コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

内灘町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
うちなだまち ウィキデータを編集
内灘町
内灘町旗 内灘町章
内灘町旗 内灘町章
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 石川県
河北郡
市町村コード 17365-7
法人番号 3000020173657 ウィキデータを編集
面積 20.33km2
総人口 25,835[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 1,271人/km2
隣接自治体 金沢市かほく市河北郡津幡町
町の木 クロマツ
町の花 ハマナス
町の鳥 チュウヒ
内灘町役場
町長 川口克則
所在地 920-0292
石川県河北郡内灘町大学1丁目2番地1
北緯36度39分13秒 東経136度38分42秒 / 北緯36.6536度 東経136.645度 / 36.6536; 136.645座標: 北緯36度39分13秒 東経136度38分42秒 / 北緯36.6536度 東経136.645度 / 36.6536; 136.645
内灘町役場
外部リンク 公式ウェブサイト

内灘町位置図

― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

内灘町(うちなだまち)は、石川県の中西部に位置する

地理

[編集]

河北郡に所属しており、北西側は日本海に面する。南隣にある県庁所在地金沢市。東の津幡町、北のかほく市とともに金沢都市圏に含まれる。町域のほとんどが内灘砂丘である。河北潟大野川などがある。日本海側には防風林としてニセアカシアが植えられている。

東西の距離2.9km、南北の距離9.0kmの広袤(こうぼう)を持つ。最高海抜高度58.51m。

隣接している自治体

[編集]

地域区分

[編集]

内灘町は河北潟放水路を境に、南部地域と北部地域に区分される [1]

  • 南部地域:向粟崎、アカシア、旭ケ丘、緑台、千鳥台、向陽台、鶴ケ丘、大根布、大清台、大学、ハマナス
  • 北部地域:宮坂、西荒屋、室、湖西、白帆台

歴史

[編集]

内灘砂丘は加賀地方(石川県南部)における最初の石器発見地として知られており、また、大根布や宮坂、西荒屋の各砂丘からは縄文時代中期から古墳時代石斧をはじめ、石包丁石匙、玉製品が多く出土していることから、内灘町域には古くから人々が住んでいたとされる[2]

しかし、古代から中世へかけての内灘町の歴史は、未だに解明されていない事象が多く、内灘町が歴史資料に初めて登場したのは、平安時代927年延長5年)に発刊された『延喜式神名帳』に小濱神社が名を連ねてからであり、この地に式内社があったということから、集落が古い時代から形成されていたとされる[2]

江戸時代になると、加賀藩の支配下となり、今の内灘町にあたる集落群が金津組や十村組として組織された[2]

明治維新後から第二次世界大戦前、内灘町は遠洋漁業が盛んとなり、また、粟崎遊園が建設されるなど近代化が進んだ[2]

戦後、1952年昭和27年)から砂丘地の大部分が在日米軍に接収され米軍砲弾試射場が建設された。ここで、反基地運動の先駆けとなる内灘闘争が起こった[2]1957年(昭和32年)に米軍は撤収した。この間に試射場の補償事業として公共施設や道路が建設された[2]

その後、沿岸漁業が不振になり、1957年(昭和32年)の国営砂丘地干拓事業の竣工、1958年(昭和33年)から1963年(昭和38年)の河北潟埋立事業による増田などの農業振興政策が進展した他、家内工業的繊維産業が発展した[2]

1962年(昭和37年)1月に町制を施行し、金沢市近郊という地理的条件から住宅団地造成が相次ぎ、金沢市のベッドタウンとして人口が急増し、教育、文化施設や都市発展基盤の整備が進められた[2]1970年(昭和45年)には火力発電所建設計画が持ち上がり、住民らによる激しい反対運動が展開された[2]

2024年1月1日、能登半島地震が発生。内灘町では震度5弱を観測した。1月8日現在、人的被害は報告されていないが、液状化現象などにより家屋や道路などに甚大な被害を及ぼしている[3][4]

沿革

[編集]
  • 1889年明治22年)4月1日:町村制の施行により、向粟崎村、大根布村、宮坂村、黒津船地内、西荒屋村及び室村の区域をもって、内灘村が発足する[2]
  • 1962年(昭和37年)1月1日:町制施行して、内灘町となる[2]。『内灘町歌』を制定。
  • 2024年(令和6年)1月1日:能登半島地震により家屋などに甚大な被害が及ぶ。

人口

[編集]
内灘町と全国の年齢別人口分布(2005年) 内灘町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 内灘町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
内灘町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 10,890人
1975年(昭和50年) 16,870人
1980年(昭和55年) 20,814人
1985年(昭和60年) 23,032人
1990年(平成2年) 24,688人
1995年(平成7年) 26,367人
2000年(平成12年) 26,560人
2005年(平成17年) 26,896人
2010年(平成22年) 26,927人
2015年(平成27年) 26,987人
2020年(令和2年) 26,574人
総務省統計局 国勢調査より


行政

[編集]

町長

[編集]
歴代村長
氏名 就任 退任 備考
1 1 出島啓 1889年(明治22年)6月5日 1892年(明治25年)5月28日
2 2 中島四郎兵衛 1893年(明治26年)6月24日 1897年(明治30年)6月23日
3 1897年(明治30年)6月29日 1901年(明治34年)6月28日
4 1901年(明治34年)8月24日 1903年(明治36年)8月26日
5 1903年(明治36年)10月14日 1907年(明治40年)10月13日
6 1907年(明治40年)12月20日 1911年(明治44年)4月12日
7 3 上前善右衛門 1911年(明治44年)9月19日 1912年(大正元年)11月1日
8 4 駒井伊三郎 1912年(大正元年)11月19日 1916年(大正5年)11月18日
9 5 山崎菊三郎 1916年(大正5年)12月4日 1920年(大正9年)12月3日
10 6 中本嘉右衛門 1920年(大正9年)12月21日 1924年(大正13年)12月20日
1924年(大正13年)12月24日 1925年(大正14年)4月25日 [5]
岡村祐之 1925年(大正14年)4月25日 1925年(大正14年)5月1日 [6]
7 武山豊三 1925年(大正14年)5月1日 1925年(大正14年)9月28日 [5]
11 1925年(大正14年)9月28日 1926年(大正15年)10月15日
12 8 宮崎貫之 1927年(昭和2年)4月8日 1931年(昭和6年)4月7日
13 1931年(昭和6年)4月8日 1933年(昭和8年)5月5日
14 (5) 山崎菊三郎 1933年(昭和8年)5月9日 1937年(昭和12年)5月7日
15 9 出山長太郎 1937年(昭和12年)5月15日 1941年(昭和16年)1月10日
16 1941年(昭和16年)1月14日 1945年(昭和20年)1月13日
17 1945年(昭和20年)1月14日 1946年(昭和21年)11月11日
18 10 中新虎之助 1947年(昭和22年)3月20日 1947年(昭和22年)5月5日
19 11 中山又次郎 1947年(昭和22年)5月6日 1951年(昭和26年)4月3日
20 1951年(昭和26年)4月24日 1953年(昭和28年)10月17日
21 12 中本長松 1953年(昭和28年)11月10日 1954年(昭和29年)9月14日
22 13 中村小重 1954年(昭和29年)10月17日 1958年(昭和33年)10月16日
23 1958年(昭和33年)10月17日 1961年(昭和36年)12月31日
歴代町長
氏名 就任 退任 備考
1 1 中村小重 1962年(昭和37年)1月1日 1962年(昭和37年)10月16日
2 1962年(昭和37年)10月17日 1966年(昭和41年)10月16日
3 2 中本長吉 1966年(昭和41年)10月17日 1970年(昭和45年)10月16日
4 1970年(昭和45年)10月17日 1973年(昭和48年)1月18日
5 (1) 中村小重 1973年(昭和48年)2月11日 1977年(昭和52年)2月10日
6 1977年(昭和52年)2月11日 1981年(昭和56年)2月10日
7 3 出山昭二 1981年(昭和56年)2月11日 1985年(昭和60年)2月10日
8 1985年(昭和60年)2月11日 1989年(平成元年)2月10日
9 4 岩本秀雄 1989年(平成元年)2月11日 1993年(平成5年)2月10日
10 1993年(平成5年)2月11日 1997年(平成9年)2月10日
11 1997年(平成9年)2月11日 2001年(平成13年)2月10日
12 2001年(平成13年)2月11日 2005年(平成17年)2月10日
13 5 八十出泰成 2005年(平成17年)2月11日 2009年(平成21年)2月10日
14 2009年(平成21年)2月11日 2013年(平成25年)2月10日
15 6 川口克則 2013年(平成25年)2月11日 2017年(平成29年)2月10日
16 2017年(平成29年)2月11日 2021年(令和3年)2月10日
17 2021年(令和3年)2月11日 現職
  • 町長 - 川口 克則(かわぐち・かつのり)

[7]

議会

[編集]

内灘町議会

[編集]
  • 定数:13人
  • 任期:2023年5月1日 - 2027年4月30日[8]
  • 議長:七田満男
  • 副議長:夷藤満

石川県議会

[編集]
  • 選挙区:河北郡選挙区(津幡町、内灘町)
  • 定数:2人
  • 任期:2023年4月30日 - 2027年4月29日
  • 投票日:2023年4月9日
  • 当日有権者数:52,264人
  • 投票率:36.05%
候補者名 当落 年齢 党派名 新旧別 得票数
焼田宏明 65 自由民主党 9,057票
太田臣宣 55 自由民主党 8,008票
倉知昭一 87 無所属 1,306票

衆議院

[編集]
当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
近藤和也 50 立憲民主党 77,247票
比当 西田昭二 55 自由民主党 61,308票
南章治 69 日本共産党 3,438票

経済

[編集]

産業

[編集]

産業別人口 (2000年)

[編集]

姉妹都市・提携都市

[編集]
日本の旗 羽幌町北海道
日本の旗 猿払村(同上)
  • 明治25年頃に更なる漁場を求め北海道の地を訪れた内灘漁民が、猿払村にてホタテの貝場を開拓し、八尺網漁法を普及させたことにより、国内随一の漁獲量を誇る今日の猿払村ホタテ漁の礎を築いたことから[9]
中華人民共和国の旗 中華人民共和国江蘇省蘇州市呉江区1993年10月7日提携(当時は呉広市、2012年に市轄区に昇格)
中華民国の旗 台湾新竹県竹北市2018年5月16日友好交流都市協定締結[10]

地域

[編集]

公共機関

[編集]

警察

[編集]

消防

[編集]

郵便局

[編集]
直営郵便局
  • 内灘郵便局
  • 鶴ヶ丘郵便局
  • 内灘向陽台郵便局
簡易郵便局

医療

[編集]
金沢医科大学病院

国の行政機関

[編集]
  • 農林水産省
    • 北陸農政局
      • 西北陸土地改良調査事務所
        • 河北潟分室(内灘町役場庁舎内)
      • 河北潟周辺農地防災事業所(内灘町役場庁舎内)

教育

[編集]

交通

[編集]
内灘駅

鉄道路線

[編集]

道路

[編集]
都道府県道

路線バス

[編集]

北鉄バスグループの北鉄金沢バスJR金沢駅から北陸鉄道浅野川線内灘駅に至る路線や、内灘駅を基点に金沢医科大学病院、白帆台ニュータウン方面へ至る路線を運行している。後者のほぼすべての便が北陸鉄道浅野川線と接続し、内灘駅への列車到着と合わせている。このほか北鉄奥能登バスの特急バスも医大病院と向陽台に停車している。

コミュニティバス

[編集]
「なだバス ナディ」の車両(日本海観光バス

内灘町コミュニティバス「なだバス ナディ」を運行している。「全町ルート」(90分間隔)と「南部ルート」(60分間隔)、「ひがしルート・にしルート」を運行しており、日本海観光バスに運行を委託している。キャラクターがラッピングされた小型の車体を使用し、全路線・全区間1乗車につき100円均一運賃で運行している。なお、浅野川線とは接続していないほか、最終便も比較的早い。

  • 全町ルート:内灘町役場 - 内灘駅 - コンフォモール内灘 - 内灘町役場 - 勤労者体育センター - 室 - 勤労者体育センター - 金沢医科大学病院 - 内灘町役場
  • 南部ルート:内灘町役場 - 内灘駅 - 内灘中学校前 - 保健センター前 - 勤労者体育センター - 内灘町役場
  • ひがしルート
  • にしルート

マスメディア

[編集]
新聞
ケーブルテレビ

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

[編集]
  • 世界の凧の祭典
5月に内灘海岸にて行われ、非常に様々なが揚げられる、世界規模の凧の祭典。地元の学校が製作した大凧の掲揚などでは、単なる掲揚にとどまらず、安定性や上がった高さ、デザインなどの観点から、順位が決められ、表彰されるなど、凧の町内灘を象徴する祭りである。このほかにも内灘町では、凧に関する様々な催しが開かれる。(主催:内灘町世界の凧の祭典実行委員会、石川テレビ放送[11]
  • ビーチベースボール北陸大会 in 内灘
7月または8月に開催。内灘海岸にて行われ、7人制の三角ベースボールを基本としたニュースポーツである。
7月下旬に開催。町総合グラウンドに特設ステージが建てられ、歌や踊りの披露、盆踊りなど、様々な催しが行われ、9時からは花火大会も開催される。小濱神社秋期祭礼の連合会による獅子舞実演や、隠し芸大会なども開催された。

内灘町を舞台とした作品

[編集]

小説

[編集]

漫画

[編集]

映画

[編集]

出身人物

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『内灘町都市計画マスタープラン』(平成27年11月)第4章 地域区分の設定(p.59)
  2. ^ a b c d e f g h i j k 内灘の歴史”. 内灘町 (2021年11月8日). 2022年4月9日閲覧。
  3. ^ 堀潤 (2024年1月7日). “奥能登だけではない「もう故郷に住めなくなる」液状化で深刻な被害 内灘町の住民は「激甚災害」指定を待つ”. Yahoo!ニュース. 2024年1月8日閲覧。
  4. ^ 噴き出す泥水、傾いた家 石川・内灘町で液状化深刻「住み続けられるのか」 能登半島地震 動画”. カナロコ by 神奈川新聞 (2024年1月7日). 2024年1月8日閲覧。
  5. ^ a b 臨時代理者
  6. ^ 職務管掌
  7. ^ 出典『内灘町史』
  8. ^ 任期満了日一覧”. 石川県庁 (2023年5月1日). 2023年8月2日閲覧。
  9. ^ 国内友好都市の紹介 石川県河北郡内灘町の紹介 猿払村役場ホームページ(2024年2月20日閲覧)
  10. ^ 国際友好交流都市 竹北市 内灘町役場ホームページ(2024年2月20日閲覧)
  11. ^ http://ishikawa.uminohi.jp/report/第29回-世界の凧の祭典-2/ 2018年2月17日閲覧
  12. ^ 瀬戸杏華 一般社団法人日本バレーボールリーグ機構 Vリーグ公式ページ(2023年2月21日閲覧)

外部リンク

[編集]