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「井草八幡宮」の版間の差分

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'''井草八幡宮'''(いぐさはちまんぐう)は、[[東京都]][[杉並区]]の[[神社]]である。[[別表神社]]。
'''井草八幡宮'''(いぐさはちまんぐう)は、[[東京都]][[杉並区]]の[[神社]]である。[[別表神社]]。

2021年5月13日 (木) 21:51時点における版

井草八幡宮
所在地 東京都杉並区善福寺1-33-1
位置 北緯35度42分57.71秒 東経139度35分42.23秒 / 北緯35.7160306度 東経139.5950639度 / 35.7160306; 139.5950639
主祭神 八幡大神(古代では春日神
応神天皇
社格 旧郷社・別表神社
別名 遅野井八幡宮(明治期まで)
例祭 例大祭宵宮祭(9月30日
例大祭当日祭(10月1日
行事(10月2日)など
主な神事 神幸祭(3年に一度)
流鏑馬(5年に一度)
青梅街道渡御(上記以外の年)
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井草八幡宮の位置(日本内)
井草八幡宮
井草八幡宮

井草八幡宮(いぐさはちまんぐう)は、東京都杉並区神社である。別表神社

概要

青梅街道沿い、早稲田通り沿いにある。都内でも有数の広大な社叢を誇る。この地域一帯は遅野井とも称され、明治期までは遅野井八幡宮とも呼ばれていた。源頼朝が起請(文治5年)して霊験を得、手植し奉献したと伝えられる老松「天然記念物-井草八幡の松」(高さ約40m)があったが、1973年(昭和48年)に枯れてしまった。現在その樹根の一部が当社回廊に飾られている。 アニメ〈物語〉シリーズにて作中の北白蛇神社のモデルにもなった。

祭神

歴史

縄文期から人々が生活していた此の地にが祀られ、神社としての形態をととのえたのは平安時代末期といわれている。当初は春日神を祀っており、源頼朝が奥州討伐の折、八幡神合祀して戦勝を祈願して以来八幡宮を合祀し、後年春日社を末社として奉斎するようになった。

文明9年には太田道灌が石神井城の豊島氏を攻むるに当たり、戦勝祈願をしたと云い伝えられている。

江戸幕府三代将軍の徳川家光は、寺社奉行井上正利をして社殿を造営し、 慶安2年に朱印領六石を寄進している。以降幕末まで歴代将軍から朱印地の寄進があった。その頃、氏子崇敬者により、石燈篭、石鳥居、狛犬、手水盤などが奉献された。

明治以降も氏子崇敬者によって社殿の改修や増築が繰り返され、同時に植林も行われた。

境内

文華殿(宝物館)、民俗資料館、幼稚園を設置している。

文化財

  • 顔面把手付釣手形土器 縄文時代 杉並区井荻三丁目(現・杉並区善福寺)出土(重要文化財

氏子地域

  • 善福寺一丁目~四丁目全域
  • 上井草一丁目~四丁目全域
  • 今川一丁目~四丁目全域
  • 桃井一丁目~四丁目全域
  • 清水一丁目の一部、二丁目~三丁目全域
  • 井草一丁目~五丁目全域
  • 下井草一丁目の一部、二丁目~五丁目全域
  • 上荻四丁目の一部
  • 西荻北四丁目全域、三丁目・五丁目の一部
  • 本天沼二丁目・三丁目の一部

交通

外部リンク