年2月14日付で、改称を認可[9])
- 1941年 - 校地を移転(現在地)
- 1948年 - 4月1日、学制改革により、新制の高校の「大阪府立農芸高等学校」に改編。農芸科、畜産科、農業土木科、農村工業科の4科を置く[10]。学校敷地内に大阪府立黒山高等学校が同居
- 1949年 - 4月1日、定時制課程を設置。本校に農芸科と普通科、狭山町の狭山分校に家庭科を置く[10]
- 1952年 - 4月、黒山高校が、南河内郡登美丘町に独立校舎を構え移転(移転と同時に「大阪府立登美丘高等学校」に改称)
- 1953年 - 4月、全日制課程を農業科・農村工業科の2学科に改編。学校敷地内に、浪速大学農業短期大学部(のち大阪府立大学農業短期大学部)を併設
- 1957年 - 4月、農村工業科を食品加工科に改編
- 1958年 - 4月、全日制課程に畜産科を設置
- 1959年 - 4月1日、狭山分校(家庭科)を廃止[10]
- 1964年 - 3月31日、校内に併設していた大阪府立大学農業短期大学部が閉学
- 1977年 - 定時制課程、園芸科と普通科を「くくり募集」とする
- 1987年 - 4月、畜産科を資源動物科に改編
- 1998年(平成10年) - 定時制課程、高校既卒者向けに園芸科目を開講する特別編入枠および聴講生制度を設置
- 1989年 - 4月、農芸科をハイテク農芸科に変更
- 2005年 - 定時制課程を募集停止
- 2006年 - 大阪府立横山高等学校(農業系学科)との機能統合
- 2008年 - 3月31日、定時制課程を廃止(閉課程)
基礎データ
交通アクセス
- 鉄道
- バス
象徴
- 校章
校章は、サクラの花びらと、イネの籾をデザイン。サクラは国花として国、イネは農産物の代表として農業を表している。このデザインは昭和15年、農芸学校として改称されたときに制定され、昭和23年の農芸高等学校に改称されるに伴い、中心が「農」から「高」に変更された[11]。
- 制服
制服は、汚れを防ぐ撥水撥油の加工。家庭で洗濯できる[12]。
諸活動
部活動
クラブ活動では、軽音楽が2020年(令和2年)軽音楽系クラブの全国大会スニーカーエイジで決勝大会に進み、初のグランプリを受賞した[13]。
学校行事
- 農芸祭(文化祭) - 毎年11月の第2日曜に開催。生徒が制作した農産物を販売したり、動物と触れ合いの場を提供している。
学校施設
校舎は、1960年代から1970年代にかけ半世紀前の建設で、旧耐震基準の既存不適格のままであり震度6強の揺れで倒壊の恐れがある。このため2009年(平成21年)度から改修を行った[14]。
高校関係者と組織
関連団体
- みのり会 - 大阪府立農芸高等学校同窓会。
高校関係者一覧
- 政治・行政
- 中野孝則 - 元松原市長(在任2001年-2009年)
- 芸能
- 宇野祥平 - 俳優
- 浜本広晃 - 漫才師(お笑いコンビ「テンダラー」)
- THE イナズマ戦隊 - バンド
- スポーツ
- そのほか関係者
関連項目
脚注
- ^ a b “学校長あいさつ - 大阪府立農芸高等学校”. 2020年12月31日閲覧。
- ^ “商品紹介 product - 大阪府立農芸高等学校”. 2020年12月31日閲覧。
- ^ “SPH事業について”. 2020年12月31日閲覧。
- ^ a b 官報大正6年(1917年)1917年4月27日 第1419号
- ^ 1930年代の公立職業学校における女子教育 大阪府立佐野高等実践女学校を中心に - 京都大学徳山倫子2016年(平成28年)
- ^ 組合立黒山中学は統合され現在堺市立美原中学校となっている。
- ^ 官報大正9年(1920年)5月10日 第2329号
- ^ 官報昭和4年(1929年)4月6日 第678号
- ^ 官報昭和15年(1940年)2月28日 第3942号
- ^ a b c “学校の歩み ayumi - 大阪府立農芸高等学校”. 2020年12月31日閲覧。
- ^ 大阪府立農芸高等学校. “校歌と校章”. 2018年9月4日閲覧。
- ^ “創立100周年 農芸高校の魅力全快”. 大阪府立農芸高等学校. 2020年12月31日閲覧。
- ^ “【動画】スニーカーエイジ、大阪府立農芸高校が初グランプリ”. 産経新聞. (2020年12月29日) 2020年12月31日閲覧。
- ^ “棟別耐震性能一覧表【府立学校】”. 大阪府庁. 2020年12月31日閲覧。