高松町 (石川県)
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たかまつまち 高松町 | |||||
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廃止日 | 2004年3月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併・市制施行 高松町・七塚町・宇ノ気町→かほく市 | ||||
現在の自治体 | かほく市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方(北陸地方) | ||||
都道府県 | 石川県 | ||||
郡 | 河北郡 | ||||
市町村コード | 17362-2 | ||||
面積 | 26.40 km2 | ||||
総人口 |
10,602人 (推計人口、2004年3月1日) | ||||
隣接自治体 | 津幡町・七塚町・宇ノ気町・押水町 | ||||
町の木 | マツ | ||||
町の花 | ハマナス | ||||
町の鳥 | シロチドリ | ||||
高松町役場 | |||||
所在地 |
〒929-1292 石川県河北郡高松町字高松ウ1-1 | ||||
座標 | 北緯36度46分13秒 東経136度43分33秒 / 北緯36.7703度 東経136.7257度座標: 北緯36度46分13秒 東経136度43分33秒 / 北緯36.7703度 東経136.7257度 | ||||
ウィキプロジェクト |
高松町(たかまつまち)は、かつて石川県河北郡に属していた町。2000年国勢調査における金沢市への通勤率は20.9%だった。
2004年(平成16年)3月1日に宇ノ気町、七塚町と合併しかほく市になった。
地理
[編集]石川県の中部にあり、日本海に面していた。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、河北郡高松村、内高松村および高松新村の区域をもって高松村が発足。
- 1907年(明治40年)8月10日 - 金津谷村と合併し、改めて高松村が発足。
- 1922年(大正11年)8月1日 - 町制施行して高松町になる。
- 1947年(昭和22年)10月29日 - 昭和天皇の戦後巡幸。砂丘地の農業を視察[1]。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 旧・金津谷村の若緑を除く5大字(横山、上田名、谷、笠島および余地)の区域が分立し、河北郡金津村が発足。
- 1954年(昭和29年)7月15日 - 羽咋郡南大海村と合併し、改めて河北郡高松町が発足。高松新は長柄町と改称。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 七塚町および宇ノ気町と合併しかほく市となる。
行政
[編集]歴代高松町長・高松村長
[編集]歴代高松村長(1889年ー1907年) | |||||
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代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
1 | 1 | 喜多北二 | 1889年(明治22年)5月21日 | 1889年(明治22年)6月21日 | |
2 | 2 | 浅野順平 | 1889年(明治22年)6月29日 | 1890年(明治23年)5月29日 | |
3 | 3 | 仁科其吉 | 1890年(明治23年)11月5日 | 1894年(明治27年)11月28日 | |
4 | 1894年(明治27年)12月3日 | 1895年(明治28年)9月26日 | |||
5 | 4 | 安田綿吾 | 1896年(明治29年)3月26日 | 1897年(明治30年)12月23日 | |
6 | 5 | 真田弥次兵衛 | 1898年(明治31年)8月9日 | 1902年(明治35年)7月13日 | |
7 | 6 | 羽田甚五郎 | 1902年(明治35年)8月29日 | 1906年(明治39年)8月28日 | |
8 | 1906年(明治39年)8月29日 | 1906年(明治39年)10月7日 | |||
9 | 7 | 宗広文治 | 1906年(明治39年)10月24日 | 1907年(明治40年)8月9日 | |
歴代高松村長(1907年ー1922年) | |||||
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
宗広文治 | 1907年(明治40年)8月10日 | 1907年(明治40年)10月26日 | 事務取扱 | ||
金子喜一 | 1907年(明治40年)11月7日 | 1907年(明治40年)12月26日 | 事務管掌 | ||
1 | 1 | 羽田甚五郎 | 1908年(明治41年)2月13日 | 1912年(明治45年)2月12日 | |
2 | 2 | 宗広文治 | 1912年(明治45年)2月13日 | 1913年(大正2年)12月15日 | |
3 | 3 | 小森富勝 | 1914年(大正3年)3月18日 | 1918年(大正7年)3月10日 | |
4 | 1918年(大正7年)5月28日 | 1919年(大正8年)1月31日 | |||
5 | 4 | 駒井松太郎 | 1919年(大正8年)3月12日 | 1920年(大正9年)5月31日 | |
6 | 1920年(大正9年)9月28日 | 1921年(大正10年)1月20日 | |||
7 | 5 | 丹羽菊太郎 | 1921年(大正10年)7月23日 | 1922年(大正11年)7月31日 | |
歴代高松町長(1922年ー1954年) | |||||
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
1 | 1 | 丹羽菊太郎 | 1922年(大正11年)8月1日 | 1923年(大正12年)7月20日 | |
2 | 2 | 羽田三郎 | 1923年(大正12年)8月4日 | 1927年(昭和2年)8月3日 | |
3 | 1927年(昭和2年)8月23日 | 1931年(昭和6年)8月11日 | |||
4 | 3 | 駒井松太郎 | 1931年(昭和6年)10月5日 | 1935年(昭和10年)10月4日 | |
5 | 1935年(昭和10年)10月5日 | 1939年(昭和14年)10月4日 | |||
6 | 1939年(昭和14年)10月5日 | 1939年(昭和14年)11月10日 | |||
7 | 4 | 鶴見宗太郎 | 1939年(昭和14年)12月25日 | 1942年(昭和17年)3月11日 | |
8 | 5 | 丸山平次 | 1942年(昭和17年)4月5日 | 1944年(昭和19年)5月6日 | |
9 | 6 | 小松成 | 1944年(昭和19年)5月16日 | 1946年(昭和21年)11月11日 | |
10 | 7 | 香林源次 | 1947年(昭和22年)4月14日 | 1949年(昭和24年)2月14日 | |
11 | 8 | 丹羽又平 | 1949年(昭和24年)4月1日 | 1951年(昭和26年)3月30日 | |
12 | 9 | 山口弥太郎 | 1951年(昭和26年)4月24日 | 1953年(昭和28年)8月10日 | 在職中死去 |
13 | 10 | 神保由雄 | 1953年(昭和28年)9月24日 | 1954年(昭和29年)7月14日 | |
歴代高松町長(1954年ー2004年) | |||||
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
1 | 1 | 神保由雄 | 1954年(昭和29年)8月18日 | 1958年(昭和33年)8月17日 | |
2 | 2 | 梶政野 | 1958年(昭和33年)8月18日 | 1962年(昭和37年)8月17日 | |
3 | 3 | 桜井菊雄 | 1962年(昭和37年)8月18日 | 1966年(昭和41年)8月17日 | |
4 | 4 | 中谷末宣 | 1966年(昭和41年)8月18日 | 1970年(昭和45年)8月17日 | |
5 | 1970年(昭和45年)8月18日 | 1974年(昭和49年)8月17日 | |||
6 | 1974年(昭和49年)8月18日 | 1978年(昭和53年)8月17日 | |||
7 | 1978年(昭和53年)8月18日 | 1982年(昭和57年)8月17日 | |||
8 | 5 | 長柄朝 | 1982年(昭和57年)8月18日 | 1986年(昭和61年)8月17日 | |
9 | 1986年(昭和61年)8月18日 | 1990年(平成2年)8月17日 | |||
10 | 6 | 多々見與志雄 | 1990年(平成2年)8月18日 | 1992年(平成4年)6月18日 | 在職中死去 |
11 | 7 | 香林繁男 | 1992年(平成4年)8月9日 | 1996年(平成8年)8月8日 | |
12 | 1996年(平成8年)8月9日 | 2000年(平成12年)8月8日 | |||
13 | 8 | 城村孝一郎 | 2000年(平成12年)8月9日 | 2004年(平成16年)2月29日 |
- 町長 - 城村 孝一郎(きむら・こういちろう)
教育
[編集]町内に高等学校はない。
大学
[編集]中学校
[編集]- 高松町立高松中学校
小学校
[編集]- 高松町立大海小学校
- 高松町立高松小学校
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]娯楽
[編集]- 高松劇場
出身有名人
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、521頁。ISBN 978-4-487-74410-7。