「束稲山」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m Botによる: Bot作業依頼 大陸別山カテゴリ (Category:アジアの山) を追加 |
m Bot作業依頼: Template:Mapplot JapanとTemplate:Embedmapの廃止に伴う編集 (Template:Embedmap) - log |
||
9行目: | 9行目: | ||
|種類 = |
|種類 = |
||
|初登頂 = |
|初登頂 = |
||
|地図 = {{ |
|地図 = {{Location map|Japan Mapplot|coordinates={{Coord|39.0129|141.1840}}|caption=|width=300}}束稲山の位置{{日本の位置情報|39|00|46.4|141|11|02.3|束稲山|39.0129,141.1840|束稲山}} |
||
}} |
}} |
||
'''束稲山'''(たばしねやま)は、[[岩手県]][[平泉町]]、[[奥州市]]、[[一関市]]の境界に位置する[[山]]。[[標高]]594.9[[メートル|m]]。 |
'''束稲山'''(たばしねやま)は、[[岩手県]][[平泉町]]、[[奥州市]]、[[一関市]]の境界に位置する[[山]]。[[標高]]594.9[[メートル|m]]。 |
2021年5月13日 (木) 23:29時点における版
束稲山 | |
---|---|
| |
標高 | 594.9 m |
所在地 |
![]() 岩手県西磐井郡平泉町・奥州市・一関市 |
位置 | 北緯39度00分46.4秒 東経141度11分02.3秒 / 北緯39.012889度 東経141.183972度座標: 北緯39度00分46.4秒 東経141度11分02.3秒 / 北緯39.012889度 東経141.183972度 |
山系 | 北上山地 |
束稲山の位置 | |
![]() |
束稲山(たばしねやま)は、岩手県平泉町、奥州市、一関市の境界に位置する山。標高594.9m。
概要
- 束稲山とは経塚山、音羽山、束稲山の三つの山の総称である。稲の束がたわんでいるように見えるところから束稲山と名づけられた。
- ツツジの名所で、8月16日には山腹で大文字の送り火の行事が行われる。頂上からは中尊寺、衣川古戦場などが一望できる。また一関テレビ・FM中継局が設置されている。
歴史
- 登山口には束稲荒神としてアテルイの像がある。
- 吾妻鏡によると、安倍頼時が桜一万本を植えたと伝える。
- 奥州市の長者ヶ原廃寺跡の礎石はこの近辺で採石されたことが調査で確認されており、古来から重要視されていた場所であった。
- 別名、駒形嶺とも言う。これは、奥州藤原氏が駒ケ岳(胆沢郡金ケ崎町)にあった駒形神社(現在の奥州市)を度々登拝することは困難を来たすこともあり、束稲山に駒形大神を奉祀したことに由来しているとされる。
- 経塚山は奥州藤原氏3代・秀衡が経典を埋めた山とされ、山頂近くには源義経の馬の蹄の跡が残る「馬蹄石」がある。
- 秀衡の夫人が安産を祈願してくぐったと伝わる胎内石がある。
- 全盛期の平泉を訪れた西行は「ききもせず 束稲山の さくら花 吉野の外に かかるべしとは」(山家集)と詠んでいる。
- 登山口には、四代泰衡夫人が悲劇の主人泰衡の御霊をとむらうため山伏に命じて建立したと伝えられる月山神社がある。
文化事業
- 平成27年度より西行が詠んだ桜の景観を復原する植樹を実施する。[1]
- 2015年4月9日に平泉町の青木幸保町長が、束稲山麓を中心とした中山間地農業を国連食糧農業機関(FAO)が推進する世界重要農業遺産システムを目指す考えを明らかにした。[2]
交通アクセス
脚注
- ^ 西行詠んだ山桜、復活へ 平泉河北新報ONLINE NEWS 2015年3月29日
- ^ 「農業遺産に挑戦」平泉町長、取り組み表明河北新報ONLINE NEWS 2015年4月10日