羽咋郡
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人口27,809人、面積358.27km²、人口密度77.6人/km²。(2024年11月1日、推計人口)
以下の2町を含む。
郡域
[編集]1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町のほか、下記の区域にあたる。
- 羽咋市の大部分(大町・四柳町・酒井町・金丸出町・下曽弥町・鹿島路町・西潟町を除く)
- 七尾市の一部(中島町大平・中島町古江・中島町上畠・中島町河内・中島町鳥越・中島町北免田・中島町西谷内・中島町町屋・中島町藤瀬)
- かほく市の一部(箕打・元女・黒川・瀬戸町・八野・野寺・夏栗・二ツ屋・中沼と学園台の一部)
- 河北郡津幡町の一部(牛首・瓜生・上河合・下河合・上大田)
歴史
[編集]元は越前国の一郡であったが、養老2年5月2日(718年6月4日)に能登郡(現・鹿島郡)・鳳至郡・珠洲郡とともに分立して能登国となった。天平13年12月10日(742年1月20日)から天平宝字元年(757年)までは越中国に属した。
当初は羽喰郡とも呼ばれていたが、寛文11年(1671年)5月4日に現在の羽咋郡に改名された[1]。
近世以降の沿革
[編集]- 「旧高旧領取調帳データベース」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り[2]。幕府領は加賀藩預地。旗本領は土方氏領。《 》は同データベースでは左記の村に含まれていると見られる。(1町232村)[3]
明治初年の1町232村
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領 | 13村 | 鵜野屋村、灯村、入釜村、地保村、切留村、尊保村、阿川村、楚和村、豊後名村、福水村、神子原村、敷浪村、松木村 |
幕府領・旗本領 | 1村 | 四町村 | |
藩領 | 加賀藩 | 1町 216村 |
石坂村、荻谷村、散田村、海老坂村、敷波村、下石村、所司原村、新宮村、当ノ熊村、向瀬村、走入村、見砂村、菅原村、吉野屋村、聖川村、荻島村、荻市村、柳瀬村、《柳瀬出村》、子浦村[4]、大笹村、小浦村、直海村、栗山村、吉田村(現・志賀町)、清水今江村、館開村、火打谷村、代田村、矢蔵谷村、谷屋村、百浦村、大津村、赤住村、《松戸村、江野村》、小室村(現・志賀町小室)、徳田村、印内村、米町村、矢田村、梨谷小山村、神代村、堀松村、柳田村、一ノ宮村、一ノ宮寺家村、土橋村、粟原村、立開村、粟生村、新保村、石野町村、二口村、深江村、円井村、兵庫村、滝村、羽咋村、吉崎村、塵浜村、西谷内村、今田村、藤瀬村、田中村、《江添村》、免田村(現・七尾市)、《上畠村》、生神村、大平村、鳥越村、《古江村》、風無村、福浦村、草木村、《日下田村》、荒屋村、中山村、八幡村、《飯室村、八幡座主村》、里本江村、牛下村、田原村、《長田村》、釈迦堂村、谷神村、三明村、《中畠村》、町居村、深谷村、栢木村、《大鳥居村》、和田村、大西村、《広地村》、笹波村、小室村(現・志賀町東小室)、高田村、千浦村、給分村、《相坂村、中泉村》、稲敷村、《草江村》、河内村、貝田村、七海村、《領家七海村》、大福寺村、相神村、町屋村、酒見村、風戸村、赤崎村、中浜村、鹿頭村、《小窪村》、地頭町[5]、領家町村、日用村、杉野屋村、千代町村、垣内田村、《上江村》、千田村、尾長村、志々見村、本江村、飯山村、《薮野村》、千石村、清水原村、菅池村、中川村、柴垣村、《滝谷村》、雨田村[6]、犱谷村、福野村、大島村、長沢村、大念寺村、《大念寺新村》、川尻村、上野村、末吉村、倉垣村、矢駄村、《西山村》、大坂村、穴口村、《米浜村》、館村、福井村、宿村、今浜村、《今浜新村》、二ツ屋村、平床村、夏栗村、吉田村(現・宝達志水町)、小川村、麦生村、大海川尻村、冬野村、北川尻村、米出村、森本村、門前村、河原村、中沼村、竹生野村、免田村(現・宝達志水町)、瀬戸町村、沢川村、牛首村、瓜生村、上河合村、下河合村、箕打村、黒川村、八野村、野寺村、東間村、紺屋町村、正友村、《東野村》、坪山村、御館村、《中野村、三日町村》、山崎村、《宝達村》、上田村、上田出村、元女村、大田村、上棚村、中山村、二所宮村、町村、針山村、原村、千路村、安津見村、《安津見村》、仏木村、安部屋村、三ツ屋村[7]、上白瀬村[8]、堀替新村[9]、菱分村[9]、市野谷村[10]、前浜村[11] |
幕府領・藩領 | 幕府領・加賀藩 | 1村 | 白瀬村 |
旗本領・加賀藩 | 1村 | 太田村 |
- 明治2年6月17日(1869年7月25日) - 版籍奉還により加賀藩(通称)の正式名称が金沢藩となる。
- 明治3年5月22日(1870年6月20日) - 幕府領・旗本領が高山県の管轄となる[12]。
- 明治4年
- 明治5年9月27日(1872年10月29日) - 石川県の管轄となる。
- 明治初年 - 吉田村(現・宝達志水町)が南吉田村に、小室村(現・志賀町東小室)が東小室村にそれぞれ改称。
- 明治8年(1875年)(1町232村)
- 太田村のうち旗本領が分立して東太田村となる。
- 当ノ熊村が新宮村に合併。
- 明治9年から17年の間に中山村が改称して上中山村となる。
- 明治11年(1878年)
- 明治16年(1883年) - 免田村(現・七尾市)が改称して北免田村となる。
- 明治20年(1887年) - 羽咋村が羽咋町に、大念寺新村が高浜町にそれぞれ改称。
町村制以降の沿革
[編集]町村制施行時の2町38村
- 羽咋町(単独町制。現・羽咋市)
- 高浜町 ← 高浜町、大念寺村(現・志賀町)
- 南大海村 ← 箕打村、元女村、黒川村、瀬戸町村、八野村、野寺村、夏栗村、二ツ屋村、中沼村(現・かほく市)
- 北大海村 ← 森本村、免田村、大海川尻村、坪山村、北川尻村、冬野村、正友村、東間村、紺屋町村、東野村(現・宝達志水町)
- 河合谷村 ← 牛首村、瓜生村、上河合村、下河合村、大田村(現・河北郡津幡町)
- 北荘村 ← 沢川村、宝達村、山崎村、河原村、小川村(現・宝達志水町)
- 中荘村 ← 御館村、中野村、三日町村、上田村、上田出村、門前村(現・宝達志水町)
- 末森村 ← 麦生村、今浜村、今浜新村、米出村(現・宝達志水町)
- 柏崎村 ← 南吉田村、竹生野村、宿村、敷波村、敷浪村(現・宝達志水町)
- 粟ノ保村 ← 土橋村、立開村、粟原村、兵庫村、粟生村、新保村(現・羽咋市)
- 樋川村 ← 荻市村、荻谷村、荻島村、柳瀬村、柳瀬出村(現・宝達志水町)
- 志雄村 ← 子浦村、吉野屋村(現・宝達志水町)
- 南志雄村 ← 聖川村、新宮村、針山村、平床村、散田村、原村、海老坂村、下石村(現・宝達志水町)
- 北志雄村 ← 石坂村、向瀬村、所司原村、見砂村、清水原村、走入村(現・宝達志水町)
- 富永村 ← 東太田村、西太田村、三ツ屋村、石野町村、深江村、吉崎村(現・羽咋市)
- 南邑知村 ← 杉野屋村、菅原村、二口村(現・宝達志水町)
- 北邑知村 ← 飯山村、上白瀬村、白瀬村、藪野村、福水村、千石村、菅池村、神子原村(現・羽咋市)
- 中邑知村 ← 中川村、垣内田村、上江村、千田村、円井村、四町村、千代町村(現・羽咋市)
- 若部村 ← 尾長村、堀替新村、菱分村、本江村、志々見村(現・羽咋市)
- 一ノ宮村 ← 一ノ宮村、一ノ宮寺家村、滝村(現・羽咋市)
- 越路野村 ← 柳田村、千路村(現・羽咋市)
- 上甘田村 ← 柴垣村、滝谷村、犱谷村(現・羽咋市)
- 中甘田村 ← 宿女村、福野村、大島村、長沢村、坪野村、岩田村(現・志賀町)
- 下甘田村 ← 上中山村(現・羽咋市)、上棚村、二所宮村、館村、福井村、大坂村、穴口村、米浜村(現・志賀町)
- 志加浦村 ← 川尻村、町村、安部屋村、上野村、大津村、小浦村、百浦村、松戸村、江野村、赤住村(現・志賀町)
- 堀松村 ← 末吉村、堀松村、西山村、北吉田村、清水今江村、梨谷小山村、神代村、矢蔵谷村(現・志賀町)
- 加茂村 ← 矢駄村、安津見新村、倉垣村、安津見村(現・志賀町)
- 東土田村 ← 火打谷村、徳田村、館開村(現・志賀町)
- 西土田村 ← 矢田村、代田村、印内村、栗山村、谷屋村、仏木村、市野谷村(現・志賀町)
- 上熊野村 ← 米町村、小室村、松木村、田原村、直海村、釈迦堂村、長田村、大笹村(現・志賀町)
- 熊野村 ← 中山村、日下田村、町居村、豊後名村、三明村、中畠村、谷神村、草木村、荒屋村、日用村(現・志賀町)
- 富来村 ← 牛下村、生神村、領家七海村、七海村、地頭町村、領家町村、高田村(現・志賀町)
- 稗造村 ← 東小室村、大西村、江添村、広地村、今田村、和田村、貝田村、尊保村、楚和村、阿川村、入釜村、灯村、鵜野屋村、地保村、切留村、田中村(現・志賀町)
- 釶打村 ← 大平村、古江村、上畠村、河内村、鳥越村、北免田村、西谷内村、町屋村、藤瀬村(現・七尾市)
- 東増穂村 ← 大鳥居村、相坂村、草江村、中泉村、給分村、里本江村、八幡村、飯室村、八幡座主村、相神村、中浜村(現・志賀町)
- 西増穂村 ← 大福寺村、酒見村、稲敷村、栢木村(現・志賀町)
- 西海村 ← 風戸村、風無村、千浦村(現・志賀町)
- 西浦村 ← 赤崎村、鹿頭村、笹波村、小窪村、前浜村、深谷村(現・志賀町)
- 塵浜村(単独村制。現・羽咋市)
- 福浦村(単独村制。現・志賀町)
- 明治24年(1891年)7月1日 - 郡制を施行。
- 大正8年(1919年)9月1日 - 富来村が町制施行して富来町となる。(3町37村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和2年(1927年)9月1日 - 塵浜村が改称して千里浜村となる。
- 昭和8年(1933年)
- 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は489.07平方km、人口は67,877人(男32,403人・女35,474人)[13]。
- 昭和11年(1936年)2月1日 - 志雄村が町制施行して志雄町となる。(4町30村)
- 昭和15年(1940年)
- 昭和23年(1948年)4月1日 - 釶打村の所属郡が鹿島郡に変更。(5町27村)
- 昭和29年(1954年)
- 昭和30年(1955年)
- 4月1日 - 下甘田村が志賀町に編入。(7町1村)
- 4月28日 - 高浜町・中甘田村が合併し、改めて高浜町が発足。(7町)
- 10月1日 - 押水町の一部(敷波・敷浪)が志雄町に編入。
- 昭和31年(1956年)9月30日 - 羽咋町・邑知町が鹿島郡余喜村・鹿島路村と合併し、改めて羽咋町が発足。(6町)
- 昭和33年(1958年)7月1日 - 羽咋町が市制施行して羽咋市が発足し、郡より離脱。(5町)
- 昭和45年(1970年)11月1日 - 高浜町・志賀町が合併し、改めて志賀町が発足。(4町)
- 平成17年(2005年)
変遷表
[編集]自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
羽咋町 | 羽咋町 | 昭和29年11月3日 羽咋町 |
昭和31年9月30日 羽咋町 |
昭和33年7月1日 市制 |
羽咋市 | 羽咋市 | ||
富永村 | 富永村 | |||||||
粟ノ保村 | 粟ノ保村 | |||||||
一ノ宮村 | 一ノ宮村 | |||||||
越路野村 | 越路野村 | |||||||
上甘田村 | 上甘田村 | |||||||
塵浜村 | 昭和2年9月1日 改称 千里浜村 | |||||||
北邑知村 | 昭和8年5月15日 邑知村 |
昭和15年2月11日 町制 |
邑知町 | |||||
中邑知村 | ||||||||
若部村 | ||||||||
鹿島郡 余喜村 |
鹿島郡 余喜村 |
鹿島郡 余喜村 | ||||||
鹿島郡 鹿島路村 |
鹿島郡 鹿島路村 |
鹿島郡 鹿島路村 | ||||||
高浜町 | 高浜町 | 高浜町 | 昭和30年4月28日 高浜町 |
昭和45年11月1日 志賀町 |
平成17年9月1日 志賀町 |
志賀町 | ||
中甘田村 | 中甘田村 | 中甘田村 | ||||||
志加浦村 | 志加浦村 | 昭和29年10月1日 志賀町 |
志賀町 | |||||
堀松村 | 堀松村 | |||||||
加茂村 | 加茂村 | |||||||
上熊野村 | 上熊野村 | |||||||
東土田村 | 昭和15年11月3日 土田村 | |||||||
西土田村 | ||||||||
下甘田村 | 下甘田村 | 下甘田村 | 昭和30年4月1日 志賀町に編入 | |||||
富来村 | 大正8年9月1日 町制 |
昭和29年11月3日 富来町 |
富来町 | |||||
熊野村 | 熊野村 | |||||||
稗造村 | 稗造村 | |||||||
東増穂村 | 東増穂村 | |||||||
西増穂村 | 西増穂村 | |||||||
西海村 | 西海村 | |||||||
西浦村 | 西浦村 | |||||||
福浦村 | 福浦村 | |||||||
北志雄村 | 昭和8年5月1日 志雄村 昭和11年2月1日 町制 |
志雄町 | 志雄町 | 平成17年3月1日 宝達志水町 |
宝達志水町 | |||
志雄村 | ||||||||
南志雄村 | ||||||||
樋川村 | ||||||||
南邑知村 | ||||||||
北大海村 | 北大海村 | 昭和29年11月3日 押水町 |
押水町 | |||||
北荘村 | 北荘村 | |||||||
中荘村 | 中荘村 | |||||||
末森村 | 末森村 | |||||||
柏崎村 | 柏崎村 | |||||||
釶打村 | 釶打村 | 昭和23年4月1日 鹿島郡 |
七尾市 | |||||
河合谷村 | 河合谷村 | 昭和29年5月16日 河北郡 津幡町に編入 |
河北郡 津幡町 | |||||
南大海村 | 南大海村 | 昭和29年7月15日 河北郡 高松町 |
かほく市 |
行政
[編集]代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 前職 | 後職 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 平寿盛 | 1878年(明治11年)12月17日[14] | 1880年(明治13年)6月12日[14] | 石川県第八大区長 | 依願免本官 |
2 | 野村彦四郎 | 1880年(明治13年)6月12日[14] | 1881年(明治14年)4月6日[14] | 石川県四等属 | 京都府一等属 |
3 | 宇野順美 | 1881年(明治14年)4月29日[14] | 1881年(明治14年)11月2日[14] | 石川県六等属 | 死去 |
4 | 大橋永孚 | 1881年(明治14年)11月14日[14] | 1887年(明治20年)9月11日[14] | 石川県四等属 | 死去 |
5 | 河瀬貫一郎 | 1887年(明治20年)9月28日[14] | 1890年(明治23年)6月16日[14] | 石川県会議員 | 依願免本官 |
6 | 小川清太 | 1890年(明治23年)7月23日[14] | 1890年(明治23年)12月27日[14] | 河北郡長 | 鹿島郡長 |
7 | 大野木克俊 | 1890年(明治23年)12月27日[14] | 1891年(明治24年)10月16日[14] | 鹿島郡長 | 鹿島郡長 |
8 | 安達正輝 | 1891年(明治24年)10月16日[14] | 1895年(明治28年)2月17日[14] | 石川県属 | 死去 |
9 | 大森孝次郎 | 1895年(明治28年)3月13日[14] | 1897年(明治30年)5月10日[14] | 石川県属 | 非職 |
10 | 松島喜五郎 | 1897年(明治30年)5月10日[14] | 1903年(明治36年)3月31日[14] | 石川県警部 | 江沼郡長 |
11 | 栗山富栄 | 1903年(明治36年)3月31日[14] | 1904年(明治37年)7月26日[14] | 石川県属 | 鳳至郡長 |
12 | 大津辰三郎 | 1904年(明治37年)7月26日[14] | 1906年(明治39年)3月24日[14] | 珠洲郡長 | 死去 |
13 | 土田伊蔵 | 1906年(明治39年)4月13日[14] | 1907年(明治40年)4月12日[14] | 石川県警視 | 江沼郡長 |
14 | 山口信定 | 1907年(明治40年)4月12日[14] | 1914年(大正3年)3月9日[14] | 能美郡書記 | 江沼郡長 |
15 | 吉田直矩 | 1914年(大正3年)3月9日[15] | 1914年(大正3年)8月21日[16] | 江沼郡長 | 依願免本官 |
16 | 松本源祐 | 1914年(大正3年)8月21日[16] | 1919年(大正8年)3月31日[17] | 河北郡書記 | 鳳至郡長 |
17 | 水原信一 | 1919年(大正8年)3月31日[17] | 1921年(大正10年)7月22日[18] | 河北郡書記 | 石川県理事官 |
18 | 山上岩雄 | 1921年(大正10年)9月1日[19] | 1923年(大正12年)12月27日[20] | 石川県警視 | 休職 |
19 | 林登亀雄 | 1923年(大正12年)12月27日[21] | 1924年(大正13年)9月2日[22] | 石川県属 | 依願免本官 |
20 | 京念洋 | 1924年(大正13年)9月2日[22] | 1926年(大正15年)7月1日[23] | 石川県属 | 廃官 |
脚注
[編集]- ^ 『ふるさと石川歴史館』(2002年6月10日、北國新聞社発行)531頁。
- ^ 「旧高旧領取調帳」は能登国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書13 旧高旧領取調帳 中部編」(近藤出版社、1977年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。
- ^ 下記のほか、加賀藩領として《兵庫村/立開村/土橋村/粟生村/粟原村/新保村/二口村/柳瀬村/羽咋村》請新田、《稲敷村/相神村/八幡村/中浜村/給分村》請新田、《紺屋町村/冬野村/東間村/御館村/正友村/北川尻村/坪山村》請新田、《森本村/中沼村/免田村/八野村/二屋村/野寺村》請新田、《東間村/坪山村/紺屋町村/冬野村/正友村/北川尼村》請新田が記載されている。
- ^ 記載は志雄町。
- ^ 記載は富木村。
- ^ 犱谷村・宿女村・坪野村・岩田村の総称だが、犱谷村は別掲。本項では3村として数える。
- ^ 太田村のうちに含まれると見られる。
- ^ 白瀬村のうちに含まれると見られる。
- ^ a b 尾長村・志々見村・本江村のうちに含まれると見られる。
- ^ 仏木村・米町村・小室村のうちに含まれると見られる。
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」に記載なし。石高がどの村に合算されているかは不明。
- ^ 石川県史 第四編,p.3. 近代デジタルライブラリー
- ^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧可能。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 石川県史 第四編 173-174頁
- ^ 『官報』第482号「叙任及辞令」1914年3月10日。
- ^ a b 『官報』第619号「叙任及辞令」1914年8月22日。
- ^ a b 『官報』第1996号「叙任及辞令」1919年4月1日。
- ^ 『官報』第2692号「叙任及辞令」1921年7月23日。
- ^ 『官報』第2727号「叙任及辞令」1921年9月2日。
- ^ 『官報』第3411号「叙任及辞令」1924年1月9日。
- ^ 『官報』第3407号「叙任及辞令」1923年12月29日。
- ^ a b 『官報』第3610号「叙任及辞令」1924年9月3日。
- ^ 『官報』第4171号「彙報」1926年7月19日。
参考文献
[編集]- 石川県『石川県史 第四編』石川県、1931年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 17 石川県、角川書店、1981年7月1日。ISBN 4040011708。
- 旧高旧領取調帳データベース
外部リンク
[編集]- 羽咋郡市広域圏事務組合 - 羽咋郡と羽咋市で設置する一部事務組合。