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羽咋郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石川県羽咋郡の範囲(1.志賀町 2.宝達志水町 水色:後に他郡から編入した区域 薄黄:後に他郡に編入された区域)

羽咋郡(はくいぐん)は、石川県能登国)の

人口27,809人、面積358.27km²、人口密度77.6人/km²。(2024年11月1日、推計人口

以下の2町を含む。

郡域

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1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町のほか、下記の区域にあたる。

  • 羽咋市の大部分(大町・四柳町・酒井町・金丸出町・下曽弥町・鹿島路町・西潟町を除く)
  • 七尾市の一部(中島町大平・中島町古江・中島町上畠・中島町河内・中島町鳥越・中島町北免田・中島町西谷内・中島町町屋・中島町藤瀬)
  • かほく市の一部(箕打・元女・黒川・瀬戸町・八野・野寺・夏栗・二ツ屋・中沼と学園台の一部)
  • 河北郡津幡町の一部(牛首・瓜生・上河合・下河合・上大田)

歴史

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元は越前国の一郡であったが、養老2年5月2日718年6月4日)に能登郡(現・鹿島郡)・鳳至郡珠洲郡とともに分立して能登国となった。天平13年12月10日742年1月20日)から天平宝字元年(757年)までは越中国に属した。

当初は羽喰郡とも呼ばれていたが、寛文11年(1671年5月4日に現在の羽咋郡に改名された[1]

近世以降の沿革

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明治初年の1町232村
知行 村数 村名
幕府領 幕府領 13村 鵜野屋村、灯村、入釜村、地保村、切留村、尊保村、阿川村、楚和村、豊後名村、福水村、神子原村、敷浪村、松木村
幕府領・旗本領 1村 四町村
藩領 加賀藩 1町
216村
石坂村、荻谷村、散田村、海老坂村、敷波村、下石村、所司原村、新宮村、当ノ熊村、向瀬村、走入村、見砂村、菅原村、吉野屋村、聖川村、荻島村、荻市村、柳瀬村、《柳瀬出村》、子浦村[4]、大笹村、小浦村、直海村、栗山村、吉田村(現・志賀町)、清水今江村、館開村、火打谷村、代田村、矢蔵谷村、谷屋村、百浦村、大津村、赤住村、《松戸村、江野村》、小室村(現・志賀町小室)、徳田村、印内村、米町村、矢田村、梨谷小山村、神代村、堀松村、柳田村、一ノ宮村、一ノ宮寺家村、土橋村、粟原村、立開村、粟生村、新保村、石野町村、二口村、深江村、円井村、兵庫村、滝村、羽咋村、吉崎村、塵浜村、西谷内村、今田村、藤瀬村、田中村、《江添村》、免田村(現・七尾市)、《上畠村》、生神村、大平村、鳥越村、《古江村》、風無村、福浦村、草木村、《日下田村》、荒屋村、中山村、八幡村、《飯室村、八幡座主村》、里本江村、牛下村、田原村、《長田村》、釈迦堂村、谷神村、三明村、《中畠村》、町居村、深谷村、栢木村、《大鳥居村》、和田村、大西村、《広地村》、笹波村、小室村(現・志賀町東小室)、高田村、千浦村、給分村、《相坂村、中泉村》、稲敷村、《草江村》、河内村、貝田村、七海村、《領家七海村》、大福寺村、相神村、町屋村、酒見村、風戸村、赤崎村、中浜村、鹿頭村、《小窪村》、地頭町[5]、領家町村、日用村、杉野屋村、千代町村、垣内田村、《上江村》、千田村、尾長村、志々見村、本江村、飯山村、《薮野村》、千石村、清水原村、菅池村、中川村、柴垣村、《滝谷村》、雨田村[6]、犱谷村、福野村、大島村、長沢村、大念寺村、《大念寺新村》、川尻村、上野村、末吉村、倉垣村、矢駄村、《西山村》、大坂村、穴口村、《米浜村》、館村、福井村、宿村、今浜村、《今浜新村》、二ツ屋村、平床村、夏栗村、吉田村(現・宝達志水町)、小川村、麦生村、大海川尻村、冬野村、北川尻村、米出村、森本村、門前村、河原村、中沼村、竹生野村、免田村(現・宝達志水町)、瀬戸町村、沢川村、牛首村、瓜生村、上河合村、下河合村、箕打村、黒川村、八野村、野寺村、東間村、紺屋町村、正友村、《東野村》、坪山村、御館村、《中野村、三日町村》、山崎村、《宝達村》、上田村、上田出村、元女村、大田村、上棚村、中山村、二所宮村、町村、針山村、原村、千路村、安津見村、《安津見村》、仏木村、安部屋村、三ツ屋村[7]、上白瀬村[8]、堀替新村[9]、菱分村[9]、市野谷村[10]、前浜村[11]
幕府領・藩領 幕府領・加賀藩 1村 白瀬村
旗本領・加賀藩 1村 太田村
  • 明治2年6月17日1869年7月25日) - 版籍奉還により加賀藩(通称)の正式名称が金沢藩となる。
  • 明治3年5月22日1870年6月20日) - 幕府領・旗本領が高山県の管轄となる[12]
  • 明治4年
  • 明治5年9月27日1872年10月29日) - 石川県の管轄となる。
  • 明治初年 - 吉田村(現・宝達志水町)が南吉田村に、小室村(現・志賀町東小室)が東小室村にそれぞれ改称。
  • 明治8年(1875年)(1町232村)
    • 太田村のうち旗本領が分立して東太田村となる。
    • 当ノ熊村が新宮村に合併。
  • 明治9年から17年の間に中山村が改称して上中山村となる。
  • 明治11年(1878年
    • 12月17日 - 郡区町村編制法の石川県での施行により、行政区画としての羽咋郡が発足。郡役所を羽咋村に設置。
    • 太田村が西太田村に、吉田村(現・志賀町)が北吉田村にそれぞれ改称。
  • 明治16年(1883年) - 免田村(現・七尾市)が改称して北免田村となる。
  • 明治20年(1887年) - 羽咋村が羽咋町に、大念寺新村が高浜町にそれぞれ改称。

町村制以降の沿革

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町村制施行時の2町38村
  • 羽咋町(単独町制。現・羽咋市)
  • 高浜町 ← 高浜町、大念寺村(現・志賀町)
  • 南大海村 ← 箕打村、元女村、黒川村、瀬戸町村、八野村、野寺村、夏栗村、二ツ屋村、中沼村(現・かほく市)
  • 北大海村 ← 森本村、免田村、大海川尻村、坪山村、北川尻村、冬野村、正友村、東間村、紺屋町村、東野村(現・宝達志水町)
  • 河合谷村 ← 牛首村、瓜生村、上河合村、下河合村、大田村(現・河北郡津幡町)
  • 北荘村 ← 沢川村、宝達村、山崎村、河原村、小川村(現・宝達志水町)
  • 中荘村 ← 御館村、中野村、三日町村、上田村、上田出村、門前村(現・宝達志水町)
  • 末森村 ← 麦生村、今浜村、今浜新村、米出村(現・宝達志水町)
  • 柏崎村 ← 南吉田村、竹生野村、宿村、敷波村、敷浪村(現・宝達志水町)
  • 粟ノ保村 ← 土橋村、立開村、粟原村、兵庫村、粟生村、新保村(現・羽咋市)
  • 樋川村 ← 荻市村、荻谷村、荻島村、柳瀬村、柳瀬出村(現・宝達志水町)
  • 志雄村 ← 子浦村、吉野屋村(現・宝達志水町)
  • 南志雄村 ← 聖川村、新宮村、針山村、平床村、散田村、原村、海老坂村、下石村(現・宝達志水町)
  • 北志雄村 ← 石坂村、向瀬村、所司原村、見砂村、清水原村、走入村(現・宝達志水町)
  • 富永村 ← 東太田村、西太田村、三ツ屋村、石野町村、深江村、吉崎村(現・羽咋市)
  • 南邑知村 ← 杉野屋村、菅原村、二口村(現・宝達志水町)
  • 北邑知村 ← 飯山村、上白瀬村、白瀬村、藪野村、福水村、千石村、菅池村、神子原村(現・羽咋市)
  • 中邑知村 ← 中川村、垣内田村、上江村、千田村、円井村、四町村、千代町村(現・羽咋市)
  • 若部村 ← 尾長村、堀替新村、菱分村、本江村、志々見村(現・羽咋市)
  • 一ノ宮村 ← 一ノ宮村、一ノ宮寺家村、滝村(現・羽咋市)
  • 越路野村 ← 柳田村、千路村(現・羽咋市)
  • 上甘田村 ← 柴垣村、滝谷村、犱谷村(現・羽咋市)
  • 中甘田村 ← 宿女村、福野村、大島村、長沢村、坪野村、岩田村(現・志賀町)
  • 下甘田村 ← 上中山村(現・羽咋市)、上棚村、二所宮村、館村、福井村、大坂村、穴口村、米浜村(現・志賀町)
  • 志加浦村 ← 川尻村、町村、安部屋村、上野村、大津村、小浦村、百浦村、松戸村、江野村、赤住村(現・志賀町)
  • 堀松村 ← 末吉村、堀松村、西山村、北吉田村、清水今江村、梨谷小山村、神代村、矢蔵谷村(現・志賀町)
  • 加茂村 ← 矢駄村、安津見新村、倉垣村、安津見村(現・志賀町)
  • 東土田村 ← 火打谷村、徳田村、館開村(現・志賀町)
  • 西土田村 ← 矢田村、代田村、印内村、栗山村、谷屋村、仏木村、市野谷村(現・志賀町)
  • 上熊野村 ← 米町村、小室村、松木村、田原村、直海村、釈迦堂村、長田村、大笹村(現・志賀町)
  • 熊野村 ← 中山村、日下田村、町居村、豊後名村、三明村、中畠村、谷神村、草木村、荒屋村、日用村(現・志賀町)
  • 富来村 ← 牛下村、生神村、領家七海村、七海村、地頭町村、領家町村、高田村(現・志賀町)
  • 稗造村 ← 東小室村、大西村、江添村、広地村、今田村、和田村、貝田村、尊保村、楚和村、阿川村、入釜村、灯村、鵜野屋村、地保村、切留村、田中村(現・志賀町)
  • 釶打村 ← 大平村、古江村、上畠村、河内村、鳥越村、北免田村、西谷内村、町屋村、藤瀬村(現・七尾市)
  • 東増穂村 ← 大鳥居村、相坂村、草江村、中泉村、給分村、里本江村、八幡村、飯室村、八幡座主村、相神村、中浜村(現・志賀町)
  • 西増穂村 ← 大福寺村、酒見村、稲敷村、栢木村(現・志賀町)
  • 西海村 ← 風戸村、風無村、千浦村(現・志賀町)
  • 西浦村 ← 赤崎村、鹿頭村、笹波村、小窪村、前浜村、深谷村(現・志賀町)
  • 塵浜村(単独村制。現・羽咋市)
  • 福浦村(単独村制。現・志賀町)
1.羽咋町 2.高浜町 3.南大海村 4.北大海村 5.河合谷村 6.北荘村 7.中荘村 8.末森村 9.柏崎村 10.粟ノ保村 11.樋川村 12.志雄村 13.南志雄村 14.北志雄村 15.富永村 16.南邑知村 17.北邑知村 18.中邑知村 19.若部村 20.一ノ宮村 21.越路野村 22.上甘田村 23.中甘田村 24.下甘田村 25.志加浦村 26.堀松村 27.加茂村 28.東土田村 29.西土田村 30.上熊野村 31.熊野村 32.富来村 33.稗造村 34.釶打村 35.東増穂村 36.西増穂村 37.西海村 38.西浦村 39.塵浜村 40.福浦村(紫:羽咋市 桃:かほく市 水色:七尾市 緑:志賀町 黄:宝達志水町 橙:河北郡津幡町)
  • 明治24年(1891年7月1日 - 郡制を施行。
  • 大正8年(1919年9月1日 - 富来村が町制施行して富来町となる。(3町37村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和2年(1927年)9月1日 - 塵浜村が改称して千里浜村となる。
  • 昭和8年(1933年
    • 5月1日 - 樋川村・志雄村・南志雄村・北志雄村・南邑知村が合併し、改めて志雄村が発足。(3町33村)
    • 5月15日 - 北邑知村・中邑知村・若部村が合併して邑知村が発足。(3町31村)
  • 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は489.07平方km、人口は67,877人(男32,403人・女35,474人)[13]
  • 昭和11年(1936年2月1日 - 志雄村が町制施行して志雄町となる。(4町30村)
  • 昭和15年(1940年
  • 昭和23年(1948年)4月1日 - 釶打村の所属郡が鹿島郡に変更。(5町27村)
  • 昭和29年(1954年
    • 5月16日 - 河合谷村が河北郡津幡町に編入。(5町26村)
    • 7月15日 - 南大海村が河北郡高松町と合併し、改めて河北郡高松町が発足。(5町25村)
    • 10月1日 - 志加浦村・堀松村・加茂村・上熊野村・土田村が合併して志賀町が発足。(6町20村)
    • 11月3日(7町2村)
      • 羽咋町・富永村・粟ノ保村・一ノ宮村・越路野村・上甘田村・千里浜村および下甘田村の一部(上中山)が合併し、改めて羽咋町が発足。
      • 富来町・熊野村・稗造村・東増穂村・西増穂村・西海村・西浦村・福浦村が合併し、改めて富来町が発足。
      • 柏崎村・末森村・中荘村・北荘村・北大海村が合併して押水町が発足。
  • 昭和30年(1955年
    • 4月1日 - 下甘田村が志賀町に編入。(7町1村)
    • 4月28日 - 高浜町・中甘田村が合併し、改めて高浜町が発足。(7町)
    • 10月1日 - 押水町の一部(敷波・敷浪)が志雄町に編入。
  • 昭和31年(1956年9月30日 - 羽咋町・邑知町が鹿島郡余喜村鹿島路村と合併し、改めて羽咋町が発足。(6町)
  • 昭和33年(1958年7月1日 - 羽咋町が市制施行して羽咋市が発足し、郡より離脱。(5町)
  • 昭和45年(1970年11月1日 - 高浜町・志賀町が合併し、改めて志賀町が発足。(4町)
  • 平成17年(2005年
    • 3月1日 - 押水町・志雄町が合併して宝達志水町が発足。(3町)
    • 9月1日 - 志賀町・富来町が合併し、改めて志賀町が発足。(2町)

変遷表

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自治体の変遷
明治22年以前 明治22年4月1日 明治22年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在
羽咋町 羽咋町 昭和29年11月3日
羽咋町
昭和31年9月30日
羽咋町
昭和33年7月1日
市制
羽咋市 羽咋市
富永村 富永村
粟ノ保村 粟ノ保村
一ノ宮村 一ノ宮村
越路野村 越路野村
上甘田村 上甘田村
塵浜村 昭和2年9月1日
改称
千里浜村
北邑知村 昭和8年5月15日
邑知村
昭和15年2月11日
町制
邑知町
中邑知村
若部村
鹿島郡
余喜村
鹿島郡
余喜村
鹿島郡
余喜村
鹿島郡
鹿島路村
鹿島郡
鹿島路村
鹿島郡
鹿島路村
高浜町 高浜町 高浜町 昭和30年4月28日
高浜町
昭和45年11月1日
志賀町
平成17年9月1日
志賀町
志賀町
中甘田村 中甘田村 中甘田村
志加浦村 志加浦村 昭和29年10月1日
志賀町
志賀町
堀松村 堀松村
加茂村 加茂村
上熊野村 上熊野村
東土田村 昭和15年11月3日
土田村
西土田村
下甘田村 下甘田村 下甘田村 昭和30年4月1日
志賀町に編入
富来村 大正8年9月1日
町制
昭和29年11月3日
富来町
富来町
熊野村 熊野村
稗造村 稗造村
東増穂村 東増穂村
西増穂村 西増穂村
西海村 西海村
西浦村 西浦村
福浦村 福浦村
北志雄村 昭和8年5月1日
志雄村
昭和11年2月1日
町制
志雄町 志雄町 平成17年3月1日
宝達志水町
宝達志水町
志雄村
南志雄村
樋川村
南邑知村
北大海村 北大海村 昭和29年11月3日
押水町
押水町
北荘村 北荘村
中荘村 中荘村
末森村 末森村
柏崎村 柏崎村
釶打村 釶打村 昭和23年4月1日
鹿島郡
七尾市
河合谷村 河合谷村 昭和29年5月16日
河北郡
津幡町に編入
河北郡
津幡町
南大海村 南大海村 昭和29年7月15日
河北郡
高松町
かほく市

行政

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歴代郡長
氏名 就任 退任 前職 後職
1 平寿盛 1878年(明治11年)12月17日[14] 1880年(明治13年)6月12日[14] 石川県第八大区長 依願免本官
2 野村彦四郎 1880年(明治13年)6月12日[14] 1881年(明治14年)4月6日[14] 石川県四等属 京都府一等属
3 宇野順美 1881年(明治14年)4月29日[14] 1881年(明治14年)11月2日[14] 石川県六等属 死去
4 大橋永孚 1881年(明治14年)11月14日[14] 1887年(明治20年)9月11日[14] 石川県四等属 死去
5 河瀬貫一郎 1887年(明治20年)9月28日[14] 1890年(明治23年)6月16日[14] 石川県会議員 依願免本官
6 小川清太 1890年(明治23年)7月23日[14] 1890年(明治23年)12月27日[14] 河北郡 鹿島郡
7 大野木克俊 1890年(明治23年)12月27日[14] 1891年(明治24年)10月16日[14] 鹿島郡長 鹿島郡長
8 安達正輝 1891年(明治24年)10月16日[14] 1895年(明治28年)2月17日[14] 石川県属 死去
9 大森孝次郎 1895年(明治28年)3月13日[14] 1897年(明治30年)5月10日[14] 石川県属 非職
10 松島喜五郎 1897年(明治30年)5月10日[14] 1903年(明治36年)3月31日[14] 石川県警部 江沼郡
11 栗山富栄 1903年(明治36年)3月31日[14] 1904年(明治37年)7月26日[14] 石川県属 鳳至郡
12 大津辰三郎 1904年(明治37年)7月26日[14] 1906年(明治39年)3月24日[14] 珠洲郡 死去
13 土田伊蔵 1906年(明治39年)4月13日[14] 1907年(明治40年)4月12日[14] 石川県警視 江沼郡長
14 山口信定 1907年(明治40年)4月12日[14] 1914年(大正3年)3月9日[14] 能美郡書記 江沼郡長
15 吉田直矩 1914年(大正3年)3月9日[15] 1914年(大正3年)8月21日[16] 江沼郡長 依願免本官
16 松本源祐 1914年(大正3年)8月21日[16] 1919年(大正8年)3月31日[17] 河北郡書記 鳳至郡長
17 水原信一 1919年(大正8年)3月31日[17] 1921年(大正10年)7月22日[18] 河北郡書記 石川県理事官
18 山上岩雄 1921年(大正10年)9月1日[19] 1923年(大正12年)12月27日[20] 石川県警視 休職
19 林登亀雄 1923年(大正12年)12月27日[21] 1924年(大正13年)9月2日[22] 石川県属 依願免本官
20 京念洋 1924年(大正13年)9月2日[22] 1926年(大正15年)7月1日[23] 石川県属 廃官

脚注

[編集]
  1. ^ 『ふるさと石川歴史館』(2002年6月10日、北國新聞社発行)531頁。
  2. ^ 旧高旧領取調帳」は能登国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書13 旧高旧領取調帳 中部編」(近藤出版社、1977年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。
  3. ^ 下記のほか、加賀藩領として《兵庫村/立開村/土橋村/粟生村/粟原村/新保村/二口村/柳瀬村/羽咋村》請新田、《稲敷村/相神村/八幡村/中浜村/給分村》請新田、《紺屋町村/冬野村/東間村/御館村/正友村/北川尻村/坪山村》請新田、《森本村/中沼村/免田村/八野村/二屋村/野寺村》請新田、《東間村/坪山村/紺屋町村/冬野村/正友村/北川尼村》請新田が記載されている。
  4. ^ 記載は志雄町。
  5. ^ 記載は富木村。
  6. ^ 犱谷村・宿女村・坪野村・岩田村の総称だが、犱谷村は別掲。本項では3村として数える。
  7. ^ 太田村のうちに含まれると見られる。
  8. ^ 白瀬村のうちに含まれると見られる。
  9. ^ a b 尾長村・志々見村・本江村のうちに含まれると見られる。
  10. ^ 仏木村・米町村・小室村のうちに含まれると見られる。
  11. ^ 「旧高旧領取調帳データベース」に記載なし。石高がどの村に合算されているかは不明。
  12. ^ 石川県史 第四編,p.3. 近代デジタルライブラリー
  13. ^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧可能。
  14. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 石川県史 第四編 173-174頁
  15. ^ 『官報』第482号「叙任及辞令」1914年3月10日。
  16. ^ a b 『官報』第619号「叙任及辞令」1914年8月22日。
  17. ^ a b 『官報』第1996号「叙任及辞令」1919年4月1日。
  18. ^ 『官報』第2692号「叙任及辞令」1921年7月23日。
  19. ^ 『官報』第2727号「叙任及辞令」1921年9月2日。
  20. ^ 『官報』第3411号「叙任及辞令」1924年1月9日。
  21. ^ 『官報』第3407号「叙任及辞令」1923年12月29日。
  22. ^ a b 『官報』第3610号「叙任及辞令」1924年9月3日。
  23. ^ 『官報』第4171号「彙報」1926年7月19日。

参考文献

[編集]
  • 石川県『石川県史 第四編』石川県、1931年。 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 17 石川県、角川書店、1981年7月1日。ISBN 4040011708 
  • 旧高旧領取調帳データベース

外部リンク

[編集]