「女性死刑囚」の版間の差分
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
13行目: | 13行目: | ||
全員が犯行当時はいずれも成人であり、女性の[[少年死刑囚]](少女死刑囚。犯行当時未成年の少女だった死刑囚)は2020年現在存在しない。 |
全員が犯行当時はいずれも成人であり、女性の[[少年死刑囚]](少女死刑囚。犯行当時未成年の少女だった死刑囚)は2020年現在存在しない。 |
||
== ジェンダー |
== ジェンダーバイアス == |
||
[[サンフランシスコ大学]]教授のS. Shatzらの研究によると、死刑制度の適用にはジェンダーバイアスが存在し続けており、このバイアスの根源には歴史的な[[騎士道]]精神の概念があることが示唆されているという<ref>{{cite web |url = https://deathpenaltyinfo.org/news/studies-gender-bias-in-death-sentencing |title = STUDIES: Gender Bias in Death Sentencing |date = 2011 |accessdate = 2021-06-11}}</ref>。著者らは、2003年から2005年にかけて[[カリフォルニア州]]で起きた1,300件の殺人事件を調査した結果、女性に死刑が科せられる頻度は比較的低いと報告した。 |
|||
一方で、[[ニューメキシコ大学]]教授のE. Rapaportの研究によると、女性死刑囚が少ないのは、死刑に値するほどの重大犯罪を犯す頻度が女性は少ないためだという<ref>{{cite web |url = https://www.jstor.org/stable/3053803 |title = The Death Penalty and Gender Discrimination |date = 1991 |accessdate = 2021-06-11}}</ref>。また、死刑が家庭内の殺人よりも経済的その他の略奪的な殺人に重きを置いている一方で、女性は家庭内の殺人で死刑となるケースが多いことから、女性に不利なジェンダー差別が存在すると指摘している。 |
|||
== 戦後日本の女性死刑囚一覧 == |
== 戦後日本の女性死刑囚一覧 == |
2021年6月10日 (木) 22:10時点における版
女性死刑囚(じょせいしけいしゅう)とは、死刑判決が確定した女の死刑囚。
本項では主に日本の女性死刑囚について記載している。
概要
第二次世界大戦後の日本では死刑判決が確定した女の死刑囚は、2019年現在で16人である。このうち6名は収監中、5名は死刑執行、5名は病死している(2021年6月時点)。
妊婦が現在の法制度で死刑判決が確定したことはないが、もし確定した場合でも、妊娠をしている場合は死刑執行を停止することが刑事訴訟法479条2項で規定されている。確実な記録として日本の歴史上最後に死罪が確定した妊婦としては明治時代初頭の夜嵐おきぬがいるが、彼女は出産まで執行が猶予された後に斬首のうえ三日間梟首に処せられたという[1]。
全員が犯行当時はいずれも成人であり、女性の少年死刑囚(少女死刑囚。犯行当時未成年の少女だった死刑囚)は2020年現在存在しない。
ジェンダーバイアス
サンフランシスコ大学教授のS. Shatzらの研究によると、死刑制度の適用にはジェンダーバイアスが存在し続けており、このバイアスの根源には歴史的な騎士道精神の概念があることが示唆されているという[2]。著者らは、2003年から2005年にかけてカリフォルニア州で起きた1,300件の殺人事件を調査した結果、女性に死刑が科せられる頻度は比較的低いと報告した。
一方で、ニューメキシコ大学教授のE. Rapaportの研究によると、女性死刑囚が少ないのは、死刑に値するほどの重大犯罪を犯す頻度が女性は少ないためだという[3]。また、死刑が家庭内の殺人よりも経済的その他の略奪的な殺人に重きを置いている一方で、女性は家庭内の殺人で死刑となるケースが多いことから、女性に不利なジェンダー差別が存在すると指摘している。
戦後日本の女性死刑囚一覧
事件名(氏名[注 1]) | 事件発生日 | 判決確定日[注 2] | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
菅野村強盗殺人・放火事件 (Y) [5] | 1949年 | 6月10日1951年[5] | 7月10日戦後初の女性死刑囚[6]。死刑確定後に精神異常を来たし[5]、1969年 9月 2日に恩赦のため無期懲役に減刑。 1978年 3月 4日に病死[5]。 |
女性連続毒殺魔事件 (S) [7] | 1960年11月 - 12月 | 1963年[7] | 3月28日戦後2人目の女性死刑囚[7]。 1970年 9月19日に死刑執行[5]。戦後女性死刑囚執行第2号[7]。 |
ホテル日本閣殺人事件 (K) [7] | 1961年 | 2月19日1966年[7] | 7月14日戦後3人目の女性死刑囚[7]。 1970年 6月11日に死刑執行。戦後日本では初の女性死刑囚への死刑執行[7]。 |
夕張保険金殺人事件 (H) [7] | 1984年 | 5月 5日1988年10月11日 (控訴取り下げにより確定[注 3])[4] |
戦後4番目の女性死刑囚[7]。 1997年 8月 1日に共犯者(夫)とともに札幌刑務所[注 4]で死刑執行[8]。戦後女性死刑囚執行第3号[9]。 |
自殺偽装夫殺害事件 (M) [7] | 1974年 | 8月 8日1991年[9] | 1月31日戦後5番目の女性死刑囚[7]。2007年 7月17日に東京拘置所で病死[10]。 |
連合赤軍事件(永田洋子)[11][12] | 1971年 - 1972年 | 2月1993年[11] | 2月19日戦後6番目の女性死刑囚[11]。共犯者のうち坂口弘は永田とともに死刑が確定[12]、坂東國男は逮捕後に超法規的措置で釈放され逃亡中。 2011年 2月 5日に東京拘置所で病死[12]。 |
富山・長野連続女性誘拐殺人事件 (M) [11][12] | 1980年 | 2月 - 3月1998年[11] | 9月 4日警察庁広域重要指定111号事件。戦後7番目の女性死刑囚[11]。2019年(令和元年)10月1日時点で[13]名古屋拘置所に収監中[14]。 |
高知連続保険金殺人事件 (S) [11][15] | 1987年 | 1月17日 - 1992年 8月19日2004年11月19日[11][15]女性死刑囚確定時最高齢77歳 | 戦後8番目(21世紀では初)の女性死刑囚[11]。2011年 1月27日に大阪医療刑務所で病死[15]。
女性死刑囚最高齢83歳。 |
宮崎2女性殺人事件 (I) [16] | 1996年 | 8月29日 - 1997年 6月13日2006年[16] | 9月21日戦後9番目の女性死刑囚。2019年10月1日時点で[13]福岡拘置所に収監中[16]。 |
福島悪魔払い殺人事件 (E) [17] | 1994年12月 - 1995年 | 6月2008年[17] | 9月16日戦後10番目の女性死刑囚。2012年宮城刑務所[注 4]で死刑執行[19]。 戦後女性死刑囚執行第4号。 | 9月27日に
和歌山毒物カレー事件(林眞須美)[注 5][21] | 1998年 | 7月25日2009年[21] | 4月21日戦後11番目の女性死刑囚。2019年10月1日時点で[13]大阪拘置所に収監中[21]。 |
埼玉愛犬家連続殺人事件 (K) [21] | 1993年 | 4月20日 - 8月26日2009年[21] | 6月 5日戦後12番目の女性死刑囚。2019年10月1日時点で[13]東京拘置所に収監中[21]。共犯の男は2017年3月27日に東京拘置所で病死[21]。 |
久留米看護師連続保険金殺人事件 (Y) [22] | 1998年 | 1月24日 - 1999年 3月27日2010年[22] | 3月18日戦後13番目の女性死刑囚。2016年[23]。 戦後女性死刑囚執行第5号。 | 3月25日に福岡拘置所で死刑執行
大牟田4人殺害事件 (K) [24] | 2004年 | 9月16日 - 9月17日2011年10月[24] | 3日戦後14番目の女性死刑囚。共犯である夫と2人の息子(長男・次男)も死刑を受け、一家のうち犯行に関与した4人全員の死刑が確定することになった。2019年10月1日時点で[13]福岡拘置所に収監中[24]。 |
首都圏連続不審死事件(木嶋佳苗)[注 6][25] | 2008年 | 9月 - 2009年 9月2017年[26][25] | 4月14日戦後15番目の女性死刑囚。史上初の第一審・裁判員裁判による女性死刑囚。2019年10月1日時点で[13]東京拘置所に収監中[25]。 |
鳥取連続不審死事件 (U) [25] | 2004年 | 5月 - 2009年10月2017年[25] | 7月27日戦後16番目の女性死刑囚。2019年10月1日時点で[13]広島拘置所に収監中[25]。 |
脚注
注釈
- ^ 本人名義の著書あり、本人の記事がある人物のみ記載
- ^ 最高裁で上告棄却判決を受け死刑が確定する場合は判決訂正期間があり、正確には判決宣告日より若干タイムラグがある[4]が、特記なき場合は判決日(最高裁で確定した場合は最高裁判決宣告日)を確定日として表記している。
- ^ 1987年3月9日に札幌地裁(鈴木勝利裁判長)で死刑判決を受け、恩赦を期待して控訴を取り下げた[4]が恩赦はされなかった。
- ^ a b 札幌・仙台各矯正管区管内の裁判所で死刑判決を受け確定した死刑囚の収監先はそれぞれ札幌拘置支所・仙台拘置支所だが、刑場(死刑執行設備)はそれぞれ隣接する札幌刑務所・宮城刑務所に設置されている[18]。
- ^ 2014年釜ヶ崎地域合同労働組合委員長・稲垣浩と養子縁組し「稲垣」姓に改姓したが[20]、2019年10月1日時点では[13]「林眞須美」として記載されている[21]。本人名義の著書『死刑判決は「シルエット・ロマンス」を聴きながら』『和歌山カレー事件 獄中からの手記』(共著)がある[21]。 3月に支援者である
- ^ 実名でブログを更新している。2019年10月1日時点では[13]「木嶋」とは異なる姓になっている[25]。
出典
- ^ 東京日日新聞 1872年2月22日(3号)
- ^ “STUDIES: Gender Bias in Death Sentencing” (2011年). 2021年6月11日閲覧。
- ^ “The Death Penalty and Gender Discrimination” (1991年). 2021年6月11日閲覧。
- ^ a b c 年報・死刑廃止 2019, p. 251.
- ^ a b c d e 村野 2006, p. 120.
- ^ 村野 2006, pp. 120–121.
- ^ a b c d e f g h i j k l 村野 2006, p. 121.
- ^ 『読売新聞』1997年8月2日東京朝刊一面1頁「永山則夫死刑囚の刑執行 19歳の時、4人射殺 全国で計4人執行」(読売新聞東京本社)
- ^ a b 村野 2006, pp. 121–122.
- ^ 年報・死刑廃止 2019, p. 252.
- ^ a b c d e f g h i 村野 2006, p. 122.
- ^ a b c d 年報・死刑廃止 2019, p. 253.
- ^ a b c d e f g h i 年報・死刑廃止 2019, p. 275.
- ^ 年報・死刑廃止 2019, p. 255.
- ^ a b c 年報・死刑廃止 2019, p. 259.
- ^ a b c 年報・死刑廃止 2019, p. 261.
- ^ a b 年報・死刑廃止 2019, p. 265.
- ^ 坂本 2010, p. 13.
- ^ 「2人の死刑執行 法相「しっかり調査した」」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2012年9月27日。オリジナルの2020年8月31日時点におけるアーカイブ。2020年8月31日閲覧。
- ^ 「カレー事件の林眞須美死刑囚 支援集会「負けず過ごす」」『スポーツニッポン』2014年7月19日。オリジナルの2014年7月21日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c d e f g h i 年報・死刑廃止 2019, p. 266.
- ^ a b 年報・死刑廃止 2019, p. 267.
- ^ 「2人の死刑執行、女性5人殺害の死刑囚と福岡連続保険金殺人の死刑囚」『産経新聞』産業経済新聞社、2016年3月25日。オリジナルの2020年8月31日時点におけるアーカイブ。2020年8月31日閲覧。 - 記事名に当事件の死刑囚および同日執行された別事件(大阪連続バラバラ殺人事件)の死刑囚の実名が使われているため、その箇所を省略した。
- ^ a b c 年報・死刑廃止 2019, p. 269.
- ^ a b c d e f g 年報・死刑廃止 2019, p. 273.
- ^ “2009年の男性3人連続不審死事件 被告の死刑判決が確定”. ライブドアニュース. (2017年 5月10日19時33分) 2017年5月12日閲覧。
参考文献
- 村野薫『死刑はこうして執行される』(第1刷発行)講談社〈講談社文庫〉、2006年1月15日、120-124頁。ISBN 978-4062753043。
- 坂本敏夫「序章 拘置所と刑務所」『死刑と無期懲役』(第1刷発行)筑摩書房、2010年2月10日、13頁。ISBN 978-4480065339 。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・可知亮・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90・死刑廃止のための大道寺幸子基金・深瀬暢子・国分葉子・岡本真菜) 編『オウム大虐殺 13人執行の残したもの 年報・死刑廃止2019』(初版第1刷発行)インパクト出版会、2019年10月25日。ISBN 978-4755402982 。