「ヴァーサ」の版間の差分
m Bot作業依頼: ロシア皇帝記事の改名に伴うリンク修正依頼 (ニコライ1世 (ロシア皇帝)) - log |
|||
73行目: | 73行目: | ||
1852年には大火があり、8月3日の朝から燃え始めた炎は夜までに町の大部分を焼き尽くした。その後、元の町から約7km北西の海岸寄りに新市街が建設された。 |
1852年には大火があり、8月3日の朝から燃え始めた炎は夜までに町の大部分を焼き尽くした。その後、元の町から約7km北西の海岸寄りに新市街が建設された。 |
||
[[1855年]]に[[ロシア皇帝]]であり[[フィンランド大公]]でもあった[[ニコライ1世]]が死亡すると、小さな市民グループが、街の名前をニコライ1世にちなんだ名前に変更するように請願書を提出した。ヴァーサの都市名は[[ヴァーサ王朝]]から採られていたが、このわずか15人の市民の提案によってヴァーサの都市名は'''ニコラインカウプンキ''' ({{lang-fi|Nikolainkaupunki}})、'''ニコライスタッド''' ({{lang-sv|Nikoraistad}}、{{lang-ru|Николайстада}})へと変更された。これに伴い、ヴァーサ州の州名も変更された。しかし、この都市名及び州名の変更は、ヴァーサの市民の多数から支持されず、[[1862年]]には多くの市民が都市名と州名を元に戻すように請願書を提出する事態となった。このニコライ1世にちなんだ名前は、ロシア帝国の影響下にあった[[フィンランド大公国]]が存続する[[1917年]]まで公式に使用され、国が[[フィンランド王国]]になってから都市名、州名共に元に戻された。 |
[[1855年]]に[[ロシア皇帝]]であり[[フィンランド大公]]でもあった[[ニコライ1世 (ロシア皇帝)|ニコライ1世]]が死亡すると、小さな市民グループが、街の名前をニコライ1世にちなんだ名前に変更するように請願書を提出した。ヴァーサの都市名は[[ヴァーサ王朝]]から採られていたが、このわずか15人の市民の提案によってヴァーサの都市名は'''ニコラインカウプンキ''' ({{lang-fi|Nikolainkaupunki}})、'''ニコライスタッド''' ({{lang-sv|Nikoraistad}}、{{lang-ru|Николайстада}})へと変更された。これに伴い、ヴァーサ州の州名も変更された。しかし、この都市名及び州名の変更は、ヴァーサの市民の多数から支持されず、[[1862年]]には多くの市民が都市名と州名を元に戻すように請願書を提出する事態となった。このニコライ1世にちなんだ名前は、ロシア帝国の影響下にあった[[フィンランド大公国]]が存続する[[1917年]]まで公式に使用され、国が[[フィンランド王国]]になってから都市名、州名共に元に戻された。 |
||
1918年に勃発した[[フィンランド内戦]]では首都[[ヘルシンキ]]から議会がヴァーサへ疎開し、内戦終結までの数か月の間にはフィンランドの[[臨時首都]]となった。 |
1918年に勃発した[[フィンランド内戦]]では首都[[ヘルシンキ]]から議会がヴァーサへ疎開し、内戦終結までの数か月の間にはフィンランドの[[臨時首都]]となった。 |
2021年6月13日 (日) 08:21時点における版
ヴァーサ Vaasan kaupunki(スオミ語) Vasa stad(スウェーデン語) | |||||
---|---|---|---|---|---|
Vaasa Trinity Church | |||||
| |||||
位置 | |||||
ヴァーサの位置 | |||||
座標 : 北緯63度06分 東経21度37分 / 北緯63.100度 東経21.617度 | |||||
歴史 | |||||
憲章 | 1606年 | ||||
行政 | |||||
国 | フィンランド | ||||
県 | ポフヤンマー県 | ||||
郡 | ヴァーサ郡 | ||||
市 | ヴァーサ | ||||
首長 | Tomas Häyry | ||||
地理 | |||||
面積 | |||||
市域 | 397.44[1] km2 (153.5 mi2) | ||||
陸上 | 188.81 km2 (72.9 mi2) | ||||
水面 | 208.63 km2 (80.6 mi2) | ||||
人口 | |||||
人口 | (2011年現在) | ||||
市域 | 59,670[2]人 | ||||
人口密度 | 316.03人/km2(818.5人/mi2) | ||||
備考 | フィンランド第16位 | ||||
その他 | |||||
等時帯 | EET (UTC+2) | ||||
夏時間 | EEST (UTC+3) | ||||
公式ウェブサイト : www.vaasa.fi |
ヴァーサ(フィンランド語: Vaasa, スウェーデン語: Vasa)は、フィンランドの都市。ボスニア湾に面するフィンランド西部の都市で、ポフヤンマー県の県都である。ヴァーサ郡に属する。スウェーデンの王家ヴァーサ家にちなんで名付けられた。人口は約57,000人(2005年)。二重言語都市であり、人口の71.5%がフィンランド語を、24.9%がスウェーデン語を話す。1855年から1917年までの正式都市名は、ニコラインカウプンキ (フィンランド語: Nikolainkaupunki)、ニコライスタッド (スウェーデン語: Nikoraistad、ロシア語: Николайстад)であった。
歴史
1606年に町が創設された。1634年に新設されたエステルボッテン県の県都となる。1775年にエステルボッテン県が分割され成立したヴァーサ県(ヴァーサ州)の県都(州都)となる。
1852年には大火があり、8月3日の朝から燃え始めた炎は夜までに町の大部分を焼き尽くした。その後、元の町から約7km北西の海岸寄りに新市街が建設された。
1855年にロシア皇帝でありフィンランド大公でもあったニコライ1世が死亡すると、小さな市民グループが、街の名前をニコライ1世にちなんだ名前に変更するように請願書を提出した。ヴァーサの都市名はヴァーサ王朝から採られていたが、このわずか15人の市民の提案によってヴァーサの都市名はニコラインカウプンキ (フィンランド語: Nikolainkaupunki)、ニコライスタッド (スウェーデン語: Nikoraistad、ロシア語: Николайстада)へと変更された。これに伴い、ヴァーサ州の州名も変更された。しかし、この都市名及び州名の変更は、ヴァーサの市民の多数から支持されず、1862年には多くの市民が都市名と州名を元に戻すように請願書を提出する事態となった。このニコライ1世にちなんだ名前は、ロシア帝国の影響下にあったフィンランド大公国が存続する1917年まで公式に使用され、国がフィンランド王国になってから都市名、州名共に元に戻された。
1918年に勃発したフィンランド内戦では首都ヘルシンキから議会がヴァーサへ疎開し、内戦終結までの数か月の間にはフィンランドの臨時首都となった。
教育
ヴァーサ出身の人物
姉妹都市
- ウメオ、スウェーデン
- マルメ、スウェーデン
- ハーシュタ、ノルウェー
- ヘルシンゲル、デンマーク
- キール、ドイツ
- シュヴェリン、ドイツ
- パルヌ、エストニア
- シュムペルク、チェコ
- モロゴロ、 タンザニア
- ベリンハム、アメリカ合衆国
脚注
外部リンク
- Vaasa (フィンランド語)
- Vasa (スウェーデン語)
- Tourist's Vaasa (フィンランド語) (スウェーデン語) (英語) (ドイツ語)