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'''清洲橋'''(きよすばし)は、[[隅田川]]にかかる[[橋]]で、[[東京都道474号浜町北砂町線]]([[清洲橋通り]])を通す。西岸は[[中央区 (東京都)|中央区]][[日本橋中洲]]、東岸は[[江東区]][[清澄 (江東区)|清澄]]一丁目。「清洲」という名称は公募により、建設当時の両岸である深川区'''清'''住町と日本橋区中'''洲'''町から採られた。 |
2021年5月13日 (木) 21:51時点における版
清洲橋(きよすばし)は、隅田川にかかる橋で、東京都道474号浜町北砂町線(清洲橋通り)を通す。西岸は中央区日本橋中洲、東岸は江東区清澄一丁目。「清洲」という名称は公募により、建設当時の両岸である深川区清住町と日本橋区中洲町から採られた。
関東大震災の震災復興事業として、永代橋と共に計画された橋。「帝都東京の門」と呼称された永代橋と対になるような設計で、「震災復興の華」とも呼ばれた優美なデザインである。当時世界最美の橋と呼ばれたドイツのケルン市にあったヒンデンブルク橋の大吊橋をモデルにしている(その橋は第二次世界大戦で破壊された後、別の橋が再建された為、現在は吊橋ではない)。海軍で研究中であった低マンガン鋼を使用して、鋼材の断面を小さくする努力がなされた。
もともと「中州の渡し」という渡船場があった場所に設置された[1]。
2000年(平成12年)に永代橋と共に土木学会の「第一回土木学会選奨土木遺産」に選定された。
2007年(平成19年)6月18日に、都道府県の道路橋として初めて勝鬨橋・永代橋と共に国の重要文化財(建造物)[2]に指定された。
ライトアップのための工事が完了し、2020年(令和2年)8月1日から、他の隅田川橋梁とともに、夜間の点灯が開始された[3]。
橋の概要
- 構造形式 - 自碇式鋼鉄製吊橋[注釈 1]
- 橋長 186.3m
- 幅員 22.0m
- 着工 大正14年3月
- 竣工 昭和3年3月
- 施工主体 東京市復興局
- 設計 鈴木精一(意匠面では建築家の山田守や山口文象(岡村蚊象)の関与があった)
- 橋桁製作 神戸川崎造船所
隣の橋
脚注
注釈
- ^ 自碇式吊橋(Self-anchored suspension bridge)とはメインケーブル(清洲橋の場合はチェーン)の端をアンカーブロックではなく橋桁に固定することで張力を与えていることを指す。
出典
- ^ “清洲橋”. 江東区. 2020年8月12日閲覧。
- ^ “国指定文化財等データベース:清洲橋”. 文化庁. 2020年8月12日閲覧。
- ^ “隅田川橋梁群のライトアップ点灯開始(第3弾)”. 東京都. 2020年8月12日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 日本一のモダーン橋・清洲橋の朝『大東京写真帖』1930年