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「松濤幼稚園」の版間の差分

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従来、日本で最も学費が高額だった幼稚園としても知られていたが、閉園前の2008年度(平成20年度)における初年度納付金額だけをみても135.0万円で、東京都内の幼稚園としては[[青山学院幼稚園]](145.5万円<ref name="tokyogov"/>)に次いで2番目に高額であった<ref name="tokyogov">[http://www.metro.tokyo.jp/INET/CHOUSA/2006/12/60gcl200.htm 平成19年度 都内私立幼稚園入園児(4歳児)納付金調査] 東京都生活文化局私学部私学行政課、平成23年7月10日閲覧</ref><ref>[http://www.tonashiba.com/ranking/money/schoolexpense/03020015 初年度納付金の高い私立幼稚園(都内)] 2008年8月31日 『となりの芝生』編集部調べ WebCrew Inc.、平成23年7月10日閲覧</ref>。
従来、日本で最も学費が高額だった幼稚園としても知られていたが、閉園前の2008年度(平成20年度)における初年度納付金額だけをみても135.0万円で、東京都内の幼稚園としては[[青山学院幼稚園]](145.5万円<ref name="tokyogov"/>)に次いで2番目に高額であった<ref name="tokyogov">[http://www.metro.tokyo.jp/INET/CHOUSA/2006/12/60gcl200.htm 平成19年度 都内私立幼稚園入園児(4歳児)納付金調査] 東京都生活文化局私学部私学行政課、平成23年7月10日閲覧</ref><ref>[http://www.tonashiba.com/ranking/money/schoolexpense/03020015 初年度納付金の高い私立幼稚園(都内)] 2008年8月31日 『となりの芝生』編集部調べ WebCrew Inc.、平成23年7月10日閲覧</ref>。


毎日送迎時間には、運転手付きの高級車がずらりと園の前に並び、ドアマンが開け挨拶する「[[花より男子]]」の学園のモデルになったとも{{要出典|date=2020年7月}}。また、卒園生でもある後の[[寛仁親王妃信子|寛仁親王妃]]が[[仁親王|三笠宮家寛仁親王]]と結婚する以前、母・[[麻生和子]]同様、姉の旦子らと共に[[英語]]教師として勤務していたことでも知られた<ref>「ヒゲの殿下として国民に親しまれている三笠宮寛仁親王と結婚された麻生家の令嬢・信子妃は、娘時代この松濤幼稚園の英語教師として園児達に慕われておられた。」 『ある華族の昭和史: 上流社会の明暗を見た女の記録』酒井美意子 主婦と生活社 1982年</ref>。
毎日送迎時間には、運転手付きの高級車がずらりと園の前に並び、ドアマンが開け挨拶する「[[花より男子]]」の学園のモデルになったとも{{要出典|date=2020年7月}}。また、卒園生でもある後の[[寛仁親王妃信子|寛仁親王妃]]が[[仁親王|三笠宮家寛仁親王]]と結婚する以前、母・[[麻生和子]]同様、姉の旦子らと共に[[英語]]教師として勤務していたことでも知られた<ref>「ヒゲの殿下として国民に親しまれている三笠宮寛仁親王と結婚された麻生家の令嬢・信子妃は、娘時代この松濤幼稚園の英語教師として園児達に慕われておられた。」 『ある華族の昭和史: 上流社会の明暗を見た女の記録』酒井美意子 主婦と生活社 1982年</ref>。


2008年度より新入園の募集を中止、その2年後に閉園となった。その後、敷地は売却され、建物は取り壊され現存していない。
2008年度より新入園の募集を中止、その2年後に閉園となった。その後、敷地は売却され、建物は取り壊され現存していない。

2021年4月27日 (火) 14:38時点における版

松濤幼稚園(しょうとうようちえん)は、かつて東京・渋谷区松濤に存在した幼稚園[1]2010年平成22年)3月をもって閉園した。

概要

松濤幼稚園(閉園後)
(2011年7月撮影)

開園は1947年昭和22年)で、開設者は後の学習院大学名誉教授で旧伯爵の林友春の妻、林貞子[2]であった[3][4]。東京でも屈指の高級住宅街である松濤に所在するとともに、有名小学校への進学実績、高額な学費、政官財界・著名人の子弟が多く通うことで知られ、東京のいわゆる「お受験」界において、この松濤幼稚園を筆頭に、若葉会幼稚園(港区西麻布)、枝光会付属幼稚園(港区三田)が『御三家(進学)幼稚園』と呼ばれていた。

従来、日本で最も学費が高額だった幼稚園としても知られていたが、閉園前の2008年度(平成20年度)における初年度納付金額だけをみても135.0万円で、東京都内の幼稚園としては青山学院幼稚園(145.5万円[5])に次いで2番目に高額であった[5][6]

毎日送迎時間には、運転手付きの高級車がずらりと園の前に並び、ドアマンが開け挨拶する「花より男子」の学園のモデルになったとも[要出典]。また、卒園生でもある後の寛仁親王妃三笠宮家寛仁親王と結婚する以前、母・麻生和子同様、姉の旦子らと共に英語教師として勤務していたことでも知られた[7]

2008年度より新入園の募集を中止、その2年後に閉園となった。その後、敷地は売却され、建物は取り壊され現存していない。

著名な出身者

松濤幼稚園の主な卒園生や出身者には、寛仁親王妃信子高円宮憲仁親王と3人の子(承子女王千家典子守谷絢子)、千容子などの皇族や旧華族関係者らのほか、寛仁親王と寛仁親王妃の2人の子(彬子女王瑶子女王)も一時通った。そのほか、政財界では麻生泰岸信夫[8]武見敬三、新進では中曽根康弘の孫にあたる中曽根康隆らの他、旧中島飛行機が前身になる富士重工(現SUBARU)の中島洋次郎ソニー盛田英夫盛田昌夫、戦後岸信介と関わり[8]があったロッテ重光宏之重光昭夫、日興証券(現SMBC日興証券)創業者の孫の遠山正道などがいる。

他諸分野には、吉川洋(経済学者)、近衛忠大(映像作家、一時在籍)、寺島しのぶ(女優)、小宮山雄飛(ミュージシャン・タレント)[8]竹田恒泰(タレント・評論家)、青井実(NHKアナウンサー)、森勉(デザイナー)・森泉(タレント)・森星(モデル)ら森英恵の孫、山下徹大(俳優)・梓真悠子(タレント)・池端えみ(女優)ら加山雄三の子弟や孫など芸能メディア関係者等も多い。

その他

創立者林貞子の夫友春や、妹杉山淑子らと同様、三女楢原茂子も松濤幼稚園の運営に携わり園長を務めた。

林貞子の長女富美子は三井家の三井之乘に嫁いだ[4]。富美子は1980年昭和55年)頃から若葉会幼稚園の運営にかかわるようになり、1984年昭和59年)4月から2009年平成21年)3月まで同園園長を務めた[4][9]。同林貞子の次女絢子は小林中の長男小林喬(元フコク生命社長)の妻で、その長女に代議士堀内詔子富士急行社長堀内光一郎の妻)がいる(牧野伸顕#家族 親族も参照)。

跡地は現在、楽天社長の三木谷浩史の邸宅となっている。近隣に居住し、母 麻生和子から妹 寬仁親王妃信子らが関わってきたように、同幼稚園とゆかりが深い麻生太郎は、一代で財を成したいわば「成金」の三木谷浩史が跡地に越してきたことに複雑な心境や面持ちにあったと媒体で伝えられた[10]

関連項目

脚注

  1. ^ 閉園前の住所は、東京都渋谷区松濤1-10-14
  2. ^ 林友春は満鉄総裁も務めた伯爵林博太郎と、貴族院議員田島竹之助の長女富貴子との間の長男。林貞子は伯爵牧野伸顕の長男伸通と、上皇后美智子の皇太子妃時代の東宮女官長を勤めた男爵鍋島直明の長女純子との間の長女。
  3. ^ 「元伯爵夫人林貞子さんは、名門幼稚園のナンバーワンといわれる松濤幼稚園の園長として、夫君の林友春氏は学習院大の教授としてともに人気が高い。」『ある華族の昭和史: 上流社会の明暗を見た女の記録』酒井美意子 主婦と生活社 1982年
  4. ^ a b c トップインタビュー vol.12 若葉会幼稚園園長 三井富美子さん 『都政新聞』 2008年12月20日号、平成23年7月10日閲覧
  5. ^ a b 平成19年度 都内私立幼稚園入園児(4歳児)納付金調査 東京都生活文化局私学部私学行政課、平成23年7月10日閲覧
  6. ^ 初年度納付金の高い私立幼稚園(都内) 2008年8月31日 『となりの芝生』編集部調べ WebCrew Inc.、平成23年7月10日閲覧
  7. ^ 「ヒゲの殿下として国民に親しまれている三笠宮寛仁親王と結婚された麻生家の令嬢・信子妃は、娘時代この松濤幼稚園の英語教師として園児達に慕われておられた。」 『ある華族の昭和史: 上流社会の明暗を見た女の記録』酒井美意子 主婦と生活社 1982年
  8. ^ a b c 安倍晋三と岸信夫の祖父であり、第二次大戦後日韓関係に深く関わっていた岸信介(南平台町#歴史・人物も参照)の内閣総理大臣秘書官を務めた中村長芳も参照。中村は岸の指示で、大映オーナー永田雅一からロッテに経営が移譲された際、プロ野球ロッテオリオンズの球団オーナーを務めていた。
    さらに、後に中村が経営が逼迫していた西鉄ライオンズを運営する西鉄野球株式会社を買い取り福岡野球株式会社を設立し個人球団オーナーに就任した際、小宮山雄飛の祖父で平和相互銀行創業者小宮山英蔵が設立した太平洋クラブとスポンサー契約し、太平洋クラブライオンズとしてプロ野球パシフィック・リーグに参加していた。
  9. ^ 若葉会幼稚園の沿革 若葉会幼稚園のウェブサイト、平成23年7月10日閲覧
  10. ^ 麻生太郎財務相がご近所に建つ「三木谷御殿」に苦虫顔の理由 NEWSポストセブン 2014年1月29日