コンテンツにスキップ

「坂上樹大」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話) による ID:83324193 の版を取り消し
タグ: 取り消し
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 寛仁親王→寬仁親王の修正依頼2 (第20回寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント) - log
10行目: 10行目:
[[2002年]]、[[全日本自転車競技選手権大会#男子4km団体追抜競走|全日本選手権・団体追抜]]を、兄の忠克及び、[[北野武史|武史]]、[[北野大暁|大暁]]の北野兄弟との4人で挑み優勝。
[[2002年]]、[[全日本自転車競技選手権大会#男子4km団体追抜競走|全日本選手権・団体追抜]]を、兄の忠克及び、[[北野武史|武史]]、[[北野大暁|大暁]]の北野兄弟との4人で挑み優勝。


2011年7月5日現在、[[特別競輪]]ではGI 2回、GII 3回の決勝進出歴があり、[[2011年]]の[[第20回仁親王牌・世界選手権記念トーナメント|仁親王牌]]([[弥彦競輪場]])では3位、[[2009年]]の[[共同通信社杯春一番]]([[佐世保競輪場]])では2位に入った。また2009年、2010年度のS級S班選手の18番目の椅子の座を[[浅井康太]]と最後の最後まで争ったが、惜しくも賞金ランキング第19位で次点となった<ref>[http://keirin.jp/pc/dfw/dataplaza/guest/ranking1?NEN=2009 2009年賞金獲得ランキング] - KEIRIN.JP</ref>。
2011年7月5日現在、[[特別競輪]]ではGI 2回、GII 3回の決勝進出歴があり、[[2011年]]の[[第20回仁親王牌・世界選手権記念トーナメント|仁親王牌]]([[弥彦競輪場]])では3位、[[2009年]]の[[共同通信社杯春一番]]([[佐世保競輪場]])では2位に入った。また2009年、2010年度のS級S班選手の18番目の椅子の座を[[浅井康太]]と最後の最後まで争ったが、惜しくも賞金ランキング第19位で次点となった<ref>[http://keirin.jp/pc/dfw/dataplaza/guest/ranking1?NEN=2009 2009年賞金獲得ランキング] - KEIRIN.JP</ref>。


== エピソード ==
== エピソード ==

2021年5月4日 (火) 22:46時点における版

坂上 樹大(さかがみ たつひろ、1978年1月25日 - )は、石川県内灘町出身の競輪選手日本競輪選手会富山支部に所属し、選手登録地は石川県。日本競輪学校(以下、競輪学校)第80期生。

実兄に、競輪学校第71期生の坂上忠克がいる。師匠は石田真二(競輪学校42期生)。

来歴

石川県立内灘高等学校出身。

1997年8月15日富山競輪場でデビューし、初勝利も同日。

2002年全日本選手権・団体追抜を、兄の忠克及び、武史大暁の北野兄弟との4人で挑み優勝。

2011年7月5日現在、特別競輪ではGI 2回、GII 3回の決勝進出歴があり、2011年寬仁親王牌弥彦競輪場)では3位、2009年共同通信社杯春一番佐世保競輪場)では2位に入った。また2009年、2010年度のS級S班選手の18番目の椅子の座を浅井康太と最後の最後まで争ったが、惜しくも賞金ランキング第19位で次点となった[1]

エピソード

  • イケメン競輪選手としても知られ、2009年に実施されたananJKAのコラボレーション企画、『09'KEIRINイケメングランプリ』では準グランプリを受賞した。

参考文献

外部リンク

脚注

関連項目